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とつぜんSFノート 第91回

 福島正実氏と柴野拓美氏。このお二人、日本SFの大恩人だといえば反対する人はいないだろう。このお二人がいなければ、日本SFはあっただろうか。例えあったとしても、今の日本SFとはまったく違う形になっていたのではないか。
 この二人、両雄並び立たずというか、小生は伝聞やウワサでしか知らないが、良好な関係ではなかったようだ。SF関係の古い写真などを目にすることがあるが、この二人がツーショットで写っている写真は見たことがない。
 柴野氏は、星群祭やSF大会などのイベントで、たびたびお会いし、言葉も交わしていただいたこともあり、その人となりは、小生はよく存知上げている。
福島氏は一度もお会いしたこともないし、お姿をお見かけしたこともない。だいたいが、福島氏は、小生が参加するようなSFのイベントなどには、出てこられない。したがって、小生が知っている福島氏は、さまざまな記事、あるいは福島氏が編集長在任中の古いSFマガジンに同氏が書いた文章で知った福島氏である。
いま、この記事を書くために、SFマガジン1976年7月号を読んでいる。この号には、福島正実追悼企画が掲載されている。福島氏はこの年の4月に亡くなっている。この追悼企画で福島氏の短篇「過去への電話」「終わりの日」「ロマンチスト」が掲載されているが、その短篇を読んで改めて思った。SFのオニと呼ばれる福島氏ではあるが、福島氏自身の書く作品は、文学志向が強い。福島氏の書くSFには本格ハードSFはない。これは意外に思った。SFのオニが書くSFである。グレッグ・イーガンもかくやと思うようなガチガチのハードSFかと思うが、これが、私小説っぽい雰囲気すらただよう純文学といっていいSFである。
柴野氏は東京工業大学出身で、高校で数学の先生をやっておられた。理系である。たいへんにハードSF志向の強い方だった。ではあるが、主宰されている同人誌「宇宙塵」には、ご自身の志向とは少し外れたSFも、良いモノならば掲載される柔軟性も持っておられた。
いうまでもないことだが、柴野氏は同人誌「宇宙塵」を創刊され長年にわたって主宰されてきた。この「宇宙塵」をゆりかごとして日本のSFは生まれ育ち巣立っていったといっていい。第1世代、第2世代の日本のSF作家のほとんどが、この宇宙塵の同人であった。第1回日本SF大会の実行委員長は柴野氏であった。柴野氏は日本のSFのプロを育てたのと並行して、日本にファンダムをつくり、SFファンをも育てたのだ。
 柴野氏は自分のことを、あくまでSFのアマチュアである。いちSFファンであるといっていた。SFのアマチュアであることの矜持を生涯持ち続けた人であった。
福島正実氏は営利企業である出版社の社員だ。それまで商売にならないとされていたSFの出版を、日本で始めて軌道に乗せたのは福島氏である。ハヤカワSFシリーズを立ち上げ、SFマガジンを創刊させ、SFの商業出版を定着させたことは福島氏の大きな功績である。
福島氏は柴野氏と違いプロのSF者である。会社に利益をもたらし、執筆者に原稿料を払い、SFでメシが食えるように算段じなくてはいけない。福島氏はSFのプロであることの矜持を持ったSF者であった。
福島正実氏と柴野拓実氏。文学志向と科学志向。アマとプロ。ファンと出版社、同人誌と商業誌。あらゆることで対照的な二人。日本のSFにとって、二人は車の両輪なのだ。どちらが欠けても、今の日本のSFの隆盛はない。    
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トラキチ酒場せんべろ屋 第32回

「ナゴヤドームが呪いの館なんてゆうのんは、もう昔の話やな」
「そやな。きょうなんか快勝やな」
「しかし、中日も弱くなったもんやな」
「昔は阪神と優勝争いしとったのにな。なんでやろ」
「落合がいのなったからちゃうか」
「確かに落合中日強かったな」
「うん。そのかわりおもろなかったけどな」
「そや、強いけど落合じゃ客呼べる野球でけん」
「強いけどおもろない。弱いけどおもろい。おまえ、阪神はどっちがええ」
「そら、強くおもろいのや]
「そら当然や。さっきの質問の答えは」
「ワシ楽しみのために阪神見とんのやから、おもろいのが1番や」
「そっか。強いのんは2番でええねんや」
「それもちょっと困るな」
「どっちやねん」
「強くておもろいのんや」
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