紫陽花の 末一色(すえひといろ)と なりにけり

2023年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 紫陽花が好きで、紫色が好みだったというその人とのお別れの会が、先日、その人の馴染みの建物で執り行われた。

 心身に重い障害のある子の母のその人は、ご主人との二人三脚で社会に訴え、我が国の障害の子どもたちの命と人生、そしてその家族の生活を切り開いてきた。同じ境遇の親たちが集い、嘆き悲しみながらも支え合い、社会の理解と共感と助力を願い続けてきた。

 ある期間、その瞬間瞬間を身近で体感していた私は、その時私たち人間の本性を見た。何のための闘いなのか。何のための運動なのか。おのれのためか。その子のためか。何のための闘いなのか。

 それは自然の摂理への挑戦だと思った。自然の摂理をきちんと受け容れる、人間としてのその命の在りようをきちんと受け容れることの試練。人間に宿っている未熟な価値観への疑義。

 ご主人を亡くし、その人は孤高の人となったが、夫婦で育んだその生涯を貫いた思想と信念と障害の子へのひたむきな愛の姿が、私たちを導き続けた。

 

 紫陽花の 末一色と なりにけり   小林一茶

 

 紫陽花が好きだったというその人は、3月25日の誕生日を目前にした今年の2月16日、101歳でその生涯を閉じた。お別れの会の会場には、たくさんの紫色の紫陽花の花々が静かに飾られていた。

 遺影に合掌し、こうべを垂れた。

 おこがましいが、その人とのめぐり逢いが私の人生を今もざわつかせている。

 

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お母さん 頑張って!!

2023年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝からの雨は午後になっても止まなかった。私は午前中から用があって広島市内に出かけていた。

 その帰りのことだ。

 市内の繁華街から広島駅に向かう路面電車の車内はさほど混雑しておらず、空いた座席もちらほら見られた。座るつもりのない私は車内を中ほどまで進み、つり革を持って立っていた。乗って2駅目か3駅目で私のすぐ近くの座席に座っていた女性が席を立って、降りて行った。すると私の前の座席が2人分ほど空いてしまった。

 なので、私は座らずにいるのもどうかと思い、そばに座っていた母親と子どもに小さく会釈して腰を下ろしかけた。すると母親に抱っこされていた赤ちゃんと思えるその子どもと目が合った。

 ところが、抱っこされて私を見上げるように見ていた目は、私が座っても私を見ていた。

 私は「どうして?」と不思議に思いながら、座ってからも、その丸く黒い瞳から目をそらすことができずにいた。

 なので(?)、私はその子に向かって、思わず「こんにちは!」と小さく声をかけた。

 すると「ウー」とかなんとか声を上げたかと思うと、その子は私に向かって左手を伸ばしてきた。

 一瞬、逡巡した私は、けれども左手の人差し指でその子の手のひらに触れた。すると、その子は私のその指を小さな五本の指で掴んだ。掴んでは握り直ししたりした。思いのほかそれは力強かった。

 私は「ちから、つよいねー」と、その子に言った。すると、母親が小さく笑みを見せて頭を下げた。

 降りる停車場が近づいたのか、母親は子どもを抱っこし直して、頭を下げて、立ち上がった。子どもは母親の顔を見て、私の顔を見た。電車が停車すると、二人は前方の出入り口に進んで、そして降りて行った。

 私は心の中で、「お母さん、頑張って!!」と叫んだ。

 もう2度とは会わないだろう、母子。もう2度とは会えないだろう、母子。

 母親に声をかければよかったか!? 私はちょっと悔やんだ。

 その子には障害があった。

 「お母さん、頑張って!!」と心の中でしか声をかけられなかったことが、悔しく私に残った。

 

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