限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第271回目)『英語力アップは英英辞典から』

2016-05-15 22:30:28 | 日記
英語力、とりわけ語彙力をアップさせるには、英英辞典を使うことが良いと私は実感している。この事については、すでに数多くの識者も指摘しているので、とりたてていうことはないが、私のささやかな感想を述べてみたい。

以前のブログ『私の語学学習(その36)』で述べたように高校に入って最初の英語の授業で、開拓社の『Idiomatic and Syntactic English Dictionary (ISED)』という英英辞典(縮刷版)を先生から紹介された。早速、購入して使いだしたが、当時(高校一年)の私の英語力ではまだまだ難しかった。それでも、辞書が小ぶりで片手で持てるのと、至るところに、かわいいいイラストが入っているため、瞬く間にすっかりとこの辞書に魅入られた。



当時の使い方といえば、知らない単語を調べると、説明のなかで何個か、また知らない単語が出てくる。仕方がないので、今度はそれを調べるという具合に、一つの単語の意味を理解するのに10分や20分程度はかかったのではないかと思う。ただ、高校生のことなので、時間はたっぷりはあり、実に根気よく使った。その内に語彙力が伸びてくるに従って、単語を引くに要する時間は少しずつ短くなったが、それでも高校卒業の最後まで英和辞典よりは時間がかかっていた。

この私のやり方を効率の点から考えると、非常に非効率であるように考えられるかもしれない。確かに、単発的に一文の意味を理解することだけで競えば、英和辞典の方が圧倒的に効率がよい。しかし、当時からすでに感じていたのだが、英語の単語を日本語で理解するのは、あたかも三角のおにぎりを四角い弁当箱に詰めるようなぎこちなさが付きまとう。どうも、翻訳された日本語のどこかにニュアンスの欠落や歪を感じていた。

英英辞典を使うと、英単語の意味は完全には分らないものの、その単語のニュアンスがまとわりつくような感じを受けた。つまり、英英辞典で知らない英語の単語を別のいくつかの英単語で説明されるというのは、説明している単語群が作り出す観念のいわば重なりあった部分(集合論でいう積集合)ということになる。つまり、英英辞典を使うというのは、単語の一つ一つの意味を正確に知る、というよりも、重なりあった雲のようなもやっとした単語群をボリューム的に獲得するというような感じなのだ。

つまり、一つの単語を引くのにかかった一見「余計な時間・非効率な時間」はこの単語群の雲(つまり、thesaurus)を構築するのに使っていた時間と解釈できるのである。それで、一個、一個の単語の意味を獲得するには時間はかかるものの、何百個もの単語をトータルで獲得する点から考えると、実は非常に効率がいいのである。私も初めはこのことには全く気付かなかったのであるが、英英辞典を使っているうちに、この「単語群の雲」の理解のおかげで、ある時から急に英単語のニュアンスが肌感覚として分かるようになってきたことにびっくりした。

もやっとした意味しか分からない単語同士が、ある時を境にして互いの関連がはっきりと、付き出すのだ。それはあたかもドミノ倒しのように、一つの単語の輪郭がくっきりと浮かびだすと、それと関連した他の単語の意味もやはりくっきりと浮かびだすのである。そうなると、日本語では当たり前であった、単語の陰影(英語ではこれを positive connotation, negative connotation という)がすうっと浮かび上がってくるのが分かる。

さて、この肌感覚を獲得できた一番大きな成果といえば、「英文と日本文の間に翻訳がいらない」という点であった。よく、「まず日本語で考えてから、英語に翻訳する」という話を聞くが、英英辞典を使っていると、日本語という邪魔者(あるいはクッションとも言えるかも?)が存在しないので、英文や英単語が直接、脳にささるのである。その結果、その単語のニュアンスが単語と直結した形で、ぼやっとではあるが、確かに記憶される。逆に英文を作る場合「このような感じの単語」というので頭の中をサーチすると、いくつかの単語群が湧いてくる。それらの単語群ではそれぞれの単語が互いに何らかの結びつきを持っている。それを頼りに、芋づる式に、他の類似の単語を探すことができる。

もっとも、いつもいつもこのように上手く行くわけではなく、和英辞典の厄介になることも多いが。。。

昨年出版した『本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツ』には、語学に関してもかなりのページ数を割いて、結果的に英語上達につながるヒントをいろいろと書いた。その内の一つに「TOEIC 730 点を目指して」と題するコラム(P.367)では、とにかく5000ページを読むという多読と、その時に英英辞典を使うことを勧めているので、是非その部分だけでも読んで頂きたい。

さて、『荘子』の《庚桑楚篇》に『吾日計之而不足、歳計之而有余』(吾れ、日に計ればすなわち足らざるも、歳に計れば、すなわち余りあり)ということばがある。つまり、一日毎に集計すれば、収入より出費が多いが、一年をトータルで見れば逆に、収入の方が多かったという意味だ。本ブログでも述べているように、目先のささいな時間節約に囚われず、辛抱してでも英英辞典を日常的に使うと、時間が経つにつれて英語力は確実に上る。どうも世の中の人は英語に関しては実に天邪鬼で、荘子が皮肉ったように長期的に見ると得する方向には、行かないようだ。

【参照ブログ】
 沂風詠録:(第102回目)『私の語学学習(その36)』
 【2011年度授業】『ベンチャー魂の系譜 7.言語に魅せられた辞書作り』
 【2011年度授業】『ベンチャー魂の系譜 12.アメリカ活力の源泉、ベンチャー魂』
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