平和記念公園(通称 平和公園)

2022年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、大事な用件で隣県の広島市へ出かけて来た。秋晴れの気持ちのいい一日だった。

 午前中から出かけて、午後の早い時間に用を終えたので、その建物の近くの平和公園に行ってみようと思った。正確ではないが、7~8年振りかと思う。

 本川と元安川に囲まれた平和公園。本川の対岸の歩道を少し川上へ歩き、川に架かる相生橋を渡るのだが、歩道を歩きながら対岸を見ると、観光バスのなんと多いことか。しかもバスは途切れることなくやって来ている。木々の間からちらちら垣間見える姿は大半が小学生、中学生、高校生と思われる子どもたちだ。社会見学、平和教育の一環だろう。

 平和公園に通じる原爆ドームの前の道を行くと、国内外を問わず、人は皆、立ち止まってはドームに向かってカメラやスマホを構え、各々のタイミングでシャッターを押している。

「サンキュー!」の声に、カメラを手渡しながら「ノープロブレム!」と言い交す男女。

 お互いに笑顔で手を振りながら別れる、若く背の高い外国人男性と若い日本人女性。いい光景だ。

 平和公園では至るところで、5~6人ほどの子どもたちに囲まれて、時折、遠くを指差しながら年配の男性が語っている。この被爆地広島についての話だろう。子どもたちは話を聞きながら、熱心にノートにペンを走らせている。女性の語り手もいる。

 平和記念公園。今、国内外の人たち、老いも若きも、男も女も、多くの人々が集う地球上の一点。

 秋晴れの午後。雲のない青い空。そばを流れる滑らかな静かな川の流れ。橋を渡る柔らかな風。紅葉して輝く公園のたくさんの木々。そして、私の予想をはるかに超えて集う多くの人たち。

 原爆ドームの佇まいは少年の頃から幾度となく見上げた原爆ドームのままだ。

 平日の午後、人もまばらな平和公園を想像していた私は、秋の澄んだ日差しの中に原爆ドームと原爆慰霊碑を重ねるように遠くに見ながら、平和公園のその多くの人たちの静かな熱気に気おされるように包まれていたのです。

 

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無自覚を自覚するということ

2022年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 お久しぶりです。

 あっという間に、もうすぐ師走12月を迎えようとしています。もう年の暮れです。

 半浪人(?)の身だから、時間の融通はつけやすいだろうと思われる向きもあろうかと思います。もちろんそういう面もあるのですが、この11月は珍しく、少しばかり忙しくしていました。

 そんな中、ある人から読んでみてほしいという書籍の紹介を受けました。それは知的障害者の成年後見について書かれた本でした。

 読んでみましたが、疲れました。

 が、そんな疲れも何も、その本に書かれた、以下にご紹介する文章を目にした時、私の中でその先を読み進む意欲が一気に萎えていくのを感じていました。読後の疲れはそのことと無関係ではないと思われます。

 その文章ー。

「(前略)これらを踏まえると、知的障害者の自己決定を考えるにあたっては、次の視点で考えていく必要があるのではないだろうか。それは、なぜ、知的障害者の自己決定が言われるようになったのか、という点についての検証を踏まえ、たえずそこへ立ち返りつつ、知的障害者の自己決定を、私たちがどう見ればよいのかを考える視点である。

 言い換えれば、判断能力の不十分な者の自己決定を、知的障害者だけの問題として捉えるのではなく、判断能力のある私たちが、判断能力の不十分な知的障害者等を、同じ社会の中でどう見て、どう扱っていけばよいのかという問題として捉える、つまり視点を変える必要である。(後略)」

 なるほど、と思わせる内容の文章ではあります。しかし、私はここに出てくるある文章表現に拘泥するのです。「おいおい、ちょっと。その表現はどうなの!?」「ほんとうのところは知的障害者のことをそう思っているのか!?」と。

 読んでみて、皆さんはいかがですか。「なるほど!」などと何の疑問もなく、その先を読み続けますか。

 私はいったいこの文章表現のどこに拘ったのか。何故、そのことで以降のページを読み進む意欲を一気に失ってしまったのか。

 これは著者の単なる校正ミスとは考えにくいのではないか。これは著者の無自覚の思いが図らずも意識の裂け目から表出したものではないのか。私はそう思ってしまったのです。

 皆さんはここに挙げた文章の中に気になる表現はありませんか。この中に「えっ!?」と思う表現はないでしょうか。私はこういうことに拘り、障害者福祉のこれから先に拘るのです。

 この書籍に関する情報は紹介しません。ご容赦願います。

 ここに至り、私は、私自身にも宿っているだろう無自覚を深く自覚せねば、と思った次第です。

 

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