スイスは物価が高い。あの国にいると、ただ突っ立って息をしているだけでも、お金がチャリーン、チャリーンと出ていくような気がする。ということは、スイスの人にしてみればドイツの物価は安いわけで、当然のことながら、国境を超えたドイツ側の町々は、いつもスイスからの買い物客でにぎわっている。
たとえば、ボーデン湖畔のコンスタンツ。定期的に車で来ては、ショッピングにいそしみ、スーパーで大量に食料品を買い込み、ご飯を食べて、最後にガソリンを満タンにして帰る常連さんはたくさんいる。
スイスは物価だけでなく、お給料も高いので、毎日、国境を超えて近隣諸国からスイスへ仕事に通っている人たちも30万人近くいる。一番多いのはフランス人で5割強、その次がイタリア人、ドイツ人はおよそ2割で6万人弱だ。通いでなく、住み着いて働いているドイツ人なら、私の知り合いの中だけでも3人もいる。
ドイツに住民票がある限り、スイスで払う税金は4.5%の源泉徴収分だけで、所得税はドイツに落ちるため、国境の自治体では、スイスで働く人々が落としてくれる税金で、結構潤っているという。
スイスフラン急騰による動揺はドイツにも
EUでは去年あたりから、スイスの秘密口座が問題視されていて、透明度を増すようにという圧力が掛けられてはいるものの、スイスの金融の底力というものは、まだまだかなりの力を持っているようで、スイスが不景気だという話はあまり聞かない。
そのスイスで、15日、フランの暴騰が起こった。なぜか?
2011年9月、スイス国立銀行は、為替を対1ユーロ1.2スイスフランに固定した。当時、ユーロ危機でEUの株は暴落し、安全と見做されたスイスフランは日本円と同じく高くなり過ぎていた。
フラン高はスイスの輸出業を圧迫し、スイス経済にかなりの打撃を与えたため、国銀が介入し、フランをユーロと連動させることで、フラン高を抑えたのだった。
それをスイス国立銀行が、先週、突然、解除してしまった。国銀の介入が中止された途端、為替市場は混乱し、スイスフランは一夜でドンと値上がりした。
これは、スイスで働いているドイツ人にしてみれば、何もしないのに、寝て起きたら、お給料が2割か3割上がったことになる。スイスの人々にしてみたら、もちろんユーロでの買い物がさらにお買得になったわけだ。
そのため、元々スイスからの買い物客でにぎわっていた国境の町では、16日以来、それがさらに増えた。多くのスイス人がやってきて、買い物のためのお金を引き出そうとしたため、ユーロ紙幣が品切れになり、一時、機能しなくなったATMが続出したという。
また、スイスに輸出しているドイツ企業は仕事がやりやすくなったが、スイスの輸出企業は困っている。スイスからEUに働きに来ている人にしてみても、かなりの賃金値下げになってしまう。
スイスはドイツにとって8番目に取引が多い交易の相手だ。為替の変動は、安定した商売にはマイナス要因でしかない。
また、ドイツの自治体の中には、スイスフラン建ての借款があるところも多い。とくにエッセン市やボッフム市など、もともと大赤字の自治体が借金のかさが増えて、さらに困ったことになっているらしい。エッセンとボッフムは、それぞれ3億6700万ユーロ、1億8000万ユーロ分と、かなりの額の借款をフラン建てで持っているという。
さらに、ドイツ銀行も大きな損害を出したし、イギリスのアルパリ社(通貨取引を扱う外国為替証拠金[FX]取引業者で、EUが地盤)はすでに破産申請中。金融界は結構もろいところである。
フラン高は、対ユーロだけの問題ではなく、対ドルや対ポンド、そして、おそらく対円にも影響してくる。日本でも早晩、スイスの時計やチーズは値上がりするかもしれない。
交易が滞ると、スイス経済は落ち込む。それを見越して、スイスの大手であるUBS銀行は、2015年の経済成長予測を、早くも1.8 パーセントから0.5 パーセントに引き下げた模様だ。また、観光立国なのに、観光客も減るだろう。泣きっ面に蜂ではないか。
「強い政府」志向のハンガリーはラッキーだったか?
ただ、今回のスイスフランの暴騰で、一番莫大な被害を受けている人たちは他にいる。どうも、東欧がとんでもないことになっているらしい。
なぜか東欧ではスイスフランブームが起こっていたらしく、多くのローンがスイスフランで組まれている。ポーランド、クロアチア、セルビア、ルーマニアなどといった国々だ。
中でもポーランドはけた違いで、55万人がローンをスイスフランで組んでいる。不動産のためのローンの40%がスイスフランだというから、返済額の上昇による打撃は極めて大きい。その多くが、マイホームのためのローンだ。また、ルーマニアが15万人、セルビアでも2万人以上がスイスフランで融資を受けているという。
スイスフランは、これまで利子がユーロに比べて割安だったが、リスクはもちろん警告されていた。しかし、多くの人がスイスフランでローンを組んでいたということは、多くの銀行がそれを勧めていたということだ。
その結果、これだけ広まっているやり方がそんなに危険であるわけはないと、皆が思ってしまったのだろう。その間違った安心感が、リスクをますます広めたわけだ。
今のままでは、ローンでマイホームを建てた人たちが、次々とそのマイホームを手放さなければならないという事態が起こりかねない。そのために、銀行と政府が現在、救済策を思案中だ。
一方、興味深いのはハンガリーである。ハンガリーでは、2010年からオルバーン首相が政権を握っている。彼がしばしば他のEU加盟国などから、独裁者のように非難されているのは周知の事実だ。国民、特に若者も、しょっちゅう反政府デモを行っていた。断っておくが、ハンガリーもEUの加盟国だ。
オルバーン首相が何を非難されているかというと、彼の政治が、伝統や宗教を重んじる反動的なものであるとか、報道をコントロールしようとしているとか、憲法を自分の都合の良いように変えようとしているなどといったものだ。要するに、反民主主義のきらいがあるということ。
経済政策に当たっても、大赤字の国家経済を救済するために、なるべく大きい政府を作ろうとしている。つまり、経済をすべて市場原理に預け、その行く先を企業の自主性に委ねることを嫌い、政府が自ら介入し、コントロールしていこうという方針だ。
その一環として、去年の11月には、ローンの為替の変動リスクを小さくするため、ユーロとスイスフランのローンの返済における交換率を固定した。ハンガリーにも、スイスフラン建てのマイホームローンはたくさんある。しかし、ハンガリーの人々は、この政府の介入のお蔭で、ローン返済額の唐突な高騰は免れる模様だ。
もちろん、こういうことができるのは、強い政府の証拠であり、それがEUの中核をなしているリベラル主義者たちや、国民から批難されていたのだが、実際、その強い政府が、今回のように、国民の利益を守る方向に使われたことは、国民としては幸いであった。すべては悪いことだけではないという証拠のようなものだ。ただ、難しいのはそのバランスであろう。
いずれにしても、EU経済は、そうでなくてもギリシャを始め、南欧でがたついているのに、これで東欧まで深刻な金融危機に襲われると、ますます大変なことになる。
最近、日本でも、外貨への投資が人気だ。ブラジルのレアル、トルコのリラ・・・。ちょっと夢があるし、スリルもある。ノーリスク、ノーリターンはつまらないと思う人は多いのだろう。
とはいえ、うまい話には罠があるという、昔ながらの教えは、おそらくそれほど間違っていない。そして何より、日本には、円という安定した貨幣があることは、私たち日本人にとっての僥倖である。