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旧花園橋の親柱跡について

2016-06-04 09:15:45 | 日記
 JR京浜東北線の石川町駅を下車し、中華街方向に行くと浜中学校の正門が、旧花園橋の親柱を活用したものであります。門の脇に旧花園橋であった証の碑がありましたので、「中区の歴史を碑もとく 編集 横浜市中区区役所政推進課」によると次のような事柄が記載されていたので、投稿いたします。
 この門柱はかっての花園橋の親柱である。昭和48年、派大岡川が高速道路横浜羽田空港線の建設により埋め立てられ花園橋が廃止となった際、当地に移築した親柱で、震災復興当時のものである。
花園橋は、明治9年現在の横浜スタジアム南側の派大岡川に架けられた木橋であったが、明治21年には鉄橋に改められた。これが大正12年の関東大震災により損壊したため、大正15年から昭和3年にかけて再び架替えられ、その後、45年間にわたり、震災復興橋梁の一つとして、人々に利用され親しまれた。と記述されていましたので、投稿いたします。
なお、標示版には、「有形文化財」として、文化庁の登録がなされていることを併せて申し添えます。
旧花園橋の親柱
花園橋は、1876年(明治29年)に派大岡川に架けられた橋。
当初は木橋で1888年(明治21年)に鉄橋となったが、1923年(大正12年)の関東大震災により倒壊。
港中学校の門柱として使用されている親柱は、震災復興事業の一環で架け替えられたときのもの。
高さ約2.8m、一辺約1.2mの石柱と高さ約1.1mの鋳鉄製照明部から構成されている。

(旧花園橋の橋門を活用した 浜中学校の門)

(中学校の門柱)

(史跡告知版)

(文化史跡)

旧花園橋の親柱跡について

旧花園橋の親柱跡について

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