限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第206回目)『人智がAIに及ばなくなった将棋と囲碁』

2017-06-11 22:17:26 | 日記
最近、将棋や囲碁のニュースに対する一般人の関心が異様に高まっている。

きっかけは、昨年(2016年)囲碁において、アルファ碁(AlphaGo)が韓国のトップ棋士の、李世ドル(イ・セドル)九段に四勝一敗の大差で圧倒したことであろう。私はもともと、将棋も囲碁も大好きなので、この対戦の行方には非常なる関心を持って注視していた。対戦棋譜が即座にウェブにアップロードされたので再現してみて、アルファ碁の強さを如実に思い知った。的確な表現ではないが、当代一級の李世ドルがあたかも若造の如く、老師に手ほどきを受けているような錯覚すら感じられた。もっとも、第4局でアルファ碁は、アマチュア低段者でも知っている「石塔しぼり」にみすみす嵌って、自滅した。それ以外は、まるで「蝶のように舞い、蜂のように刺す」かのごとく軽ろやかな石捌きであった。

しかし、トップ棋士がアルファ碁に惨敗したことはニュースでも大きく取り上げられたので、囲碁ファンだけでなく世間一般の人もその結果に関心を持った。その後、日本でも囲碁電王戦で、趙治勲と囲碁ソフトの「DeepZenGO」が対戦したり、今年になってアルファ碁との柯潔(カケツ)九段が対戦したが、これは囲碁ファンならともかく、一般にはもはや大きなニュースとはならなかった。

もっとも、囲碁ファンで棋譜を理解できる人にはこれらの対局を通じて、アルファ碁(や AIソフト)の凄さに心底驚いたが、囲碁を知らない人にとっては、人間が敗けたという結果は理解できても、アルファ碁の何がどう凄いのかについては理解できなかったであろう。それはあたかも、この世のものとは思えないおいしい食事を食べた人が、その旨さを言葉で伝えるような虚しさが伴う。いくら言葉を重ねたところで、一向に旨さが伝わらないと同じだ。



一方、将棋の場合は囲碁と異なり、ほぼ日本国内だけのゲームなので国際的とはいかないが、現在、巷間では中学生棋士・藤井聡太四段の連勝記録が毎日の如く伸びていることが非常な注目を集めている。連勝があとどれぐらい伸びるか、はたまた新記録を樹立するかどうか分からないが、ともかく大変な逸材がでたものである。

囲碁同様、将棋でも佐藤天彦名人が、電王戦でAI将棋のPonanzaに敗北したのは将棋ファンには大きな驚きだった。

第一局の棋譜は電王戦のサイトで見ることができるが、完敗であった。相撲に喩えてみれば、幕下のあんちゃんが横綱に立ち向かうも、まわしに手がかかる間もなくすんなりと土俵外に押し出されたような格違いの勝負であった。

第二局などはPonanzaは、初手・4二王という破格の手を指した。将棋を知っている人なら、この一手だけで、「もう勝ちました!」と Ponanzaが勝利宣言しているように感じたはずだ。

このように、囲碁においても将棋においても人智はもはや AIソフトに立ち向かうことができなくなってしまった。さすれば、人間のプロ棋士は廃業か、というとそうではないと私は思っている。というのは、ウェブのサイトにアルファ碁(AlphaGo)同士の対戦の棋譜が 20局アップされているが、それを幾つか並べてみて次のような感想を持ったからだ。

囲碁でも将棋でも、人というのはある特定の意思(あるいは作戦)をもって手を進めるものだ。つまり、着手は必ずしも最善でないにしても、棋士(打ち手、指し手)の意思が感じられる。それ故、棋譜には2人の棋士のストーリーが詰まっているのだ。しかるに、アルファ碁同士の対局では妙な所 ― 人間同士の対局では「ありえへん」場面 ― で手を抜くことがしばしば見られる。つまりストーリーが途絶するのである。その理由は、アルファ碁は目的関数の最大化だけで着手を選ぶからだ。つまり、アルファ碁同士の対局にはストーリー性(言い換えれば、情念)が全く欠落しているのである。翻って考えると、人間 vs. アルファ碁の場合は、アルファ碁は律儀にも人間の間の抜けた思考に付き合ってくれていたのではないかと感じる。

アルファ碁が最強の棋士より一枚も二枚も上手であるなら、人間もアルファ碁の真似をすればもっと強くなれるはずである。しかし、これは人間の脳細胞が現在のままである限り不可能事であると断言できる。

ところで、話は変わるが、従来の店舗販売では不可能であったが、インターネット通販、とりわけアマゾンが利益を出している理由の一つに「ロングテール」という仕組みがある。通常の店舗販売では売筋商品を増やし、死筋商品を排除するというのが鉄則だが、「ロングテール」というのは、いわば死筋商品のような「ゴミを集めると宝の山」になるという仕組みだ。この「ロングテール」がアルファ碁が勝つことができる理由と深い関係がある。

アフファ碁が実際にどのようなアルゴリズムで打つ手を決めているかの詳細は知らないが、基本的には次のような考え方に準拠しているはずである。

ある局面で石の打てる場所を探し、そこに自分の石を置き、次に相手の石を置く。このような操作を何回か繰り返すと、膨大な局面が発生する。それらの局面全部について、自分がどれだけの陣地を取ることが出来るのかを計算する。そこから統計でいう「期待値」を求める。つまり、次の一手を決めて打つ時には、コンピュータの中では 100手(あるいは200手)以上の先まで進んだ局面全ての陣地の計算をし尽しているのである。計算対象となる局面の中にはクズのような局面 ― つまり人間であれば決して見向きもしないような局面 ― もあるが、それでも陣地の損得を勘定するのである。そうしてそれら膨大な局面すべて合わせた「期待値」が一番大きい物に向かうために次の一手を選択するのである。「ロングテール」が関連するというのは、一見、クズのような手から始まる局面もすべて対象にして期待値を計算するということを言っている。

このような概念的な話は分かりにくいと思うので、もう少し卑近な例で説明しよう。

例えば、結婚相手(男女どちらでもよいがとりあえず、女性)を探すとしよう。アルファ碁の探し方と言えば、次のようになる。

なるべく良い女を娶りたいのは人情だ。(アルファ碁だってそう思っているに違いない!)しかし、女というものは(男もそうだが、それはさておき!)大いに変貌するものだ。孫子もよほど女には痛い目にあったのだろう「始めは処女の如く、後には脱兎の如く」(始如処女、後如脱兔)と嫋やかな娘が年とともに大化けすると慨嘆する。孫子の智慧(反省)を踏まえると、目の前に坐っている娘がどのように変貌するかを知るには、娘の母親や祖母を見ればよいと言うことになる。アルファ碁はこのような方針の下、全世界の適齢期の娘本人の性格や趣味、体質や遺伝病だけでなく、存命中・死亡に拘わらず、娘の母と祖母についても同様の調査を全員に対してする。そして、あらかじめ作っておいた評価基準に照らして、それぞれの性格や趣味について得点表を作成する。このように、全世界の娘の現在の姿と予測できる将来の姿をしらみつぶしに調査した何億人かの中から、ベストの娘を一人選出する。

これが、アルファ碁が囲碁の世界でしている手法(exhaustive search)である。人智など到底及びもつかないことがお分かりいただけよう。つまり、頭のなかにコンピュータを埋めこまない限り人間の知能ではアルファ碁に追いつかないことが残念ながら、証明されたということだ。
(ちなみに、私は結婚の相手を、あたかも2,3手先しか読めない、一昔前の囲碁ソフトのようなやり方で選択したが、その結果。。。(以下省略)
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