先日、ある人生相談コーナーの相談内容とその回答に驚かされました。
死を思った時、浮かんできた心残りがあります。何十年も、誰にも言えなかったこのつらい思い。言わないままでは悔しくて死にきれません……。今更、こんなことを思う私は愚かでしょうか。
この相談に答えた回答者の回答に思わず唸ってしまっていました。
死ぬに死にきれないというその強い思いをどうするのか。それはあなたが一人の人間として、これからの時間をどう生きたいかにかかっています。
どんな結果でも受け入れる覚悟をもち、実行なさるがよいと思います。長年、人知れず苦しんできたのです。あなたは一切悪くありません。人生の最終章ぐらい、清明な心で生きていただきたいと思います。
思うところがあって、相談内容を端折って紹介したので、相談者に何が起こったのか、詳しくはお分かりにならないでしょうが、私は人生相談の回答で、これほどまでに切れ味のいい回答に出合ったことはありません。当たり障りのない内容をもっともらしく口にして済ませている私たち。責任を取らないことを内に隠して、理屈を駆使してその場をやり過ごしています。後に残るのは空しさばかりです。
「どんな結果でも受け入れる覚悟をもち、実行なさるがよいと思います」
「あなたは一切悪くありません」
「人生の最終章ぐらい、清明な心で生きていただきたいと思います」
これは衝撃の回答です。ここには人生に対する確固たる思いをもった回答者の屹立する精神があります。見事というほかありません。
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例えば、
市や町の風景が……。
山や川など自然の景観が……。
社会の雰囲気が……。
人の表情が……。
人の生活が……。
人の人生が……。
これらの文の『……』に共通する言葉として、今、あなたはどんな言葉を思いますか。気象の激変の結果、こうしたことが徐々に私たちの日常になってきているように感じます。
私たちはこれまで体験したことのない過酷なまでに襲ってくる自然現象に翻弄されて、私たちの生活環境、生存環境はこれから前人未到の未経験のステージに突入していくように思います。
「まさかここで私がこんな目に遭うとは……」
その言葉は現代の私たちが享受している生活環境や、あるいは生存環境は確かなものとして将来も存在すると誤解していたことへの驚きを反映しているように思います。
もはや、この「まさか」は、「まさか」ではなく、私たちのだれの身にも起こり得る、どこでも起こり得る、いつでも起こり得る日常現象になったのです。
科学技術の進歩は目覚ましく、ロボットが人間に代わって我が人生を歩いてくれる日が来るのも、そう遠くはないかも知れない、と思わせるほどです。そして、今は異常と形容するこの夏の猛暑もいずれ科学技術が過ごしやすい快適な時空間を創造し、凌駕してくれるのかも知れません。
地球環境に膨大な負荷をかけ続けてまでも生存し続ける私たちと、おそらくその負荷がかかり過ぎて枯渇し、疲弊していく地球環境。いったいどちらが先にダウンするの?
しかし幸か不幸か、この死闘の結末を見届ける者は今生きている私たちではありません。
これまで日常的と思われていた事象がある瞬間に『一変する』、そのような生存環境の中に私たちは、今、生かされているのです。
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