蛇行運転

2020年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 あおり運転、わき見運転、ながら運転、蛇行運転、誤操作運転、急発進・急ブレーキ……。

 先日、前を走る車の蛇行運転に遭遇した。

 夜間、高速道路のトンネル内を走行中のことだ。

 走行車線を時速80㎞ほどで走行していた私は、どうも先行車の動きがおかしいことに気がついた。走行車線内をゆっくり右に左に蛇行しているようだ。危険を感じた私は、それを追い越したものか、このまま追走したものか、と悩み始めた。

 しばらくすると、先行車の車体がゆっくりと左に寄っていくのが分かった。

「おい、おい、おい、おい」と私は思わず声を上げてた。

 すると、左に寄りすぎてるぞと思った瞬間、先行車はトンネルの壁面に左ボディを擦り上げたのだ。「シャリーン!」という音がトンネル内に響いた。

 その響きの中、車体が反動で、今度はセンターラインをはみ出そうに右に大きく振れている。

「ウオッ!」と叫んだ私は思わず減速している。時速60㎞くらいに一気に減速したかと思う。バックミラーで後続を確認すると、後続車もゆっくり減速していた。果たして、後続車にも先行車の蛇行が見えていたのだろうか。それとも車体がトンネルの壁面を擦り上げた時に響いた音を聞いて、何かを察知したのか。後続車は私の急な減速にもかかわらず、加速して追い越しをかけることもなく、私の車のあとを追走している。

 しかし、もっと後ろの車たちは、急な減速を嫌ってか、追い越し車線を速度を上げて次々に私を追い越して行く。しかし、私は右に左に蛇行する先行車を見ていたので、追い越すことにも危険を感じていた。その瞬間、車がセンターラインを越えて蛇行してきたらと思うと、とても追い越す気にはならなかった。

 時折、センターラインを越えそうになる先行車のあとを5㎞近く走ったかという頃、先行車は少し遅れ気味にウインカーを点滅させて、次のインターで降りて行った。私はホッとして大きく息を吐いた。

 夜の高速道路は何事もなかったかのようにスムーズに車が流れて行く。

 もしも、先行車がもっと激しくトンネルの壁面にぶつかっていたら、後ろを走っていた私はどうなっていただろうかと思うと、今でもあまりいい心持ちではいられない。

 

 

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自分と体

2020年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム

これからは自分の体と相談しながら生きていきます」

 大病をした人が体が回復して、また日常生活にもどろうという時に、こういった発言をしているのを耳にすることがあります。

 体と相談しながら……!?

 相談とは大概、人とするものと思います。例えば身内の誰か。例えば親しい友。例えば職場の同僚や上司。例えばその分野の専門家……、などなどといったところです。しかし、この時は自分の体が相談相手になっています。

 ひょっとして、私たちはそれはいかにも自分の体ではあるけれども、それを他人のように感じているのではないか、と思います。案外、私たちが自分の体だと思っている体は自分の物ではないのかもしれません。

 それはたまたま、単なる偶然で自分に与えられたものでしょう。誰も、たくさんの体の中から、自分で「自分の体はこれがいい」などと言って、得心して選んだ人などいません。

 それなのに、私たちはたまたま与えられたそれを、自分の体として生涯を通してつき合っているのです。頑強な体であろうと、病弱な体であろうと、ある可能性を秘めた体であろうと、そして社会から障害児者と呼ばれる体であろうと、私たちは生命として存在し始めた瞬間に、うむを言わさず、それを与えられて、それとともに生きる人生を生きているのです。思えば残酷と言えば残酷、いかにも自然と言えば自然。そこには人としての感情が入り込む余地など全くありません。

 

 自分の体で生きる

 自分の体を生きる

 自分の体と生きる

 自分を体で生きる

 自分を体が生きる

 自分と体で生きる

 自分が体で生きる

 自分が体を生きる

 自分が体と生きる

 

 あなたと体との関係はどれに当てはまりますか。これらの微妙なニュアンスの違いがお分かりでしょうか。

 コロナ禍の今、出口の見えない今。現在に生きる私たちは、今日ほど、世界中の人々の行動一つひとつに、これほどの強い関心を抱くことはこれまでありませんでした。

 私たちは生命です。私たちは私たちの存在に関する大事なことを見失ってはなりません。

 体という器がなければ、私たちの存在は危ういのです。その器こそがかけがえがないのです。

 

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利用者同士

2020年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝の送迎便でさつき園にやって来た利用者の○○さん。今日も元気です。事務室前の廊下あたりで、半分ふざけているのでしょうか、いつものよく通る、大きな声でこう言っているのが時々聞こえてきます。

「◇◇のおじさん…」「◇◇のおじさん……」

 さつき園の職員の苗字に「おじさん」を付けて呼んでいるのです。

 廊下中に響く声で、何度かそう言っています。

 すると、そばにいたらしい□□さんがおもむろに、

「○○さん。◇◇さんはおじさんじゃないよ。さつき園の職員よ。職員のことをおじさん言うちゃーいけんよー。◇◇さんちゅうて、ちゃんと名前を呼ばんにゃー」と、落ち着いた口調でたしなめています。

 すると、廊下中に響いていた声が一気に静かになりました。

 見事なものでした。私は園長室で一人ニヤリとして、感心することしきりです。

 利用者は利用者同士です。こんな時、職員ならどう言うのだろうか、とも思います。

 □□さん、お見事でした。

 さつき園には10代から70代までの幅広い年齢の利用者が通所して来ています。

 こうした幅のある年齢層の利用者同士の人間関係が、利用者お互いをじわっと育て合っているのです。職員が意気込んで、あれこれいじくり回すことはないのです。

 

 

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