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日本近代文学の森へ 236 志賀直哉『暗夜行路』 123  書かない 「後篇第三  十五」 その2

2023-02-02 13:43:45 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 236 志賀直哉『暗夜行路』 123  書かない 「後篇第三  十五」 その2

2023.2.2


 

 自分の意志を明確に示すことをはばかるのは、日本人の特性らしいが、謙作がずるずる末松につきあって、芸者の元へ行ってしまうのも、謙作の中に「明確な意志」がなかったからだともいえるだろうが、しかし、意志の問題というよりは、欲望の強さの問題のようにもみえる。「意志」で何でも解決できるなら、人間も楽なものである。


 謙作は早く直子の所へ帰りたかった。十二時過ぎまで、家を空けた事がなかったから心配していそうにも思えた。が、やはり彼は一人先へ帰る事も出来なかった。
 寝静まった町を五人は安井神社の境内を抜けて帰って行った。脊の低い、癖毛の、ちよっと美しい芸者が何か末松に椰楡(からか)いながら暗い路で謙作の手を握った。謙作は握り合した手をそのまま自分の二重まわしのボケットに入れ、女の肩を二の腕に感じながら歩いた。彼は前夜直子との散歩で同じ事をした。そして、今、芸者とそうしながら、彼はやはり眠らずに待っている直子の上を考えた。握り合した手は両方で握締めなかった。そして何時(いつ)か、何方(どっち)からともなく離してしまった。


 まあ、こんな隠微な時間がしばらくながれ、謙作は、酔っ払った末松に引っ張り回された挙げ句、夜中の二時を過ぎてようやく家に帰った。

 家に帰るまで、謙作が結局直子を裏切る行為に及ばなかった理由を、こんなふうに書いている。

 


 謙作にはこれまでのそういう習慣から、それほど貞節である良心もなかったが、そういう事で、末松の前に妻を侮辱する事が何となく厭だった。妻を侮辱する事は間接に自身を侮辱する事だった。このむしろ主我的な心持からも彼はやはり帰ろうと思った。間もなく俥(くるま)をいい、寒い風の吹<往来を遥々(はるばる)衣笠村の方へ帰って行った。

 

 妻は裏切りたくないし、それを末松にも見られたくない。けれども、一番の理由は、妻を裏切る行為は、自分自身を侮辱する行為なのだ、ということ。どこまでも「主我的」(つまりは自己中心的)な謙作なのである。

 それにしても、煮え切らない謙作の心だ。やたらと指示語が多く、ぐだぐだとしたあいまいな表現で、イライラさせられる。それは、謙作の心のありかたをかえって端的に表しているともいえるだろう。

 帰宅する謙作と、迎える直子と仙のを描く段となると、うって変わって簡潔、明快な表現となる。こうした切り替えが実に見事だ。


 二時を過ぎていた。椿寺の前で俥を乗捨てると、一町余りの路を彼は走った。そして家の十何間か手前まで来て、走るのを止めると息を切りながら彼は何気なく咳をした。その咳で直子が急いで茶の間を出て来るのが女中部屋の硝子窓を透して見られた。
 「婆ァや。旦那様がお帰りだよ」こう大きな声でいうのが、彼の所には遠く小さく聞こえて来た。
 謙作は門を開ける間(ま)も待たず、苗木のまばらな、まだ低い要冬青(かなめ)垣を跳び越えて入って行った。
 台所口を開け、直子が飛び出して来た。
 「ああ、よかった、よかった」といい、直子は両手で《とんび》の下の手を探し、それを握り締めた。
 「寝ていればいいのに」
 茶の間へ来ると直子は直ぐ前へ廻り二重廻わしのホックやボタンを忙しくはずしながら、
 「私ね、貴方(あなた)が路で倒れていらっしゃるかと思ったの……」といった。
 「奥さんのまた、阿呆らしい事をおいやす」と次の間から仙がいった。
 「婆ァや、本統だよ──婆ァやにそういわれるんですけど、本統に心配しましたわ。まあ、よかった、よかった」
 「馬鹿だね。俺が行倒れになってると思ったのか」彼は笑った。
 「そうよ」
 「一時頃にこれから尋ねにいて見よう仰有(おっしゃ)って……そんな事したかて、何所(どこ)へおいきやしたも知れへんのに」仙は次の間で茶を淹れながら笑った。
 「もう茶はいいよ。早く寝るといい」謙作は直ぐ寝間着に更え、寝室に入った。直子は彼の着物を畳みながら、妙に亢奮(こうふん)していた。そして「よかった」という言葉を頻(しき)りに繰返しながらよく笑った。謙作は枕に頭をつけ、その方を向いてその晩の話をしたが亢奮している直子はそれを聞こうともしなかった。

 


 直子と謙作の言動も生き生きと描かれているが、注目すべきは仙である。志賀の京都弁の再現の緻密さは、杉本秀太郎のお墨付きだが、ほんとうに、仙の言葉は生き生きとしている。

 「手を握り締める」場面が、3回出てくる。手を握る相手は、1回目は直子、2回目は芸者、そして3回目はまた直子である。そして、それぞれの場面が、握る者、握られる者の気持ちのありようを反映していて、その3回に描かれる心情が、響き合っている。芸者の手を握るとき、謙作は直子の手を思う。帰宅した謙作の手を直子が握るとき、謙作は、芸者の手を思う、というように。

 「謙作は枕に頭をつけ、その方を向いてその晩の話をしたが亢奮している直子はそれを聞こうともしなかった。」とあるのが問題である。

 直子は、なぜ謙作の帰りがそんなに遅くなったのかの見当はついているだろう。だから、ほんとうは、ふて腐って寝てしまっていてもいいし、帰った謙作をなじってもいいのだ。しかし、直子は謙作の無事だけをひたすら喜んで、亢奮している。そのあどけない直子を見て、謙作は「その晩の話」をしたのだろうが、いったいどこまで話したのだろう。裏切らなかったのだからという安心感で、手を握った、ということまで話したのだろうか。

 直子の無邪気にみえる喜び方は、実は、自分の不安や嫉妬を忘れるための偽装であるのかもしれない。直子が謙作の「その晩の話」を「聞こうともしなかった」のは「亢奮していた」からではなくて、聞きたくなかったからではないのか。「聞かないための亢奮」だったのではないのか。

 そういう疑念を読者は持つが、作者はそこを書かない。書いてないからといって、ここでの直子の喜びを、純粋な「よかった」だけで、済ますわけにはいかない。山で遭難した亭主が、無事に戻ってきたのなら、それでいいかもしれないが、芸者遊びをして(あるいはしかかって)深夜に帰宅した亭主である。「よかった」だけで済むはずはないのである。

 しかし、志賀は頑として書かない。その後日談もあらばこそ、この「十五」章は、これで終わってしまう。そのため、「聞こうともしなかった」直子の心情が、余韻としていつまでも残るのだ。

 そして次の章「十六」は、「謙作夫婦の衣笠村の生活は至極なだらかに、そして平和に、楽しく過ぎた。」と始まる。

 

 

 

 


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