スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

国民背番号による社会統計データベースの作成

2005-06-30 08:39:03 | コラム
スウェーデンの大学教育庁が2003年と2004年に発表した報告書「大学卒業者の労働市場でのその後」を先週読んだ。

スウェーデンでは1993年に大規模な大学制度改革を行い、バブル崩壊後の大不況の真っ只中にもかかわらず、主要6大学の拡大、および地方大学の新設や拡充がなされた。来るべき“知識社会”の到来に備えるために、国富の新たな要(かなめ)である人的資本に大規模な投資を行う時機がきた、というわけである。その結果として、その後から現在に至るまでに大学の定員は増え続けてきた。大学生の数で見れば、なんと1990年比で2倍にも膨れ上がった。

知識社会の到来に備えて、という目的は、いかにももっともらしく聞こえるが、果たしてそれが社会や経済全体にとって、さらには学生として学んだ個人にとって、プラスの効果が現れているか?ということが私は以前から気になっていた。例えば、大学の容量ばかりを増やしたはいいものの、卒業しても職がないのでは何の意味もないし、就職を無事果たしたとしても、大学で学んだ技能が生かされないような職しかないのでも意味がない。または、高卒でもできる仕事を大卒が奪ってしまったのでは、高卒にとってもかわいそうだし、せっかく国費をつぎ込んで行った大学教育も無駄に終わってしまう。(以前にも少し書いたように、スウェーデンの95%の大学が国立で、残りは財団立。いずれの大学に通うにしろ、授業料はタダで、しかも親の所得にかかわらず、学生の生活費として補助金と低利ローンが国から支給される。)

私がこう思ったのは、一つには日本の大学教育からの連想があるからだと思う。つまり日本では、特に人文系で大学学部教育が有名無実化し、卒業証書だけのために4年間多額のお金を個人も社会もつぎ込んでいる気がする(浪費といっては言いすぎか・・・?)。各都道府県に国立大学があり、さらには無数の私立大学が全国にあるが、そこで行われている教育の中身自体が個人の将来に、そして社会の生産性にどこまで生かされているのか、私は常に疑問に思っている。だから、スウェーデンもこの二の舞になっているのでは、という気がしていた。

二つ目には、現在の世界的な産業構造転換の流れ中で、生産性が比較的低く、熟練技能を必要としない職が途上国に移っていく一方で、スウェーデンが比較優位を持てそうな高付加価値を生み出す産業がなかなか生まれてきているようには見えないことだ。

これまでスウェーデンで生活してきた中で、そして様々な文献にあたってきた中で分かったことは、第一点目に関してはスウェーデンは私の杞憂に過ぎない、ということだ。そもそも、スウェーデンの大学教育制度と労働市場との結びつきには、日本には見られない面白い特徴があり、これはまた別の機会にここで紹介したい。

先週読んだこの報告書によると、95年から02年に学位を取得した者のそれぞれ一年から一年半後を追跡調査したところ、その時々の景気状況によるものの平均して70%から85%のものが、職に就き、ある一定水準以上の所得を得ている、ということだ。しかも、大学で学んだことに関連する職や学位を必要する職についているものが大部分であるらしい。もちろん、これは“平均”の話であって、技術系・医療福祉系の卒業生の就職率と職務内容のマッチ率が高い反面、人文・芸術系などの一般教養的要素の強い学部の出身者はこの率が低くなる傾向がある。(このような労働供給と需要のミスマッチに関しては、大学教育庁が各大学に指針を示し、該当学部の定員の是正をするように促している)これらから数年にわたって1940年代ベビーブーマーが定年退職を迎えるにあたって、熟練労働者に対する労働需要が高まり、就職率とマッチ率がさらに高まるであろうことも考え合わせれば、大雑把に言ってスウェーデンの人的資本投資計画は、いい方向に進んでいるようだ。

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ところで、この報告書の調査の仕方が面白い。卒業生に対して、どうやって追跡調査をしたかというと、サンプル抽出によるアンケート調査ではなく、実は毎年30000人を超える卒業生の全数調査。もちろん、人口が日本の7.5%しかないような小さな国だから、ということも言えるが、むしろ国民背番号が大きな役割を果たしている、と言えそうだ。

大学の学生の所属や学位取得などの情報は各大学が大学教育庁のデータベースに登録する。住民票登録は税務署が一括管理している。各個人の所得内容も税務署が税金計算のために把握している。職の有無は、この所得情報からも分かるが、これとは別に労働市場庁が、失業者(=雇用保険受給者)を正確に把握しているのでここからも分かる。生活保護受給者の情報は、社会保険庁が把握。これら、それぞれのデータは国民背番号によって管理されている。そして、これらの断片的な情報を国民背番号によってすべてリンクすることによって、大規模なデータベースが完成する。だから「X年にY学部の学位を取得した~さんが、1年後には失業中で、Z年後からAクローナの労働収入を得はじめたけれど、B年後には再び失業状態になり、C年後からは生活保護の給付を受ける」となんていう一連の詳細情報が完成するのだ。これをすべての調査対象(つまりこの場合は、ある特定年の卒業生)について行うのだ。しかも、それぞれ行政機関が把握する断片的な情報は、ぞれぞれの別の目的で収集され蓄積されたものであるから、今回の大学教育庁の追跡調査のために特別な費用をかけて収集されたものではない。つまり、コストが安い。

個人情報がこんなに簡単に集約されるとプライバシーの問題があるのでは、と思われるかもしれないが、大規模なデータベースの作成においてはスウェーデンでは次のような注意がなされているようだ。つまり、断片的な統計を集約するのは、中央統計局の少数の人間が行う。彼らが、各行政機関から送られてくる統計を国民背番号をもとに連結していくが、彼らには重度の守秘義務が課せられる。つまり、外部への持ち出し一切禁止など。すべての統計の連結が終わり、大きなデータベースを完成させた後に、そのデータベースから個人札(国民背番号)の部分を切り離し、すべての個人データ(observation)を無名化(anonymous)する。つまり、どのデータが誰のものか特定できなくする。そうした上で、晴れて研究者の手に渡るのである。

こうすれば、サンプルに対するアンケート調査よりも比較的安上がりで、大きな社会調査が可能になる。この点だけを見れば国民背番号はこういう役の立ち方もしている。

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