あゝ おまへはなにをして来たのだと……

2023年11月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、某大学での「虐待対応と意思決定支援」というテーマの講義を聞きに出かけて来ました。それは、その分野で著名なある大学教授を招いての障害者虐待と意思決定支援に関する特別講義で、その大学の社会福祉学部社会福祉学科1年生(学生数およそ100人)の授業の一環として行われたものでしたが、一般からの受講者も受け入れていたのです。

 講義開始時刻が近づくと、会場正面の左右の入り口から男女の学生が次々に入って来ます。

 講義の会場となっていた階段教室に三々五々入室して来た人たちは大半が学生諸君で、他は私が見知っている障害者福祉の支援現場の職員など10人(?)ほどと、懇意の弁護士さんで、そのほかはよく存じ上げない方々でした。日頃、大学生とのつき合いや交流がない私はちょっと新鮮な思いで、入ってくる彼らの表情や仕草を眺めていました。

 「こうした学生たちがこの国のこれからの社会福祉を担うのか……」と、胸に期待と不安が湧きます。

 今どきの大学生で、社会福祉を志す彼らはこれまでどんな人生を過ごして来たから、今ここにいるのだろうか。まだ20年足らずの人生で、社会福祉に関心を寄せて勉強しようとする彼らのこれまでとその思いを知りたいと思います。私はといえば、彼らの年齢の時には浪人しており、先のことなどまったく思いも悩みもしていませんでした。ただわずかに「教師になりたいかな!?」くらいのことでした。

 それから半世紀を経て、我が国の社会福祉はいったいどこにあるのでしょうか。ことに障害者福祉は未だに、おためごかしの優しい素振りで覆っている根深い社会の差別と偏見の中で、見て見ぬ振りをする日常に埋もれています。

 その障害者福祉の世界におよそ通算45年、この身を置いてきた私はなにをしてきたのかと、茫然とするばかりです。

 

  あゝ おまへはなにをして来たのだと……

  吹き来る風が私に云ふ      (帰郷  中原中也「山羊の歌」より)      

 

 

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