どういう訳かハロウィンで港区は盛り上がっている。
仮装して、楽しむカルチャーに馴染みはないが、子ども達は結構楽しんでいるのでいいイベントなのかとは思う。夕方お菓子をもらって喜ぶ子ども達を眺めながら、仕事でテンバッてる自分があまりに好対照なので苦笑してしまった。
仮装して、楽しむカルチャーに馴染みはないが、子ども達は結構楽しんでいるのでいいイベントなのかとは思う。夕方お菓子をもらって喜ぶ子ども達を眺めながら、仕事でテンバッてる自分があまりに好対照なので苦笑してしまった。
ふと考えた。いい事とは、家族が皆健康で、他の家族もハッピーになって行く事ではないかと。これは基本的な考えのはずだ。いま私の家族は皆健康だ、その意味ではいい事が起きている、それを忘れてはいけない。
本日教会での聖書の箇所。本当に悪者とされていた徴税人の方が義とされたとあり、意外感があるのでは。高ぶるのはいけないとの教訓。
ルカによる福音書18章
自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話になった。
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人(びと)であり、もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲(どんよく)な者、不正な者、姦淫(かんいん)をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人(つみびと)のわたしをおゆるしください』と。
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人(びと)ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
雨が降っていたが今日は1万歩をしっかり歩いた。
今週はそれでもまだ45,000歩。日曜日の大雨は痛い。明日も台風の影響で雨だが、25,000は歩かないといけない。台風は言い訳にならない。
今週はそれでもまだ45,000歩。日曜日の大雨は痛い。明日も台風の影響で雨だが、25,000は歩かないといけない。台風は言い訳にならない。
出勤途中に溜息を付いてしまった。
と、同時にふと思った。
楽しくないなら仕事をやめたらいい。
嫌な事をやっていても仕方が無い。
今日は楽しいはずだ。
私の気持ちの持ち用で一日が変わる。
せっかくだからおもいっきり楽しんで行こう。
と、同時にふと思った。
楽しくないなら仕事をやめたらいい。
嫌な事をやっていても仕方が無い。
今日は楽しいはずだ。
私の気持ちの持ち用で一日が変わる。
せっかくだからおもいっきり楽しんで行こう。
朝起きてみたらまだ軽い倦怠感を感じる。なぜだろう? 歩く以外にも運動しないといけないのかもしれない。体重が重いところで定着しているのが体全体に悪影響を及ぼしているかもしれない。あるいは飲酒の影響か。先週体調がイマイチだった時にビールを飲んだら体調が良くなったと感じた時がある。これは明らかにおかしい現象だ。今年はまだ人間ドックに行ってないので予約をしないと。
長男と歩く。フェンシングスクールにも行き来週から習うことに。先生にも挨拶した。オリンピックに出れたらラジコン100台プレゼントすると言ったら飛んで喜び、指せんぼさせられた…とても単純な子で,好感が持てる。
頑張ってもらいたいものだ。
頑張ってもらいたいものだ。
利根川進の今日の「私の履歴書」からも学ぶ的点が多い。研究の糸口が見えてきた時に契約が切れてしまったが、「この実験をここで止めてしまったら人類にとって大変な損失になる」と言って給与が払われないなか研究を続け成果を出したようだ。必死に働くとはこのようなことだろう。