限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第272回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その115)』

2016-09-08 19:22:27 | 日記
前回

【214.免官 】P.3804、AD428年

中国の定評ある辞源(2015年半)には『免官』は「罷免官職」と説明する。このような字を見ていると、現代の漢字がいかに冗長であるかがよく分る。つまり「免」の一字を「罷免」という二字で、「官」という一字を「官職」という二字で表現しているが、それによって意味が深まるわけでも、ニュアンスが変わる訳でもない。日本語でいう「馬から落ちて、落馬する」の類で、まったくの tautology(類語反復)だ。

この原因は、言うまでもなく漢字には同音異義語があまりにも多いせいだ。耳から聞いただけでは、判断ができないので、仕方なく、音韻に冗長性を持たせた。そうすることで、漢字を見るのではなく、耳から聞いてすんなりと意味が分かるようにする為の苦肉の策であったのだ。残念ながら、漢字の下品な冗長化は今後も止まることなく進展していくことだろうと私は推測している。

さて、「免官」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると、史記から始まって清史稿まで非常に多く使われていることが分かる。類似の「免職」は、と見ると五代から唐にかけて集中的に表れるがそれ以外の時代にはあまり用いられていないことが分かる。

もう一つの類似語の「免冠」とは、「罷免させられる」のではなく自分から率先して「冠を脱いで謝罪の意を示す」ことである。この語の使われ方で興味深いのが南北朝時代を対象にした史書のうち「魏書、北史」などには多く使われているが、「宋書、南斉書、南史」などにはほとんど見えない。これから判断すると、異民族(遊牧民)が占領した中国北部には「免冠」のような、時代がかった仕草が、まだ現役状態であったのに対して、異民族に追われて逃亡し、南部に定着した漢民族は、そのような仕草は out-of-mode だとして、すっぱりと捨ててしまったのであろう。



「免官」の例として、南朝の宋代の詩人・謝霊運が関連する部分を見てみよう。

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秘書監の謝霊運は、自分の家柄と才能をもってすれば、政治の中枢を占めると、ひそかに考えていたが、宋の文帝からは単なる才気溢れる文人としか見なされていず、宴席でも常に談笑の上に出る話はなかった。一方で、自分より門閥も才能も劣る(と謝霊運が見下していた)王曇首、王華、殷景仁などが自分よりずっと上位の役に就いているのが謝霊運には非常に不満であった。

それで、ふてくされて病気と称して登庁しなかった。また、まち(城郭)から80Kmも郊外に出て何日も戻らなかったが一向に連絡しなかった。文帝は、困ったヤツだとは思ったが、大臣の意向も勘案して、謝霊運が自発的に辞職願を出すように仕向けた。それに応じて、謝霊運は病気療養を口実とした辞職願を提出した。文帝は休暇を与え、会稽に戻した。故郷に戻った謝霊運は自由気ままに遊び、飲み、暮らしたが、その態度が司法の糾弾するところとなり、免官させられた。

秘書監謝霊運、自以名輩才能、応参時政;上唯接以文義、毎侍宴談賞而已。王曇首、王華、殷景仁、名位素出霊運下、並見任遇、霊運意甚不平、

多称疾不朝直;或出郭遊行、且二百里、経旬不帰、既無表聞、又不請急。上不欲傷大臣意、諷令自解。霊運乃上表陳疾、上賜仮、令還会稽;而霊運遊飲自若、為法司所糾、坐免官。
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詩人・謝霊運としての才能は「文選」にも数多くの詩が採られていることから当時だけではなく、中国詩全体から見ても文才がひときわ際立っていたことが分かる。中国の悲劇は、人間としての価値が、政治への関与度合いで測られるということだ。それ故、文才よりも政治家としてのランキングという一次元的な値(数学用語でいうスカラー値)が重要である。

元来、人の才能というのは、一次元だけで表わしうるものでない。多次元値(数学用語ではベクトル値)で才能を測り、総合的に評価し得るものである。端的に言えば、日本の文系特有な「数学はからきしダメだが、英語と世界史なら誰にも負けない」学生や、逆に、ガチガチの理系頭の「英語は全くだめだが、数学・物理ならいつも満点」という学生もいるが、それぞれの個性的な能力を評価すべきで、それを「漢字の書き取り」という一つのテストの点数(つまり、スカラー値)で評価すべきないという事だ。

その意味で言えば、謝霊運は不本意な境遇に対して鬱積した不満から叛逆を企んだとされ、処刑されてしまったが、なまじ多面的な才能を持ったがために、一次元的評価に押しつぶされた悲劇の典型と言えよう。

【参照ブログ】 tautology(類語反復)
 百論簇出:(第26回目)『蟷塘路辞漢字』

続く。。。
コメント
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