紫陽花が好きで、紫色が好みだったというその人とのお別れの会が、先日、その人の馴染みの建物で執り行われた。
心身に重い障害のある子の母のその人は、ご主人との二人三脚で社会に訴え、我が国の障害の子どもたちの命と人生、そしてその家族の生活を切り開いてきた。同じ境遇の親たちが集い、嘆き悲しみながらも支え合い、社会の理解と共感と助力を願い続けてきた。
ある期間、その瞬間瞬間を身近で体感していた私は、その時私たち人間の本性を見た。何のための闘いなのか。何のための運動なのか。おのれのためか。その子のためか。何のための闘いなのか。
それは自然の摂理への挑戦だと思った。自然の摂理をきちんと受け容れる、人間としてのその命の在りようをきちんと受け容れることの試練。人間に宿っている未熟な価値観への疑義。
ご主人を亡くし、その人は孤高の人となったが、夫婦で育んだその生涯を貫いた思想と信念と障害の子へのひたむきな愛の姿が、私たちを導き続けた。
紫陽花の 末一色と なりにけり 小林一茶
紫陽花が好きだったというその人は、3月25日の誕生日を目前にした今年の2月16日、101歳でその生涯を閉じた。お別れの会の会場には、たくさんの紫色の紫陽花の花々が静かに飾られていた。
遺影に合掌し、こうべを垂れた。
おこがましいが、その人とのめぐり逢いが私の人生を今もざわつかせている。
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