限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第14回目)『道はもとより委蛇たり』

2009-08-03 14:29:01 | 日記
カメレオンというのは、体を即座に七色に変えたり、体の倍もある長い舌で、遠くの虫をすばやくとることで知られている。しかし、その名前の由来は案外と知られていないのではないだろうか。カメレオン(chameleon)とは、ギリシャ語源の言葉で、chamai(地面の上の) + leon (ライオン)という、いかつい名前なのだ。ちなみに、カメレオンは上に挙げた機敏な動作に加えて、ぎょろりとした眼を左右それぞれ独立に360度動かせるという特技も持っている。



かつて、ギリシャにカメレオンよりす早く変わると評判のアルキビアデスという美男子がいた。カメレオンは体を白色に変化はできないが、アルキビアデスは白黒(つまり善悪)も含めて何色にでも変化できるということで、地中海世界にその名を轟かしていた。シラクサ遠征中に、母国のアテネに召還されて囚えられそうになると見るや、すぐさま敵国であるスパルタに亡命した。そこでも、王妃との色事で身が危うくなるや、今度はなんとギリシャ共通の敵国であるペルシャ王の膝元に滑り込むという離れ業も自在に演じた。

そのアルキビアデスとは逆に全く忠義一筋に生きた、悲劇の英雄が中国、北宋末の岳飛である。宋を圧迫してきた金に対して、徹底抗戦を唱えたため、講和派の秦檜(しんかい)に謀られ、獄中で非業の死を遂げた。後世、朱子学の名分論が盛んになり、岳飛の忠義が称揚され、それに反比例して、秦檜が奸臣の典型とされるに至るや、岳飛は関羽と並び崇められた。しかし、こういった名声とは裏腹に、北宋の当時の軍事力や経済力から考えると、むしろ、講和に反対した岳飛の方がわからずやで、秦檜のおかげで、不要な戦争が回避され、何百万人の命が救われたことか!

岳飛よりさかのぼること二百年、戦乱の五代に『五朝八姓十一君』に仕えた馮道(ふうとう)という宰相がその柔軟な処世術で、数多くの無辜の人民の命を救った。しかしながら、ここでも儒家の評価は、司馬光に代表されるように、『正女不從二夫、忠臣不事二君』(忠臣は二君につかえず)を重視したために、馮道を『無廉恥者』(れんち無きもの)と罵った。

秦末の叔孫通は『大直若屈*、道固委蛇(大直は、まがるが如し、道はもとより、いい、たり)』(柔軟にしてこそ初めて大義が成就できる)と喝破し、儒者の頑固さをせせら笑った。それでも、その後1000年もの間、このような実益(民の厚生)より虚辞(名分)が評価され続けた。どうやら、中国の教養人は、教条主義(rigorism)に陥り易く、その結果、柔軟な発想を否定的に見る傾向が強いと言えそうだ。

(* 屈は、正しくは、『言偏に出』)
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