口舌(くぜつ)の徒

2021年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 3月末に退職しておよそ半年。自分でも驚いていますが、その間に15冊の本を読んでいました。中身を読み飛ばした本も数に入れると20冊近くになります。

 その中で、「むー」と読みながら唸ってしまった文章があります。

 それは長年、マスコミの最先端で働いてきて、定年を迎えて退職した人の書かれた本で出合いました。

 内容を要約しますと、「日本が農業国から工業国へ変化していく過程での、農山漁村から都市への人口の流出、あるいは大家族が崩壊し、核家族へ移行していく等々の社会現象に関する種々のデータを私は仕事柄、広く人々に知らせはするが、それらのデータはあくまで仕事のためのデータに過ぎず、自分の実感にはなっていなかったのです」という内容でした。

 続きの文章を本文から引用します。

 

  私は、(中略)この過疎の実際の姿を全く知らなかった自分を、ジャーナリストとして恥ずかしいと思いました。その時の気持ちは(中略)今も、胸の底につかえています。私はしょせん口舌(くぜつ)の徒に過ぎなかったのでした。

 

 読んでいた私は、果たして我が身はどうかと振り返り、思わず「むー」と唸ってしまっていたのです。

「私はしょせん口舌(くぜつ)の徒に過ぎなかったのでした」

 厳しい言葉です。

 

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ボッチャ競技に思う

2021年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 東京パラリンピック 

 ボッチャ競技

 白と青と赤のボールを使って その技を競う 室内競技 

 ルールは簡単だけど 技は 細かい

 寄せる 弾く 乗せる   それが技の基本

 テレビで 競技としてのボッチャの面白さを どきどきしながら堪能した

 

 しかし 私たちに そんな技は適さない 駆け引きもいらない

 私たちのボッチャは ルールに囚われずに 

 強くも弱くも とにかくボールを放る あるいは転がす

 その結果は すべて偶然の中にある

 ルールに囚われずに とにかく 6つの球を放る あるいは転がすのだ

 そして 寄ろうが 当たって弾き飛ばされようが ほかのボールの上に乗っかろうが

 その 偶然の結果を すべて受け容れると

 そのとき 私たちに 思わず拍手と歓声が訪れる 

 これまでに幾度となく 私はそうした空間にいた

 私たちの誰もが その偶然を 素直に受け容れることができれば 

 私たちは障害の有無や障害の種別を超えて ともに穏やかに この社会に 存在できると思った

 

 およそ2週間。テレビでさまざまな競技を見ながらいろいろなことを思い、感じ、考えさせられた。そんな東京パラリンピックだった。

 

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