限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・2】『死生在命、富貴在天』

2009-08-30 15:10:53 | 日記
現在の医療で私が問題にするのは、あまりにも生命の尊厳を無視した、不可解な慣習が横行していることだ。その最たるものが、延命装置や延命治療とよばれるものだ。本人や家族の意思に関係なく、あるいは意思に反して、単に刑法の罰則に触れないようにするためだけに、安易に延命装置を取りつけて、再生の見込みのほとんどない人を無理やりに生きながらえさせている(ように私には思える。)まだ記憶に新しいのは、昭和天皇や、小渕元首相のケースがそうである。私は、人の命は大切だという点は同意するものの、現在の日本の一般的意見は、その生命の尊重を通り越して、逆に尊厳を踏みにじってしまっている。まったく、『過猶不及』(すぎたるは、なお、及ばざるがごとし)だ。

延命装置とともに、安楽死を認めない現行の日本の法体系にも疑問を感じる。胎児に遺伝的欠陥が認められる時は、生まれる前に、優生保護法に照らして、生まない(つまり言葉を変えて言えば、胎児を殺す)ことも許しているのと比較すると、どうも生命の尊厳さに対する法の定義は私には理解できない。



中国の思想には、論語の言葉、『死生在命』(死生、命あり)に代表されるように、それぞれの命は、天から与えられたもので、人間ではどうしようもないものだ、という諦観がベースにある。

また命と同様、人の欲する富貴もまた、人力では及ばない、とも考えられている。私は、努力することの尊さ自体は否定しないが、『努力すれば必ず結果はついてくる』という、安っぽい根性物のドラマのような考え方には反対だ。

努力した結果が他人から評価されることだけを目標にして、努力するのではなく、その努力していること自体に満足を感じていなければ、その努力は『さもしい』と思う。論語の中の『知之者不如好之者、好之者不如樂之者』(これを知るものは、これを好むものにしかず、これを好むものは、これを楽しむものにしかず。)はその心境を的確に表現したものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする