限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・84】『Senectus insanabilis morbus est.』

2015-03-29 14:50:18 | 日記
漢の武帝といえば、古代中国において最大の版図を獲得し、前漢の最盛期を現出した帝王である。秦の始皇帝に対してライバル意識をもったののであろう、極めて派手な遠征や土木・建築工事を行った。祖父の文帝、父の景帝の倹約によって充実した国富を散財し、すっからかんとなった。富と権力の頂点に立ち、何一つ不自由がなかったと思われるが、晩年になって、息子の戻太子が乱を起こし、自殺する結果となるなどの不幸が襲った。

武帝の作った『秋風辞』にその哀愁がにじみ出ている。
 秋風起兮白雲飛   秋風、起こりて、白雲、飛ぶ。
 草木黄落兮雁南帰  草木は黄落し、雁は南に帰る。
 蘭有秀兮菊有芳   蘭に秀あり、菊に芳あり。
 懐佳人兮不能忘   佳人を懐いて、忘る能はず。
 汎楼船兮済汾河   楼船を汎(うか)べ、汾河を済(わた)る。
 横中流兮揚素波   中流をぎり、素波を揚ぐ。
 簫鼓鳴兮発櫂歌   簫鼓、鳴りて櫂歌、発す。
 歓楽極兮哀情多   歓楽極りて、哀情多し。
 少壮幾時兮奈老何  少壮、幾時(いくとき)ぞ、老いを奈何(いかん)せん。


絶対君主である武帝でも最後の句に表現されているように、寄る年波には勝てなかったような悲哀感が伝わってくる。同じように、唐の詩人、白居易(白楽天)は「老与病相仍」(老と病は一緒にやってくる)と述べた。



中国では老年ともなると哀愁が漂ってくる感が強いが、ローマの弁論家キケロは、老年になって体は衰えても気構えだけはいつまでも若々しくしていることは可能だとして次のようにいう。
 Corpore senex esse poterit, animo numquam erit. (Cicero : "De Senectute", 38)
 (私訳:体が衰えることはあっても、心は決してそうはならない。)

しかし、ローマでも哲人・セネカが言うように、意気盛んであっても歳とともに体力の衰えは避けがたく、どうしても病気にかかりやすくなると嘆く。
 Senectus (enim) insanabilis morbus est. (Seneca : "Epistulae Morales", 108-28)
 (英訳: Old age is a disease which we cannot cure.)
 (独訳: Das Alter ist ja eine unheilbare Krankheit.)

セネカのこの言葉は老年期における病気に対する諦観ともいえるが、ラテン詩人のテレンティウス(Terentius)のコメディ「フォルミオ(Phormio)」には老年自体がそもそも病気だときっぱりと言い切る。
 Senectus ipsa est morbus. (Phormio 575)
 (英訳: Old age itself is a malady.)
 (独訳: Hohes Alter selbst ist eine Krankheit.)

私も壮年期からそろそろ老年期に入りかけている。キケロの言ではないが、精神的にはまだまだ衰えてはいないと思っている。これから歳を重ねても、なんとかセネカの言葉のレベルに止まり、テレンティウスや武帝のような弱気な言葉を吐かないようにしたいものだ。
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