(前回)
【161.水火 】P.9396、AD948年
『水火』とは文字通りには水(water)と火(fire)であるが、比喩的にいろいろな意味に用いる。例えば、大水に溺れたり、火事に巻き込まれ大やけどしたりという、災難に遭う事に喩えられる。
しかし、資治通鑑のこの部分で用いられているのは、仲の悪いこと、の喩えだ。
時は、五代の末、後周の初代皇帝である郭威が権力を握るきっかけになったことがある。それは当時、郭威をはじめとして、多くの将軍たちが後漢(五代)の第2代皇帝である劉承祐に仕えていたが、劉承祐はこれら古参武将を統率するだけの器量に欠けていた。それで、将軍たちは、皇帝の命令を無視し、軍隊を抱えたまま、動こうとはしなかった。とりわけ、都の近くにいた2人の将軍の間がいわば犬猿の仲であった。
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郭從義と王峻は都・長安の近くに陣地を構えていたが、兎に角、水と火のように仲が悪かった。
郭従義、王峻置柵近長安,而二人相悪如水火。
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ところで、古代ローマでも『水火』という熟語が使われるが、村八分を「水と火の権利を奪う」という。つまり、追放刑に処された者は村の水(井戸や川)を使うことを禁じられ、さらに、煮炊きするための火が消えても隣家からも付けてもらえないほど、峻拒されるということだ。
中国古典では『水火』以外に、仲が悪い喩えは『氷炭』とも言うが、『犬猿』とは言わないところからすると、中国の犬と猿は仲がよいのかもしれない。
(続く。。。)
【161.水火 】P.9396、AD948年
『水火』とは文字通りには水(water)と火(fire)であるが、比喩的にいろいろな意味に用いる。例えば、大水に溺れたり、火事に巻き込まれ大やけどしたりという、災難に遭う事に喩えられる。
しかし、資治通鑑のこの部分で用いられているのは、仲の悪いこと、の喩えだ。
時は、五代の末、後周の初代皇帝である郭威が権力を握るきっかけになったことがある。それは当時、郭威をはじめとして、多くの将軍たちが後漢(五代)の第2代皇帝である劉承祐に仕えていたが、劉承祐はこれら古参武将を統率するだけの器量に欠けていた。それで、将軍たちは、皇帝の命令を無視し、軍隊を抱えたまま、動こうとはしなかった。とりわけ、都の近くにいた2人の将軍の間がいわば犬猿の仲であった。
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郭從義と王峻は都・長安の近くに陣地を構えていたが、兎に角、水と火のように仲が悪かった。
郭従義、王峻置柵近長安,而二人相悪如水火。
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ところで、古代ローマでも『水火』という熟語が使われるが、村八分を「水と火の権利を奪う」という。つまり、追放刑に処された者は村の水(井戸や川)を使うことを禁じられ、さらに、煮炊きするための火が消えても隣家からも付けてもらえないほど、峻拒されるということだ。
中国古典では『水火』以外に、仲が悪い喩えは『氷炭』とも言うが、『犬猿』とは言わないところからすると、中国の犬と猿は仲がよいのかもしれない。
(続く。。。)