見出しに挙げたように、どうでもいいようなことだけど、ちょっと気になることがあります。
その1
「におう」という言葉があります。漢字で書くと「臭う」か「匂う」となります。
また、「かおる」あるいは「かおり」という言葉があります。漢字で書くと「香る」「香り」となります。
いつの頃からかははっきりしませんが(4~5年前?)、テレビやラジオでの現場取材のレポート場面などで、レポーターが女性であれ男性であれ、花のいい「におい」がするのを伝える時に、私にすれば「匂う」と言えばしっくりくるところを「花の香り」と表現しているのをよく見聞きするようになってきました。(先日は、何かの唐揚げを「いい香りがします」とも言っていました。)
発語として単に「におい」と言うと、くさいものを表現する時の「におい・くさい/臭い」と思われがちなので、敢えて「香り」と言っているのでしょうか。
「匂う」は「臭う」を想像させるので、放送では使われなくなっており、それがそのうち巷でも使われなくなっていくということなのでしょうか。
どうでもいいようなことだけど、ちょっと気になります。
・東風(こち)吹かば 匂(にほ)ひおこせよ梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ (菅原道真)
・『源氏物語』全五十四帖の中の第四十二帖には「匂宮」(におうのみや)なる人物が登場する話もあります。
また、昭和歌謡などにはこんな歌詞もあります。(思いつくままにいくつかを)
・♪ 匂い優しい 白百合の 濡れているよな あの瞳 …… (北上夜曲)
・♪ ぼくら フォークダンスの手をとれば 甘く匂うよ 黒髪が (高校三年生)
・♪ 芙蓉の高嶺を雲井に望み 紫匂える武蔵野原に …… (立教大学校歌 大正10年作)
その一方で「残り香(のこりが)」「移り香(うつりが)」という言葉を使っている歌もあります。
・♪ よこはま たそがれ ホテルの小部屋
くちづけ 残り香 煙草のけむり …… (よこはま・たそがれ)
・♪ 隠しきれない 移り香が いつしかあなたに 浸みついた …… (天城越え)
また、「かおり」とせずに「かほり」と表記している歌もあります。
・♪ あぁ 恋のかほり残して あなたは消えた …… (からたちの小径)
・曲名を『シクラメンの「かほり」』とした歌もあります。
何故、「におい」とも「かおり」ともせずに「かほり」としたのでしょうか?
この辺りが、作詞者の言葉に関する感性を感じさせていて、おもしろいですね。
それはともかく、我が国で古くから使われている「匂う」「匂やか」などの言葉はもっと使いたい、使ってほしい表現だと思うのですが……。皆様、いかがでしょうか。
言葉は単に事象を伝えるだけでなく、私たちの心象も伝え、そしてその趣やその雰囲気も伝えるのです。大事にしたいと思います。
その2
かのドリフターズは「8時だよ 全員集合!」と言っていました。
この時の「全員」と言う時のアクセントは、「➔➔」でフラットに言っていて音の高低はありません。どこにも音を高めるアクセントはありません。
しかし、今、「全員」(ぜんいん ➔➔)を「ぜんいん ➔➚」と発音する人が多くなっているように思います。そのアクセントは、例えば、以前、テレビ番組で男性アナウンサーが「ズーム・イン!」と言う時に、「イン」にアクセントを付けて高く(➚)発していたように、「全員」(ぜんいん ➔➔)を「ぜんいん ➔➚」と発語しているのです。テレビを見ていると、そう発語する人は比較的若い人に多い気がします。
私(たち?)はこれまで「全員」を「ぜん➔いん➔」と高低差を付けず、フラットに発音してきました。しかし、テレビで見る限り、今、巷ではそれこそ全員と言ってもいいくらいの人たちが、「ぜんいん ➔➚」と発音していると思うほどです。
今年は昭和にすると昭和99年とのこと。昭和25年生まれの私は、そのアクセントを耳にするとちょっと落ち着きません。
これらのことなど、どうでもいいようなことですけれども、じわりと時代や社会が移ろっているのを感じます。
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