いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

アメとムチ 59編

2005年08月29日 08時05分38秒 | 娘のエッセイ
 今の大人も子供も、どうしてああも飴玉がすきなのだろうか。

 例えば、電車の中で飴をグループみんなに配りまくるおばさん達。授業中にこ
っそり飴をほおばる女子高生。会社でさえも、各課ごとに小さなキャンディーポ

ットが置いてあって、そこにはつねに色とりどりの飴玉がぎっしりと詰まってい
たりする。

私の両親も外出の際には、必ず飴玉をポケットに幾つか忍ばせることを忘れな
い。コンビにやスーパーには、人々の飴好きを証明するかのように、多くの
種類の飴が所狭しと並んでいる。

 けれども、私はその多くの飴の味を知らない。私は、飴があまり好きではないの
だ。だいたい私は”ながら食べ”という行為自体が好きではないし、特にあの飴玉
の甘ったるさを、お口の友にする気になんてなれない。

それに飴を食べた後には、なんだか頬の内側に砂糖粒がプチプチと残っている
ような感覚があって、落ち着かないのだ。

 飴の甘さが嫌いな私は、実は他人に対しても甘くなれないような気がする。
母親曰く「あんたは他人にも自分にも厳しすぎる」。思い返してみると、私は思春

期を過ぎた辺りから、親からアメを貰うことが少なく、ムチばかり貰っていたよう
な気がする。

その為か、現在では両親のことをかなりクールに、かつ客観的に観察する癖が
ついてしまった。

 親にしてみれば、いわゆる「愛のムチ」であって、批判は心外のようだが、今と
なっては仕方がない。味わっていない甘さを人に伝えるのは困難なことだ。

 人のことを思いやる時、徹底的に甘やかす人と突き放す人がいるとしたら、私
は後者のほうだろう。そのやり方の一番の被害者は、私の周りの男達だろうと

思うのだが、彼らは私の親ゆずりの「愛のムチ」をたくさん受け止め、確実に強さ
を増してゆく。甘いだけがアメでも痛いだけがムチなわけでもない。

 甘い暴力的なアメや、痛くて甘い?ムチがあっても変じゃない。
 
コメント (1)
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