生活も命も今も未来も

2020年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 今、地球上で起こっているのは、医学と政治と経済のせめぎ合いか。人類に叡智があるとすれば、今こそそれを証明してほしい。果たして、私たちの叡智は人類を救うことができるだろうか。

 一枚岩になれない人類は、今その長い時の中で培ってきた、自画自賛ではない真の実力を試されている。

 たかがウイルス。されどウイルス。

 医学の言うことに、政治は、そして経済は果たして耳を貸すだろうか。そしてそれは全世界的な規模となるだろうか。それとも、政治が、あるいは経済が医学を押し切るだろうか。

 まさか、これまで幾度となく繰り返されてきた卑小な者たちの力関係でことの行方が決定されていくのだろうか。

 私たちはそれに身を任せ、命を託すほかない……!?。

 私たちには生活も、命も、そして、今も、未来も大事なのだ。

 

 

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「この子ら」とは誰のことか

2020年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 糸賀一雄の「この子らを世の光に」の言葉について。
 この「この子らを世の光に」の言葉は私たちにとっては肝に銘じて、常に反芻すべき大事な言葉だ。
 だからといって、今、私はこの言葉にはどんな意味や思いが込められているのか、などということを殊更に語りたいのではない。
 私は、糸賀の「この子ら」という表現があるとんでもない誤解を生んでいるのではないか、との懸念を示したいのだ。
 私の懸念することは、私たちの周りには、障害者福祉に中途半端な理解を示す人(そういった人たちは概して憐憫や見下しをしがちで、とにかくやさしい言葉をかければいいのだと思っている)がいて、そういう人はいくら暦年齢(生活年齢)が成人の大人であっても、知的障害があるから自分たちに比べて知的に劣っており、あっても小さな子ども程度の知能しかないので子ども扱いしてもいいのだ、と思っているのではないか、ということだ。だから、そういった人たちは成人した大人の知的障害者のことも「この子ら」と呼んでもいいのだと思っているのではないか、と……。
 糸賀がこの言葉を口にしたとき、彼の前には「この子ら」と呼んだとしても何ら不思議ではない「子どもたち」がいたのだと思う。彼の目の前にはたくさんの戦災孤児や、あるいは知的障害の少年や少女がいたのだ。だから彼は何の抵抗もなく、彼らのことを「この子ら」と呼んだのだ。
 しかし、後世になって、どうも「この子ら」という表現は、すべての知的障害の人たち(たとえそれが子どもであろうが大の大人であろうが関係なしに)を呼ぶ呼び方として認識されてしまっているのではないか、と私は心配している。
 れっきとした大人として人生を生きてきたのに、「この子」あるいは「この子ら」と呼ばれてしまっている彼らの気持ちを思ってほしい。
「そんなこと、どうせわかりゃしないだろうに」と、あなたは嘲るだろうか。
 そして、果たして糸賀の前に成人した大人の知的障害者がいたとしたら、糸賀は彼らのことを何という代名詞で読んだだろうか、と思ってみたりもする。


「この子らを世の光に」の「この子ら」は成人の大人のことではなく、少年少女のことなのだ。
 知的障害だから、大人でも子ども程度の知的能力しかないから、子ども扱いして「この子ら」と呼んでもいいのだ、というのは、明らかに偏見であり、差別だ。
 懸念することとして、このことは私の中で長くくすぶっていた。


 皆様、お互いの命を守るために、新型コロナウイルスの感染拡大防止に真剣に取り組みましょう。


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流れ弾(ながれだま)の無常

2020年04月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 3月29日に亡くなったコメディアンの死は何人かの利用者も知らせてくれました。

「園長さん、志村けんが死んだんよ」

 新型コロナウイルスに感染し、状況は予断を許さないと思われていました。
 その突然の死去の報道に、私は、彼は新型コロナウイルスと人類との緊迫した闘いの中で、思わぬ方向からの一発の流れ弾に当たって命を奪われたのだと感じました。
 私にとって彼は、前々から少なからず気になっていた芸能人の一人でした。
 付き人からメンバーになってはみたものの、百戦錬磨の大人たちのグループの一員として、青臭い未熟な彼に何ができるというのか。私はそう思って彼を見ていたのです。しかし、時代は彼を待っていたかのように、次々に子どもたちの笑いの感性を刺激していきました。
 ビッグ3と言われるお笑いタレントたちの、あの負けず劣らぬ世間に挑むような笑いとは一線を画し、あくまでもとぼけた、バカバカしい、だけどどこか親しみのあるお笑い一筋を貫く彼でした……。「でした」と言わざるを得ないのが辛い現実です。
 老いも若きも、男も女も、そして多くの子どもたちを、時には大人たちの顰蹙を買いながらも、思わず「あはは、あはは」と笑わせてくれる彼は、何と、突如飛んできた流れ弾に当たって死んでしまいました。
 あの、お笑いの舞台での青臭い彼の仕草とその時の表情は忘れないのです。その彼が、50年後には、知らない人がいないかと思われるほどのコメディアンとして、テレビの中で活躍することになるとは嬉しい限りだったのです。
 彼自身、自分が死ぬということが分らぬままだったのではないでしょうか。
 人生、流れ弾がいつ、どこから、突然に飛んで来るのかわからない、という無常。
 私たちを大いに笑わせてくれた彼のあまりに突然の死は、悲しむ暇もないまま、時間だけは黙々と過ぎていきます。お笑いの一つの時代が終わりました。
 志村けんさん。ありがとうございました。


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