この木なんの木 気になる木…… (追悼 小林亜星)

2021年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 この木なんの木 気になる木 

 名前も知らない木ですから

 名前も知らない 木になるでしょう    (「日立の樹」 作詞 伊藤アキラ 作曲 小林亜星)

 

 この曲もあの曲も、そしてこの歌もあの歌もか……と、びっくりするほど多くのコマーシャルソングやアニメソングを作曲し、しかも演歌も手がけていた作曲家小林亜星が亡くなっていた。(先月5月30日死去)

 1960年代(昭和30年代半ば)から1990年代(平成年代前半)にかけて、彼が作曲したテレビのコマーシャルソングやアニメソングは令和の時代の今にあっても、その品のいい明るさとほっとする温もりと心地よい親しみを私たちに感じさせている。

 肥満体型でしゃべりの活舌もさほど良くはなかったと記憶しているが、ある時期、彼はテレビドラマに出演して頑固オヤジを熱演した。そこでは、若きスター歌手だった、今は亡き西城秀樹を相手に本気で取っ組み合いの親子げんかを演じて見せた。気持ちが入りすぎたのか、息子役だった西城は勢い余って縁側から庭に投げ飛ばされて、腕を折ったほどだった。毎週、びっくりするやら大笑いするやらしながら見ていたのを思い出す。

 そんな一面もある彼は、曲作りでは誰もが歌いやすいようにと、できるだけ1オクターブの音域の中で、鼻歌でも歌えるような曲作りを目指していたという。常に受け手のことを思う、プロとしての矜持があったのだ。

 歌は祈りだ。

 しかし、歌も詞だけではそこに込められた祈りが、日々の繰り返しの生活を生きる私たちの身に染みてくることはない。詞は曲に乗せることで私たちの生活の中で歌になり、身に染みてくる。そうした祈りである歌を、私たちは日々、自身でも思いもかけないタイミングで口ずさみ、己を支えている。

 明るく、楽しい、面白い詞に、彼が明るく、楽しい、面白い曲をつけて、明るく、楽しい、面白い歌にした。

 そんな詞が彼の曲に出会って、たくさんの歌になって、今も私たちの身に染み込んでくる。そんな時代を私たちは作曲家小林亜星とともに生きてきた。そんな時代に彼は寄り添っていたのだ。

 

 くまの子見ていた かくれんぼ  おしりを出した子 いっとうしょう

 夕やけこやけで またあした またあした  いいな いいな にんげんって いいな

 おいしいおやつに ほかほかごはん  子どものかえりを まってるだろな

 ぼくもかえろ おうちへかえろ  でんでん でんぐりがえって バイ バイ バイ

                      (「にんげんっていいな」 作詞 山口あかり  作曲 小林亜星)

 

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貧弱になる発語

2021年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 先週から今週にかけて、さつき園の利用者二人から手紙が届きました。

 ご紹介します。 

 

 ○○さんからの手紙です。

『古川さんおげんきですか

旅行にいきましたね

ハウステンボス中野うどん学校

SLでゆきました。山口からとくさ

バベきユたべました。たのしかっ

たです。こんどえんさいきてくだ

さいコロナきをつけてください』

 

 □□さんからの手紙です。

『古川園長先生へ

お元気ですか?私も元気です。暑く

なりましたね。古川園長さんも元気ですか?

今年も6月の絵を描こうと、思っています。応

援をしていて、ください。

古川さん、お体には気をつけてください。ファイト』

(絵を描くのが好きな□□さんの文章には、2つの目がパッチリのカタツムリが描き添えられています)

 

 二人とも元気そうで何よりです。

 しかし、そうは言っても、コロナの感染状況はまだまだ安心できるものではありません。ここにきて、ワクチン接種率も上がってき始めましたが、私たちが期待する日常を手にするには、まだまだ先は長いと感じます。

 依然、各組織・団体の委員会や役員会はリモート会議や書面表決で為されることが多く、申し伝えたいことの半分も言えずに、もどかしい思いが募っていくばかりです。果たして、こんな在り方が近い将来、私たちの日常になるのでしょうか。

 コンビニでもレジ作業は商品を買う側がセルフで決済するようなってきました。いずれ接遇という言葉もなくなるのかもしれません。無言で画面に向かって、指示されるがままに指を動かすだけ。その時は飛沫防止など気にすることもありません。知らず知らずのうちに発語が貧弱になって枯れていきます。

 それは知的障害者の人生のようです。指示されるままに生きてこざるを得なかった人生。誰も彼らの肉声を心から聞こうとは思わなかった我が国の障害者福祉の歴史。

 だから私は、自分の言葉で語るこの二人の手紙を受取って、心の底からうれしく思うのです。

 

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慣れないこと、違和感へのこだわり

2021年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 例年よりもかなり早い梅雨入りとなった今年だが、今年の桜の開花も、梅雨入りも、さらには月食も、スーパームーンも、私たちはすでに毎年のこととして、あるいは数年に1度のこととして、至極当然の自然現象として受け入れている。それは遠い昔から営々として繰り返す私たちの生活において、もうすっかり慣れっこになっていること。

 自然環境に慣れる。家庭環境に慣れる。学校などの集団に慣れる。仕事に慣れる。人間関係に慣れる。社会に慣れる。そして生活に慣れる。自分の体に慣れる、人生に慣れる……などなど。日々の生活を営むのに慣れることは大事だ。

 しかし、こうした慣れる努力の日々を繰り返し続けていても、どこかに慣れないことへのこだわりを持つことも大事ではないかと思う。

 お互いの生活を恙なく送るための日々の努力は大事。しかし、そんな日々の中でも、何かしっくりこない、何か腑に落ちない、何か変。そんな違和感があった時は、その違和感に敏感に反応することが大事なのではないか。

 嘘か本当か、カエルを常温の水に入れてゆっくりと水温を上げていくと、カエルはその水温の上昇に気が付かず、命の危機を感じないまま、とうとう逃げ出すタイミングを失ってしまい、ついには茹だって死んでしまうとか……。

 人は己の心身が感じている違和感にいつ気が付くのだろうか。あるいはずっと気が付かないままなのか。ひょっとして、違和感などないという人もいるのか。

 私は自らが感じる違和感、例えそれがどんなに小さな違和感でもそれを手放すことなく、それらへのこだわりを梃子(てこ)にして、その感覚を解放したいと思う。

 例えば、自らを「健常者」と呼ぶ私たち。それが当たり前だと思っている私たち。そして、みんなが彼らのことを障害者と呼んでいるから自分も彼らを障害者と呼んで、何の疑問や違和感を抱くこともなく、それに慣れてしまっている私たち。その健常者、障害者という言葉で私たちはどんな人のことを表現しているのか。そしてその2つの言葉の間に、何となく上下の関係があるように感じるのはなぜか。そこに、私は「何か変」「何かおかしい」とこだわるのだ。

 こうした違和感や慣れることの出来ないこだわりを手放さず、それらを解放することは、障害者福祉をも超えた、人々の歴史に課せられた長年の命題の1つなのではないだろうか。

 果たして私たちに、水温の変化に違和を感じなかったカエルを嗤ったり憐れんだりすることが出来るのか。

 5月30日、プロテニスプレイヤー大阪なおみが試合後の記者会見の在り方に一石を投じた。個人の違和感を公に表明し、それを解放するには、社会や組織や集団に対峙する勇気と覚悟がいる。

 

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