INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

愛をください(45)

2011年04月21日 |    ┣ 愛をください
(つづき)
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「蜷(ニナ)」とは、カタツムリの別名だとこれまで勝手に思い込んでいたのだが、調べてみたら、巻き貝の一種とのこと。


住宅も店舗も建て込んでいて決して「田舎」ではないのだが、バス停の標柱は片側にしかない


行先案内にある下曽根駅前(←南口ではないほう)、曽根新田方面に向かうものは廃止となっている。


ひとつ西の「横代北町二丁目」では舞ケ丘方面から来る「5番」が合流し、「5番」のルート上には合流直前に「農事センター入口」があって湯川方面に向かう「28番」「11番」も停車し、さらに、すぐ北側を並走する国道10号の「湯川中学校前」にはサンリブシティから来た「13番」「93番」、都市高速経由の「110番」「138番」などがあり、地域としてみれば、小倉都心部に向けてそこそこの本数があるのだが、ここ「東蜷田」に停車するのは「38番」のみである。

このように、「目の前のバス停からの本数は限られているが、付近のバス停まで含めると結構たくさんある」という場合、“どこでバスを待つか”というのは一種の“賭け”のようなところがある。
最近は「バスナビ」も進化しており、うまく使いこなせば、“待ちぼうけ”や“取り逃がし”のリスクは軽減できるのだが、実際は、「今日はどこで待とうかな」みたいなことを考える人は少なくて、いつも決まったバス停で待つというパターンが多いのかもしれないけど(バスナビで、周辺バス停を含めて検索結果が表示されたりすれば、また状況も変わるかも)。

バスに「どこで乗れるのか」というのは、「どこで降ろされるのか」ということ以上に大問題である。
行きたいところの近くまで連れていってくれれば、想定していた場所と多少ずれたとしても、それはさほど大きな問題ではない(「数分後に同じバス停で乗り継ぎをする」とか「迎えに来ている人が居る」などの事情がない限り)。
これは、「どこで降ろされるのか」というのが、既にバスに乗っている人にとっての問題だからである。
一方で、「どこで乗れるのか」というのは、未だバスに乗っていない人にとっての問題であり、最悪の場合、“バスに乗れない”という可能性もあるため、この意味で、「どこで降ろされるのか」と比較して「どこで乗れるのか」は常に大きな問題だといえる。

…と、なんだかもっともらしいことを書いたのだが、実はごく当たり前のことではある。
ただ、この当たり前のことが、新路線やルート変更などを考えるうえで結構重要な要素となるし、また、論理学というか哲学的な側面もあって(ないですかね?)面白いと思う。

天神から香椎方面に行こうと思ったら、昭和通り東行きの「郵便局前」もしくは「天神三丁目」から乗るというのが長年定着していて、もしこれを変えるとなるとかなり大きな覚悟が必要になると思われる。
一方で、香椎地区から天神北ランプ経由の便が成立するのは、「どこで降ろされるのか」がそこまで重要ではないからだといえる。
逆に、もし「23B」などの夕方の一部の便を、「呉服町ランプ→蔵本博多五町→中洲→天神四丁目→天神北→天神北ランプ経由」に変更…などということが行われたら大混乱が起きるだろうしクレームも殺到することだろう(そういう変更自体が起こり得ないでしょうけど)。

他方、「天神から四箇田団地」でみると、昭和通り西行き、渡辺通り南行き及び北行き、国体道路西行き…と乗り場が分散してもそれなりに成り立っており(ここでの方角は実際の方角ではなく福岡仕様)、そういう意味では、東部方面の利用者と比較して西部方面の利用者のほうがバスを使いこなしていると言えるのかもしれない(乗り場を集約すべきと言いたい訳ではありません)。

70番台の昭和通りから明治通りへのルート変更は、先日考察したような内容も踏まえての大きな決断だったと言えるのかもしれない。
また、今後は、全体の便数が減少傾向を辿り、以前のように「どこで待っていてもそれなりにバスは来る」ということが当たり前ではなくなることから、乗り場の変更や分散がいま以上に行いにくい時代になると思われ、「どこで乗れるのか」という問題はさらに重要視されてくるのではないだろうか。
(つづく)


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2 コメント

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Unknown (Tokyo Chikushi)
2011-04-20 15:53:43
都心部で経由する道路の大きな改変、というのは過去にもいくつかあったと思います。

思いつくままに挙げてみると、
51、52番の野間線および月見町線の、昭和通りから明治通り(当時は貫線)への変更。月見町線はこれに加えて大学通りからバス専用道への変更がなされたかと。
2番金武線の明治通り(当時は貫線)から昭和通り(当時は五十米道路)への変更。
この二つを大きな「事件」として憶えていますが、ほかにも…
45番(当時の番号は?)諸岡線が貫線経由から住吉通り経由に変わったような気がしますが記憶は曖昧です。
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Unknown (soramame)
2011-04-21 18:55:52
Tokyo Chikushiさん、こんにちは。

51番と52番の昭和通り→貫線、2番の貫線→昭和通りは、いずれもどうにかリアルタイムで記憶があります。
前者は県庁移転のとき、後者は地下鉄部分開業のときだったでしょうか。

1番、2番、3番とある中で2番だけが昭和通りにとなり、なんだか仲間はずれにされたような印象が当時はありましたが、それからもう30年間が経ちました。
今後、天神~西新方面のバスの絶対数が減ってくれば、いずれは明治通り経由に戻るという事態が起こり得るかも?などと考えております。

>45番(当時の番号は?)諸岡線が貫線経由から住吉通り経由に変わったような気がしますが記憶は曖昧です。

46番竹下線が昭和通り経由だったということは聞いたことがあったのですが、45番も変わったんですね。

最近(といっても10年は経っていると思いますが)では、これは85番福博循環線廃止に伴い、愛宕浜・百道浜方面から都市高速経由で天神にやってくる300番台が、国体道路経由から住吉通り経由に変更になったことがあります。
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