続・知青の丘

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くまにち論壇「民族的誇りは持つべきだが」より

2014-02-05 20:05:59 | 俳句
五百旗頭 真(いおきべ・まこと、現・熊本県立大理事長、元防衛大校長)
の寄稿記事(平成26年2月2日付)だと思うのだが
感動したので、ブログに残しておきたいと思います。

五百旗頭氏の見解・主張は
いろいろと危うい昨今、
一番示唆に富みかつ必要とされる
「歴史に学ぶ」ということを具体的に提示していると思われる。

その文章を私なりに要約すると以下のとおり

歴史家トインビーは、諸文明の遭遇を研究し、
外部文明の挑戦を受ける社会には
二つの典型、ゼロットとヘロデ主義が登場するという。

ゼロットとは、
昔ユダヤにあった熱狂的愛国者集団。
選民思想を持ち、他国への屈従をよしとせず、
ローマ帝国が侵入してきたときマサダの砦に立てこもり、テロ活動を続行。
ローマ軍制圧の際、勝者の辱めを受けることを拒否し前夜に集団自決をして果てたという。

これについて氏は、民族的誇りの極致といえなくもないが、
視野狭小な誇りの暴走は集団的破局しかもたらさないという。
また、日本は先の敗戦でそれを再確認したはずであるという。

ヘロデ主義とは
ユダヤの王ヘロデが民族的に玉砕する悲劇を避けるためローマに協力しつつ
その支配を間接統治に留め、ローマの力の秘密を内側から学び取り、
長期的にローマから自立しようとしたことに基づく主義。

トインビーによれば(一応大学の授業で聴いた名前ではあるが、こんなことを言っていたんだ!!)
明治維新後の近代化日本はこの「ヘロデ主義の成功例」とされるそうだ。

五百旗頭氏は、
663年白村江の戦いに敗れた後の国土防衛網の確立と中国唐の文化を吸収しつつ
律令国家の建設をはたしたこともその例に挙げる。
ゼロットの魂を保ちつつ、ヘロデ主義の営みを成功させた素晴らしい例として。

以下本文抜粋
「白村江の敗戦後、黒船に国禁を破られた後、そして第2次大戦後の対応は、国難のどん底から再生バネを利かせて大躍進した輝かしい3局面である。白村江の戦いや第2次大戦が正しかったと言ってはいけない。それらは失敗であった。だがそれから教訓を学んで見事な躍進を遂げた日本を誇るべきである。敗戦に至る愚かな戦争そのものを神聖化する者に、学習と再生の歴史はやってこないであろう。」

読後に、爽快感があり希望がみえる。
そして、これは外部文明からの挑戦を受けた場合の国の対応について述べているわけだが
個人レベルでも組織や他人から攻撃・挑発などされた場合の対処の仕方でもあるような気がする。
歴史を学ぶとはこういうことだという明確な答えがここにある。

久々に偉大な文章を読み、胸がすく思いだった。

五百旗頭氏は69歳と出ているが
こういう方たちが戦後の日本をいい方向に導かれたのだと思う。
だんだんこのような方が少なくなっていくと思うと、
この先の日本がそら恐しい。

関係は薄いけど、第2次大戦中、こんなこともあったそうで・・・・

国の為重き努を果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき  栗林忠道中将

大本営に決別の電報を送った栗林の歌だが、
硫黄島決戦の総司令官だったため、
「散るぞ悲しき」では女々しいとして「散るぞ口惜し」と
長い間改ざんされたままだったそうです。
         『現代俳句』 2月号(平成26年)の「深い深い言葉の源を探して」(柳田邦男)より
  





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1 コメント

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Unknown (糸魚)
2014-02-05 22:24:49
過度な選民思想は、裏返せば排他的思想であるわけで…
まず頭に浮かんだのがヒトラーでした。国が不穏な情勢のとき、「独裁者」が「救世主」として崇められてしまうという恐ろしい集団心理がありますが、

民族と民族、そういう大きなスケールだけではなく、学校、会社、身内、ご近所…

どこでも有りうる話ですね。
「誇り」と「奢り」は違いますし、虚勢から発生した排他的選民思想の裏には必ず卑屈な精神性みたいのがあるような気がします。

そこと向き合い、そんな弱さを肯定できず、他人のせいにする、他国のせいにする、あいつらがいたから俺達は今こんなに損してる…こういう都合のいい発言は、時に集団を動かすすごい洗脳力があります。

「民族的誇りの名のもとに」殺人が正義になってしまう…繰り返さないためにも、普段から、他人、会社、社会、情勢、そんなものに振り回されたらフラフラしてしまうくらいのヤワい信念も、ちょっと突かれたらすぐ切れてしまうような張り詰めすぎのスローガンも、再度見直して、いざというときに決断を誤らないように凜としていたいものです。
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