いい加減な審査による貸出や安易な信用供与が日常茶飯事に行われていた。その結果、既に触れたように、ラトヴィアでは2005年頃から貸出残高が毎年50-60%という速さで急激に増えていった。また、スウェードバンクがバルト三国で貸し出した残高の合計は2006年までに1300億クローナ(約1兆7000億円)に上っていた。
ラトヴィアの首都・リガ
もちろんスウェーデン系銀行によるこれらの悪徳商法はスウェーデン政府の責任とは言えない。全体主義の国ではないので、政府が個々の企業の業務活動を自由にコントロールできるわけではないからだ。政府の役目であり責任とは、市場や社会をうまく機能させるための法令や条件整備といった枠組みを作り、その土俵の上で各個人や企業にプレーをさせるというものだ。その上で、定期的にチェックを行ったり、違反行為があれば罰する。
しかし、政府の権限は自国の国境内にしか及ばない。80年代後半の金融緩和政策に伴うバブルの苦い記憶があったからこそ、国内では金融機関に対する厳しい監督が行われていた。しかし、自国の銀行が国外に出てしまえば、そこでの「土俵」を整備している相手国の政策の監督を受けるということになる。
(ちなみに、いくらスウェーデンの企業が自国政府の目の届かない国外で活動をしたとしても、好き勝手できるというわけではない。労働環境や児童労働、環境汚染などの面で問題がある操業活動をしている企業があれば、スウェーデンのNGOやメディアがすぐに大きく取り上げ、企業の責任を追及したり改善要求を突きつけることになるからだ。監視の対象は、企業だけに限らない。数ヶ月前には、スウェーデンの年金基金のお金が、環境汚染を行っている外国企業の株式に投資されていることがメディアを通じて明るみになり、公的年金基金はその株を売却するという出来事があった。だが、スウェーデンの金融機関による国外でのずさんな経営については、鋭い目を光らせて監視するNGOもメディアも残念ながらなかったようだ。)
では、バルト三国の金融監督行政や経済運営の責任者は何をしていたのだろうか?
既に触れたように、市場全体がバブルに沸き立っている中、個々の銀行や行員には自分だけが貸出を控えようなんていうインセンティブは働かない。だから、目先の利益から切り離された「マクロ」の視点から経済を運営していく人たちの存在が重要となる。行政がその一つだ。
しかし、ここに大きな問題が実はあった。バルト三国は90年代初めにソヴィエトから独立した新しい国であり、それまでの知識層はソヴィエト式の教育を受けていた。だから、経済の教育を受けたといっても、市場経済を基礎にした欧米型の経済学・経営学ではなかった。そのため、新しい市場経済のもとで経済運営ができるエキスパートを雇おうと思えば、外国から専門家を招いてくるか、独立後に西欧やアメリカで教育を受けてから本国に戻って金融機関で働いている自国の若い世代に頼らざるを得なかったのだ。
その結果、首相直属の経済諮問委員や経済運営アドバイザーは、主に民間の金融機関で働くエコノミストで占められることになった。そして、彼らの多くはもちろんスウェーデン系の銀行からだった。例えば、ラトヴィアの首相直属の経済諮問委員はスウェーデンの銀行であるSEBとスウェードバンクのラトヴィア子会社のチーフ・エコノミストだったのだ。
つまり、スウェーデン系の銀行は、経済運営において直接的な政治的影響力を持っていたということなのだ。言い換えれば、サッカーのプレーヤー自身が、ルールを作ったり審判をしたりする立場にいたということになる。目先の利害関係に深く足を突っ込んだ彼らに、客観的な立場から経済運営のアドバイスができるとは考えにくい。
――――――――――
そんな中、バルト三国の経済は構造的な問題が顕著になりつつあった。
ラトヴィアでは賃金が5年のうちに3倍にも上昇していた。しかし、この上昇は主に金融・資産バブルに支えられたものであって、労働生産性の上昇を反映したものではなかった。そのため、インフレ(物価上昇)となって経済に跳ね返ってくることになる。ラトヴィアのインフレ率をEUの統計で見てみると、6.2%(2004年)、6.9%(2005年)、6.6%(2006年)、10.1%(2007年)、15.3%(2008年)とかなり高い。
これに対して、他のヨーロッパ諸国のインフレ率の平均はこの時期、だいたい2%から2.5%だった。ということは、インフレ率の違いを反映して為替レートが調整され、ラトヴィアの通貨であるラッツが切り下がっていくことになる・・・・・・。
NO! 実はラトヴィアは、ユーロ加盟を視野に入れ、早くも2008年にはユーロを正式な通貨として自国に導入しようと考えていたため、ユーロとの固定相場制を採用していた(正確には±1%を許容範囲とするペッグ制)。
だから、国内の高インフレ(ユーロ圏に対する相対的な高インフレ)はそのまま自国経済のコスト上昇につながることになる。そして、これは国際競争力の低下を意味することになる。
(例えとして、アメリカと日本が1ドル=100円で相場を固定させていたとして、アメリカのインフレが0%、日本のインフレが10%とすれば、ある年に両国で同じ値段だった商品が、一年後には日本での価格がアメリカよりも10%と高くなっているということになる)
つまり、2004年からの5年間に、ラトヴィアの国際競争力は年率4%~11%も低下していたということなのだ。もし、変動相場制であったのならば、インフレ率の違いは為替相場で調節されラッツ安に動いていたであろうから、ここまで大きな問題はなかった。しかし、固定相場(ペッグ)制であったために、そのメカニズムが働かなかったのだ。(続く・・・)
そろそろ・・・!?
ラトヴィアの首都・リガ
もちろんスウェーデン系銀行によるこれらの悪徳商法はスウェーデン政府の責任とは言えない。全体主義の国ではないので、政府が個々の企業の業務活動を自由にコントロールできるわけではないからだ。政府の役目であり責任とは、市場や社会をうまく機能させるための法令や条件整備といった枠組みを作り、その土俵の上で各個人や企業にプレーをさせるというものだ。その上で、定期的にチェックを行ったり、違反行為があれば罰する。
しかし、政府の権限は自国の国境内にしか及ばない。80年代後半の金融緩和政策に伴うバブルの苦い記憶があったからこそ、国内では金融機関に対する厳しい監督が行われていた。しかし、自国の銀行が国外に出てしまえば、そこでの「土俵」を整備している相手国の政策の監督を受けるということになる。
(ちなみに、いくらスウェーデンの企業が自国政府の目の届かない国外で活動をしたとしても、好き勝手できるというわけではない。労働環境や児童労働、環境汚染などの面で問題がある操業活動をしている企業があれば、スウェーデンのNGOやメディアがすぐに大きく取り上げ、企業の責任を追及したり改善要求を突きつけることになるからだ。監視の対象は、企業だけに限らない。数ヶ月前には、スウェーデンの年金基金のお金が、環境汚染を行っている外国企業の株式に投資されていることがメディアを通じて明るみになり、公的年金基金はその株を売却するという出来事があった。だが、スウェーデンの金融機関による国外でのずさんな経営については、鋭い目を光らせて監視するNGOもメディアも残念ながらなかったようだ。)
では、バルト三国の金融監督行政や経済運営の責任者は何をしていたのだろうか?
既に触れたように、市場全体がバブルに沸き立っている中、個々の銀行や行員には自分だけが貸出を控えようなんていうインセンティブは働かない。だから、目先の利益から切り離された「マクロ」の視点から経済を運営していく人たちの存在が重要となる。行政がその一つだ。
しかし、ここに大きな問題が実はあった。バルト三国は90年代初めにソヴィエトから独立した新しい国であり、それまでの知識層はソヴィエト式の教育を受けていた。だから、経済の教育を受けたといっても、市場経済を基礎にした欧米型の経済学・経営学ではなかった。そのため、新しい市場経済のもとで経済運営ができるエキスパートを雇おうと思えば、外国から専門家を招いてくるか、独立後に西欧やアメリカで教育を受けてから本国に戻って金融機関で働いている自国の若い世代に頼らざるを得なかったのだ。
その結果、首相直属の経済諮問委員や経済運営アドバイザーは、主に民間の金融機関で働くエコノミストで占められることになった。そして、彼らの多くはもちろんスウェーデン系の銀行からだった。例えば、ラトヴィアの首相直属の経済諮問委員はスウェーデンの銀行であるSEBとスウェードバンクのラトヴィア子会社のチーフ・エコノミストだったのだ。
つまり、スウェーデン系の銀行は、経済運営において直接的な政治的影響力を持っていたということなのだ。言い換えれば、サッカーのプレーヤー自身が、ルールを作ったり審判をしたりする立場にいたということになる。目先の利害関係に深く足を突っ込んだ彼らに、客観的な立場から経済運営のアドバイスができるとは考えにくい。
そんな中、バルト三国の経済は構造的な問題が顕著になりつつあった。
ラトヴィアでは賃金が5年のうちに3倍にも上昇していた。しかし、この上昇は主に金融・資産バブルに支えられたものであって、労働生産性の上昇を反映したものではなかった。そのため、インフレ(物価上昇)となって経済に跳ね返ってくることになる。ラトヴィアのインフレ率をEUの統計で見てみると、6.2%(2004年)、6.9%(2005年)、6.6%(2006年)、10.1%(2007年)、15.3%(2008年)とかなり高い。
これに対して、他のヨーロッパ諸国のインフレ率の平均はこの時期、だいたい2%から2.5%だった。ということは、インフレ率の違いを反映して為替レートが調整され、ラトヴィアの通貨であるラッツが切り下がっていくことになる・・・・・・。
NO! 実はラトヴィアは、ユーロ加盟を視野に入れ、早くも2008年にはユーロを正式な通貨として自国に導入しようと考えていたため、ユーロとの固定相場制を採用していた(正確には±1%を許容範囲とするペッグ制)。
だから、国内の高インフレ(ユーロ圏に対する相対的な高インフレ)はそのまま自国経済のコスト上昇につながることになる。そして、これは国際競争力の低下を意味することになる。
(例えとして、アメリカと日本が1ドル=100円で相場を固定させていたとして、アメリカのインフレが0%、日本のインフレが10%とすれば、ある年に両国で同じ値段だった商品が、一年後には日本での価格がアメリカよりも10%と高くなっているということになる)
つまり、2004年からの5年間に、ラトヴィアの国際競争力は年率4%~11%も低下していたということなのだ。もし、変動相場制であったのならば、インフレ率の違いは為替相場で調節されラッツ安に動いていたであろうから、ここまで大きな問題はなかった。しかし、固定相場(ペッグ)制であったために、そのメカニズムが働かなかったのだ。(続く・・・)
そろそろ・・・!?