古巣での講演

2011年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日、山口市で山口県重症心身障害児()を守る会の定期総会が開かれました。依頼されて、講演をさせていただきました。演題は「守る会で学んだこと 守る会に期待すること」です。90分の予定時間を20分ほどオーバーしてしまいました。

重症心身障害児()との関わり、その保護者との関わり、それが私の福祉の原点です。

今、さつき園にいて思うことは、知的障害者福祉も重症心身障害児()福祉も原点は同じ、ということです。

全国重症心身障害児()を守る会という全国組織の親の会事務局に約20年。知的障害者通所授産施設さつき園に約15年。私はこれまでこの二つの組織で、それぞれ障害者福祉の仕事をさせてもらってきました。

「あんたには重症児をもつ親の気持ちなんかわからん!!」と、議論の途中である父親から突っぱねられたこともありました。日頃からよく頑張るなあと思っていた母親の口から「いいね、あんたたちは。いやになればこの重症児の世界から出ていけて。私もできるもんなら親を卒業したいよ」という思わぬ言葉も聞きました。

私はその都度その都度、「この親御さんたちとの関係をどう止揚すればいいのか……」と、一生懸命に考え、答えを求めてきました。また、障害児者福祉の問題はその親御さんや家族をも含めた問題として捉えることが大事で、ただ障害児者本人のことだけを見ていたのでは何も解決しないし、何も前に進まない、ということも何度も実感させられました。

そして行き着いたのは、「彼ら障害者は私だったかもしれない」という存在の偶然性をしっかり受け止めようという覚悟です。

そんないろんな思いを込めて、県守る会の定期総会に参加された親御さんたちに、例えば親の会という運動組織体はどうあるべきかを、守る会での20年、さつき園での15年の私の体験を絡めてお話しさせていただきました。

総会の最後の意見交換の時、「今日、古川さんの講演を聞いて、障害者の兄弟姉妹のことを思ってくれている人もいるんだと知ってとてもうれしかったです」という、重症心身障害の兄をもつ弟さんからの発言がありました。両親はすでになく、母親は『お兄ちゃんを頼むよ』と言って亡くなったそうです。

親は結婚して子ができて、その子に障害がある時、初めて障害児との関係ができるのですが、兄弟姉妹は、例えば弟か妹は自分が生まれたときにはすでに障害の兄か姉がいます。反対に、兄か姉は自分が物ごころつくころには障害の弟か妹がいるのです。障害者のことなど自分の人生には無関係だった青春時代を過ごした親と、人生の初めから常に障害者を意識せずにはいられない人生を歩む障害者の兄弟姉妹。彼らの苦悩は、だから親といえども分からないのです。

障害者福祉に携わり、そうした方々の様々な人生に関わる私たちには、形は違っても個々それぞれにそれなりの覚悟がいるのです。

参加の親御さんや兄弟姉妹の方々に語りかけながら、私も自分自身の覚悟を改めて確認させられていました。

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親亡きあとの現実

2011年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

成年後見制度において、成年後見人は本人(言うところの事理弁識能力を欠く状態にあり、意思能力がないとされる人、つまり後見を受ける被後見人)の財産を管理するための権限や義務を法により与えられます。しかし、当然ながら財産を「管理する」ことと、財産を「有効に使う」ことは同じではありません。

成年後見人にとって本人の財産を管理することは大事な任務の一つです。ところが、通常の生活を超えて、被後見人の生活をより豊かに、より幸せにするために有効と思われる行為や物のためにその財産を費やすこと、その反対の、財産を殖やすなどという利殖行為、これらについてはいずれも任務外のこととなっています。法はそれらの行為を認めてはいません。成年後見人はただひたすら本人の財産を「管理する」ための権限や義務を負っているだけなのです。

とすれば、順番からいけば自分が先に亡くなるからと、親亡きあとを心配して知的障害者の親が一生懸命にその子名義の預貯金を残したとしても、多くの場合、それは通常の生活を維持するために消費する以外に使い道はなく、子の死亡と同時に、結局大半の預貯金は親族に遺産相続されて終わり、ということになるだけではないでしょうか。それは親の望んだことでしょうか。大いに疑問です。

親亡きあとでも、財産があればある程、我が子は幸せに暮らせるのだと信じるから、親は本人名義の預貯金を殖やそうとするのでしょう。けれど、親亡きあと、いったいだれがその思いを現実場面で実践し保障してくれるというのでしょう。親亡きあとの本人の人生や生活が豊かで幸せであってほしいと願った親の思いは、いったい誰が達成してくれるのでしょうか。

親も亡くなり、そして身寄りもなくなったとしても、親の思いのこもったそれらの財産が本人が生きている間に本人のために有効に使われるようにするには、どうすればよいのでしょうか。どうすれば、ひたすら知的障害の子の幸せを願う親の、親亡きあとへの切実な思いを実現することができるのでしょうか。現在の成年後見制度ではそれは叶いそうにありません。

しかし、それでもなお親は親亡きあとの子の人生や生活を案ずるものでしょう。ならば、親に残されたことはどんなに逆説的に聞こえようとも、子と生きる「今」を大事に、そして一生懸命に生きるほか、親には成す術がないということかもしれません。

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さつき園の願い

2011年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム

2種類の人間がいます。

わずかでも他人に非があれば、たとえ残り全部の非が自分にあったとしても一切謝ることなく他人を責める人間と、わずかでも自分に非があると思えば、いかに残り全部の非が他人にあったとしても、まず自分が謝る人間、の2種類です。

世の中にはここぞという場面で、わずかであっても非は非として認め、謝り、自らがその場を引受ける強い優しさをもった人がいます。

そうかと思えば、全く自分に非がなくても謝ってします人もいます。さつき園の利用者の○○さんもそうです。全く自分に非がないことであっても、いつも「すみません」と謝ってしまうのです。自分からまず謝ることでそこでの人間関係を見かけ上、丸く収めようとするのでしょうか。いつも「ごめんなさい」と謝ってばかりで卑屈になってもらっても困るのですが……。そういう凌ぎ方をせざるを得ない人間関係の中でずっと生きてきたのか、と聞いているこちらが切なくなってしまいます。

さつき園の利用者一人ひとりのこれまでの人生を辿ることができるとしたら、きっと多くは、たとえ自分に非がなくても周囲から謝ることを強いられてきた人生だったのではないでしょうか。そう思うと胸が痛みます。

そう思うから、なおさらさつき園にいるときは『明るく楽しく』過ごしてほしいと願うのです。

『明るく楽しく』はさつき園のモットーであり、願いなのです。

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激震!? 全日本手をつなぐ育成会

2011年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

2日前の5月31日の午後。私のもとに飛び込んできた情報に驚いた。

なんと、社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会のトップ二人が、機を同じくして辞任したという。

知的障害者の親の会である育成会は正会員・賛助会員合せておよそ30万人を擁する全国組織だ。そしてもうすぐ結成60周年を迎えようかという、わが国でも有数の堂々たる社会福祉推進組織の一つである。

いったい何があったのか。どうして、今、このタイミングなのか。

障害者制度改革と東日本大震災後の復興に、何はさておき組織を上げて取り組むべき今この時に、いったいどうしたというのだ!? 

全日本手をつなぐ育成会に激震が走ったのは間違いない。それは遠からず、私たちさつき園が所属する財団法人山口県知的障害者福祉協会の上部組織である財団法人日本知的障害者福祉協会にも激震のまま波及するだろう。そしてその揺れはどんな形で障害者福祉の世界に広がるだろうか。

知的障害者福祉サービスを利用する側と提供する側が、本来は息を合わせていくべきなのに、長年お互いが息を合わせられずに互いに孤立したまま運動を展開してきたことが、厚生労働省に対しても世間に対しても、いまなおその存在の重さや存在の意義を示すことができないでいる大きな原因だ。

そうしたことも今回の二人の辞任の遠因かもしれないと邪推する。

他の組織のことゆえ、推移を見守るほかはないのが歯がゆい。

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