![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/1c/cc15b97590a0ff27f2c30b2c746be614.jpg)
(つづき)
福岡県古賀市の「古賀駅南口」バス停。
JR古賀駅からは真東(反対方向のバス停はさらに北寄り)にあり、決して駅の南側にはないのだが、なぜか「南口」である。
駅により近い場所(駅の東口ロータリー)には、「133番」と「無番 グリーンパーク古賀行き」の起点である「古賀駅東口」のバス停があることから、既に「古賀駅東口」があったので仕方なく「古賀駅南口」になったのか?というと、そういう訳でもなく、バス停ができた順番としてはこちらの「古賀駅南口」のほうが先である。
このバス停の名称が、「古賀駅南口」であることに対し、私自身これまで、あまり違和感を持っておらず、ちょっと前に地図を眺めていてふと気がついたというのが正直なところだ。
なぜ違和感がなかったのか?と考えてみたのだが、私が福岡市西南部で生まれ育ったため、自分が居る場所を基準として「北に海があって、その手前で鉄道や都心につながる幹線道路が東西に走っている」という「感覚」が身に染みついているためではないかという気がする。
この「感覚」に基づけば、海(玄界灘)や鉄道(鹿児島本線や旧宮地岳線)、幹線道路(国道495号)との関係から、この場所が「南口」でも不自然ではない(不自然じゃないといくら言ったって間違っていることは事実なんですけどね)。
「絶対音感」と「相対音感」があるように、方向感覚にも「絶対方向感覚」と「相対方向感覚」があるといえ、私が持っている方向感覚は所詮「相対方向感覚」だということになりそうである(ただ、私自身「相対音感」には自信があるものの、「相対方向感覚」には大して自信はない…)。
このバス停に「古賀駅南口」と名付けた人は、どういう方向感覚を持っていたのか気になるところだ。
「古賀駅南口」には、古賀ローカルの「136番」が停車する(「古賀急行」は停車しません)。
バス停の行先案内には「136 古賀駅前」とあるが、先述の「古賀駅東口」に向かう訳ではなく、古賀駅南口→市役所前→古賀新町→古賀→古賀駅前というルートを通り、線路の反対側(メインの出入口)で終点となる。
なので、「古賀駅南口」でバスを降り、「古賀駅東口」を通って「古賀駅前」まで歩くと、さっき降りたバスよりも早く到着する場合がある。
(つづく)
福岡県古賀市の「古賀駅南口」バス停。
JR古賀駅からは真東(反対方向のバス停はさらに北寄り)にあり、決して駅の南側にはないのだが、なぜか「南口」である。
駅により近い場所(駅の東口ロータリー)には、「133番」と「無番 グリーンパーク古賀行き」の起点である「古賀駅東口」のバス停があることから、既に「古賀駅東口」があったので仕方なく「古賀駅南口」になったのか?というと、そういう訳でもなく、バス停ができた順番としてはこちらの「古賀駅南口」のほうが先である。
このバス停の名称が、「古賀駅南口」であることに対し、私自身これまで、あまり違和感を持っておらず、ちょっと前に地図を眺めていてふと気がついたというのが正直なところだ。
なぜ違和感がなかったのか?と考えてみたのだが、私が福岡市西南部で生まれ育ったため、自分が居る場所を基準として「北に海があって、その手前で鉄道や都心につながる幹線道路が東西に走っている」という「感覚」が身に染みついているためではないかという気がする。
この「感覚」に基づけば、海(玄界灘)や鉄道(鹿児島本線や旧宮地岳線)、幹線道路(国道495号)との関係から、この場所が「南口」でも不自然ではない(不自然じゃないといくら言ったって間違っていることは事実なんですけどね)。
「絶対音感」と「相対音感」があるように、方向感覚にも「絶対方向感覚」と「相対方向感覚」があるといえ、私が持っている方向感覚は所詮「相対方向感覚」だということになりそうである(ただ、私自身「相対音感」には自信があるものの、「相対方向感覚」には大して自信はない…)。
このバス停に「古賀駅南口」と名付けた人は、どういう方向感覚を持っていたのか気になるところだ。
「古賀駅南口」には、古賀ローカルの「136番」が停車する(「古賀急行」は停車しません)。
バス停の行先案内には「136 古賀駅前」とあるが、先述の「古賀駅東口」に向かう訳ではなく、古賀駅南口→市役所前→古賀新町→古賀→古賀駅前というルートを通り、線路の反対側(メインの出入口)で終点となる。
なので、「古賀駅南口」でバスを降り、「古賀駅東口」を通って「古賀駅前」まで歩くと、さっき降りたバスよりも早く到着する場合がある。
(つづく)
駅前まで行く場合、ここで降りて3度ほど競争しましたが、
走っていないのに、バスに負けたことがありませんw
西鉄の路線図、地図ではなく図示だった時代のものが、
我々の方向感覚に与えた影響は大きいと思います。
博多駅より藤崎の方が南にあることとか、
川端の商店街が南北というより東西に延びていて、
明治通りのバス停が「東」中州であることとか、
箱崎の九大で国道側に陽が沈むこととか、
いまだに理解しても感覚的にしっくりきません。
そうなのですか! そんな見方はあまりしてこなかったので、全く気付きませんでした。
この系統、この先の隘路区間を通すくらいならいっそのこと古賀駅東口発着でもよさそうですが、他の系統との兼ね合いを考えると難しいのでしょうか?
古賀新町あたりで乗り換え、という乗客は少ないでしょうし(私はやったのですが)。
趣味的には楽しい区間なので、今のままでよいのですがww
>駅前まで行く場合、ここで降りて3度ほど競争しましたが、
>走っていないのに、バスに負けたことがありませんw
私もこのときはバス停の写真などを撮ったりしていたにもかかわらず勝ちました(笑)。
>西鉄の路線図、地図ではなく図示だった時代のものが、
>我々の方向感覚に与えた影響は大きいと思います。
たしかに。
幼いころに食い入るように(笑)見ていたものから得た感覚は、そう簡単になくなるものではないですね。
Aokumoさん、こんにちは。
>この系統、この先の隘路区間を通すくらいならいっそのこと古賀駅東口発着でもよさそうですが、他の系統との兼ね合いを考えると難しいのでしょうか?
私も東口発着にすればよいのにと考えたこともあるのですが、136番は、131番の舞の里系統と比較して、「市役所経由」であることを売り(?)にしているので、難しい面があるのかもしれません。
それならば、東口を複乗して市役所発着でもよいのでは?と思いましたが、現在の全体の運用から考えると無理がありそうです。
鳥栖市のように「一から見直す」ようなことがあれば実現する可能性はありそうですけど。