琵琶湖哀歌

2019-04-08 01:19:49 | 懐かしのメロディー
琵琶湖哀歌




遠くかすむは 彦根城
波に暮れゆく 竹生島(ちくぶじま)
三井(みい)の晩鐘(ばんしょう) 音絶えて
なにすすり泣く 浜千鳥

瀬田の唐橋(からはし) 漕(こ)ぎぬけて
夕陽の湖(うみ)に 出で行きし
雄々しき姿よ 今いずこ
ああ青春の 唄のこえ

比良の白雪 溶けるとも
風まだ寒き 志賀の浦
オールそろえて さらばぞと
しぶきに消えし 若人よ

君は湖の子 かねてより
覚悟は胸の 波まくら
小松ケ原の 紅椿(べにつばき)
御霊(みたま)を守れ 湖の上



この曲は、1941年(昭和16年)4月6日に琵琶湖でボート練習中に突風のため転覆し水死(琵琶湖遭難事故)した第四高等学校(現・金沢大学)漕艇部の部員11人を悼んで作られ曲だそうです。

メロディーはゆったりとしたワルツ調ですし、それに乗せた歌詞は七五調ですから、全く古い歌謡曲。

しかも、固有名詞がやたら多いので、耳から入っただけではピンと来ないかも知れませんね。

しかし、謂れ因縁を聞いて聴くと、ありありと情景が脳裏に浮かび、それなりに感情移入してしまいそうな歌詞でもあります。

ところで、この事故の概要ですが・・・

春休みを利用して滋賀県大津市に合宿していた金沢第四高等学校(現・金沢大学)の漕艇部員8名は、京都大学の学生ら3名を加えた合計11名で、高島郡今津町(現・高島市)の琵琶湖畔からボートに乗って午前7時頃出発した。
しかし、午後6時になっても戻らなかったため、翌4月7日朝より大がかりな捜索が行われる。
結果、午前10時頃に定置網にかかったオールが、更に午後2時頃には漕艇部員の持ち物と思われる下駄が発見されるなど、11名の生存は絶望視された。(11名全員の遺体が発見されたのは2ヶ月後)
事故の原因は、春に起こる琵琶湖地方特有の突風比良八荒であると言われている。

という遭難事件です。

1941年(昭和16年)と言えば、あの太平洋戦争が勃発した年。

戦争に行かずに死んだ若者たち、戦争に行って死んだ若者たち、なにすすり泣く浜千鳥・・・といったところでしょうか。

あれから70余年、戦争に行って死ぬということはありませんが、代わりに、社会によって抹殺されたり、されかかっている若者、そして老人が増え続けています。

浜千鳥に泣き止むときが来るかしら・・・・・。





































































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