86でスマホデビューする母の好奇心も大したものだけれど、やはり
日々のそらのそれは ピカイチだと思います。
目新しいものがあると 気になって仕方ない。
・・・おや、初めてみるな このバッグ。 どれどれ どんな具合かな?
・・・中はどんなかな? ぼくが使い勝手を見てあげる。
あちらこちらを丹念に見て回り、研究に余念のないそらでした。
*
ところで先日、友達のお父様が90を越えて、大往生を遂げました。
どのような最期を迎えたかというような話を一通りした後、友達がこう続けました。
「火葬のときにひと騒動あったの。」と。 いざ遺骨を納めようとしたら
骨壺に記された享年が間違ってお母様の年齢になっていて、一度それに納めはしたものの
後日あらためて用意した壺に入れ替えたというのです。
一連の儀式をおえて、葬儀社の人が間違えた方の壺を引き取って行こうとしたところを、
捨てるのは忍びないからと 置いていってもらったそうです。
さてその壺、何に使ったものか。 ・・・そう考えるところから すごいと思うけど
お母様は、ぬか漬けをするのにどうかと言ったけれど、深すぎて断念。
友達がそれならと 「もし万一私が先に逝くようなことがあったら、私が使う。
その時には書かれた文字はマジックで二本線を引けばいいから。」と言うと
お母様は真面目な顔で、「白いペンキを塗ればいい」とおっしゃったんだとか。
ふふふ お父様はこのやりとり、雲の上からどのようにご覧になったことか。
お母様も必ずや大往生なさるでしょう。 なんとも楽しいご家族です。
・・・・・ちなみに友達は、「骨壷の再利用の方法」を募集したいと言ってました。
*
それにしても、ヒューマンエラーというのは思わぬところで起こるものです。
ほほえましくやり過ごせることならば、後の笑い話で済むけれど・・・
東海村ではまた放射能漏れがあったとか。十数年前の臨界事故を思い出しゾッとしました。
放射能被曝とはどれほど恐ろしいものか。
体中の細胞が再生されないまま、死ぬまで生き地獄が続くと言います。
それほどまでの恐ろしさを経験していながら、人はまたエラーを繰り返す。
想定外のことではなくて、単純なミスで・・・
私には、原発は人間の能力を越えた産物のように思えます。
どんなに厳しい安全基準を満たしても、それを制御するのは人ですから
続ける以上 また事故かおこる。 それでもなお「止める」決断を渋る。 渋るどころか
民間有識者による提言という名の下、裏では政府が関与して「責任ある原子力政策の再構築」
などというまことしやかなものまで作って原発を誘導するとは。
提言した人は、何かあった時真っ先に駆けつけるなんてことをするはずはないのです。
「責任」が聞いてあきれます。 苦しむのは、現場とその周辺の人たち。
フクシマから3年、笑い話になりようがない深い傷がただ残る。 おろかな話です。
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