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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

短歌味体Ⅲ 3220-3222 「、」「。」シリーズ・続

2019年04月23日 | 短歌味体Ⅲ-5
[短歌味体 Ⅲ] 「、」「。」シリーズ・続



3220
あめ、あめ。あめえものが
食いたいな。
あめもあまもあまもりもいるぞ。
 
註.『A081 古い日本語のむずかしさ』(吉本隆明)の「講演のテキスト」を読みながら。



3221
ひらがなばかりの文を
読みながら
助詞の手すりに一息つく



3222
漢字の飛び石の、、、
間には
名を知らぬ魚が泳いでいる

短歌味体Ⅲ 3217-3219 「、」「。」シリーズ・続

2019年04月22日 | 短歌味体Ⅲ-5
[短歌味体 Ⅲ] 「、」「。」シリーズ・続



3217
道々は、、。、、。、
、、、。
足踏みながら歩いてゆくよ



3218
「、、。。 、、、」に
ぶつかりそう
急ハンドルの、、 、、、。とよける



3219
見知ったスカートも揺れてゆく
、、、、。
ああ、いい天気、いい空だなあ。

短歌味体Ⅲ 3214-3216 「、」「。」シリーズ・続

2019年04月21日 | 短歌味体Ⅲ-5
[短歌味体 Ⅲ] 「、」「。」シリーズ・続


3214
時間の波に乗り、乗り。
風景が、
ズームイン!舞台はじまる。


 3215
出し物は、、、、ええっと、
見回す
前に、決まっている。


 3216
朝、きみはがっこうへいく。
土道(つちみち)の、
端、高低(たかびく)避けて歩く

短歌味体Ⅲ 3211-3213 「、」「。」シリーズ・続

2019年04月20日 | 短歌味体Ⅲ-5
[短歌味体 Ⅲ] 「、」「。」シリーズ・続



3211
飛ぶ、浸かる、流れる。
手を伸ばし、
伸ばし、手を、手を、つかむ木の枝。



3212
花。火事。車が走る。
人、人、人。
雲が流れる。犬、見る。



3213
窓から、外を見る、見る、見る。
時間が、
遡行(そこう)する。湧き上がってくる

作品を読む ⑧ (加藤治郎)

2019年04月19日 | 作品を読む
 作品を読む ⑧ (加藤治郎)


 ※加藤治郎の以下の短歌は、ツイッターの「加藤治郎bot」から採られている。



 今回は、エロスの表出、性愛表現の作品を取り上げてみる。個々の作品の具体的な読みにまでは下りて行かないで、エロスの表出である性愛表現について考えてみたい。

 吉本さんが晩年に日本人のエロスについて触れている。


吉本 先程、僕は自分の中にエロスが薄いということを言いましたが、そもそも僕は日本人にはエロスが薄いんじゃないか、と思っています。民族性か種族性か、どう呼んでもいいんですけど、この種族がエロス的にどうなのかと言えば、全体として物凄く薄いんじゃないかと思います。日本人の中からサドとかバタイユのような、そういう作家を求めようとしても難しい。みんな何かにすり替わっている。エロスをエロスとしてそのまま、サドのような作品が書けるのか。書けば書けるのかもしれない。しかし文学だけで言いましても、数えるほどもそういう作家はいない気がします。

――それは宗教的なものも関係しているんでしょうか?サドもバタイユも、そのベースにキリスト教的な土壌があるという点において、日本とは環境が異なると思えるんですが。

吉本 本当にそう思いますか?僕はそこに疑いをもちます。日本においては何かがエロスに入れ替わってしまっている。エロスが全開にならぬところで、外らされてしまっている。特にそれが外に現れる時に非常に貧弱な気がします。自分の内面において自分自身と話をしていると、すごいエロティックな男のように自分では思えるんですが、それが表れとして外側には出てこない。そこには日本の家族制や血縁性の強固さというものが、ヨーロッパなどに比べると非常に大きく作用していて、その問題じゃないのかなっていう気が僕はします。

――その点について、もう少し詳しくご説明頂けますか?

吉本 関心が薄い、強いというのは表層的な部分です。つまりエロティックなものが外に向かって表象されないということなんです。同種族間の結合力の方にエロティックな問題が回収されてしまっている、血縁の男女間の繋がりが非常に強固であるのが妨げになって、エロスの問題が語られづらくなっているように思います。そこでエロスが何かにすり替えられてしまうんですね。しかし、これは一歩間違えれば近親相姦の領域に入ってゆきかねない。
(インタビュー 「性を語る―コイトゥス再考―」2011年7月5日『吉本隆明資料集179』猫々堂 )



 エロスが全開で表現に上ってくるヨーロッパに比べ、この列島社会の個のエロスの表出や表現の特異さが、列島社会の慣習や家族制と関わるものとして語られている。今のわたしはよくはわからないが、そう言われれば、なんとなくそうだなあと思い当たるような世界である。

 例えば、表現者の中上健次や岡本太郎は、具体的な相手が存在する性愛においてはどうだったかは知らないが、表現の世界での表現的なエロスは―もちろん、具体的な性愛の振る舞いと何らかの対応性を持つはずであるが―、作品を見ると骨太のエロスが全開されているように見える。物語の世界では、中上健次や村上春樹に限らず大衆小説含めて考えれば開けっぴろげの性愛描写や性描写は存在してきたのかもしれない。わたしは、サドもバタイユもまともには読んでいないので、明確には中上健次や岡本太郎と比べることができないが、わたしの印象で言えば、サドもバタイユもまさしく全開のエロスだとして、中上健次や岡本太郎にはどこかで押し止めるもの、自然による希釈のようなものがあるような気がする。村上春樹の作中の性愛表現は、自然による希釈ではなく、エロスの開放と抑制が作品世界や作品イメージの方から無意識的であれよくコントロールされているような気がする。

 よく言われるように、この列島社会では、古くは性が大らかに捉えられ表現されていたという。それは、例えば正月の祭りなどで安産を願う要素も含まれているなど、生活世界の宗教性とつながった意識だと思うが、そうした風習が後々の個の表現としての物語にも影を落としていたのだろう。例えば、わたしの小さい頃はまだ自宅で結婚式もしていた。今から半世紀くらい前のことである。わたしが目にしたことであるが、父方の叔母さんの結婚式で、余興で親戚の人が股間に一升瓶を当てながら歌い踊っていた。たぶん何か卑わいな歌だったのだろうと思う。何となく恥ずかしい感情を持った覚えがある。それは、真面目に言えばトリックスターのように振る舞いながらも結婚する当事者への祝福や祈願の表現に当たるものだったのではないだろうか。このようないくつもの生活場面を潜り抜けて、わたしたちは、エロスの表出や表現について自然にあるいは無意識的に学んできたのだろうと思う。吉本さんは、ヨーロッパの代表的な表現者たちのエロスの表出・表現とわが国のそれの比較から、その背景を照らし出していることになる。

 ところで、作品から作者の性愛(エロス)の表現を任意に取り出してみる。


71.木星はきのう消えたの金星はくらくらしてきちゃったあ さわって 加藤治郎『マイ・ロマンサー』
72.屋上でしようじゃないか杏ジャムフライドチキンその他しゃぶりあって 加藤治郎『昏睡のパラダイス』
73.じきぼくをなくすぜなくすチェック・イン、チェック・アウトのやわらかなキイ 加藤治郎『マイ・ロマンサー』
74.暗黒の男根としてわれはあり煙草のけむり貫きながら  加藤治郎 『雨の日の回顧展』
75.画面には隣のビルの屋上に飛び移る刑事(デカ)、やりながら観る 加藤治郎『環状線のモンスター』
76.表情はふたつしずかに横たわる 水のうごきにしなうみず草 加藤治郎『マイ・ロマンサー』
77.水草に鰭(ひれ)ゆらしてるらんちゅうよ出ておいで、ゆるく咬んであげる 加藤治郎『サニー・サイド・アップ』
78.つややかな水を出しあうおたがいのいたるところがゆるされていて 加藤治郎『ニュー・エクリプス』
79.星雲のようにひろがる体液をすするのえんえんとえんえんと 加藤治郎『昏睡のパラダイス』
80.虹のように脚をひらいてきみは待つ暗い回転扉の彼方 加藤治郎『ニュー・エクリプス』
81.はずしあう白いボタンのいらいらとはじまるときの息はせつない 加藤治郎『しんきろう』
82.聖なるかな! おまえの足は聖なるかな口にふくめばマニキュアのにがさ 加藤治郎『マイ・ロマンサー』
83.あなたってぬいだばかりのブラウスを胸にあてあなた文語のようだ 加藤治郎『しんきろう』

84.湖に霧がながれてゆくようにあなたのほそいおなかがしなう 加藤治郎『ハレアカラ』


 わたしは、近代以降の短歌の歴史に詳しくないが、少し見知った感じでは、このような性愛の表現の登場は新しいような気がする。ちなみに、作者の加藤治郎が次のように述べている。


 俵の文章を引く形で仙波が発言しているが、この時代を象徴する三つのキーワード、それは、林あまりのFUCK、仙波龍英のPARCO、そして俵万智のカンチューハイだったのである。

 生理中のFUCKは熱し/血の海をふたりつくづく眺めてしまう
                       林あまり『MARS☆ANGEL』
 夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで
                       仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』
 「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
                       俵万智『サラダ記念日』

 風俗とコマーシャルな固有名詞の解放は、現代短歌がサブカルチャーの領域に開かれたことを人々に印象づけた。時代がFUCK、PARCO、カンチューハイを摘出し、流通させたように思える。
 (『短歌のドア』P179-P180 加藤治郎 2013年)



 短歌の作者たちも時代に促されるようにして、互いに響き合いながらこのような表現を生み出してきているのだろう。わたしの場合は性愛の表現にはほとんど踏み込むことはないが、このように表現として開放されることはいいことだと思う。短歌表現から見れば、それは表現の拡張に当たっている。

 上に取り出した作品に表現された〈エロス〉の表現の特色を挙げてみると、開放的、直線的、エロスへの没入、しなやかさ、ということになるだろうか。ここには、ある精神の遺伝子を持つ列島社会の表現世界で、時代性と個の固有性とが交差しながら〈エロス〉が表現としてかたち成そうとする姿がある。

 この作者を含めて上のような作品群の背景には、吉本さんが解明してみせた1970年代以降の「消費資本主義」社会の成熟の現実がある。作品たちはその社会の有り様を意識的に感受しているはずである。個の意識としてみれば、旧来的な束縛から解放されて、意識としても表現としても自由度を増大させたと言えるだろう。この旧来的なとは、当然旧来の社会性であるが、農村性や地域性と関わるものだったように思う。(旧来的な束縛を例示すると、今から半世紀くらい前には、フォークソングなどは不良で敬遠すべきもの、女性は二十代前半くらいで結婚するのが当然、などなどの生活世界と結びついた慣習や倫理が存在した。そのようなものが、総仕上げのようにすっかり剥げ落ちてしまったということ。別の言い方をすれば、産業社会の変貌によって、お金による交換、そして消費という活動が、旧来的な組織性や精神性を解体してしまったということ。)


短歌味体Ⅲ 3102-3201(作品集) 

2019年04月16日 | 作品集

  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3102
ツイッターの流れは速い
のんびりと
魚釣りする気分じゃない


3103
次々に泳いでくる
魚たち
バシャッとひれ打ち色鮮やかもある


3104
ぼくらはひとり舟乗りさ
目まぐるしい
光景も凪(なぎ)と操(あやつ)り進む



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3105
にぎやかなネットの海へ
(ちゃぽん)
今そこに ほら chapoon!


3106
言葉の瓶はぷかぷか
ぷかぷか
流れていく ああ 流れて行くよ


3107
言葉の舟の操法が
色んな
人の姿形 ぼわっと映し出す



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3108
言葉・映像・音楽の
次々に
繰り出される出し物に触れる


3109
鮮やかな花々の街角
戦争・経済・政治の街角
動物たちの街角、次々と


3110
あれいいなこれもいいよと
つぶやきながら
自分でもあれこれ繰り出す



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3111
ひっそりと言葉紡いで
そうっと
飾り付けもなく店先に置くもある


3112
奥まった所に人はいて
何を売ろう
としているのかわからない


3113
売るって、ここでは ほら
わかるでしょ
知らない内の心のこうかん



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3114
言葉が出ない出ないよう
と気張ってる
イメージばかりは彗星のよう


3115
それぞれの沈黙を担(にな)い
イメージが
通りを駆ける 馬も車もいらない


3116
おんなじ文字でも ここと
あちらちら
イメージの烽火(のろし)違うみたい



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3117
足早に時間を下って
ゆくゆくは
何かに出会うかと心泡立つ


3118
イメージの破片群を
かき分けゆく
一瞬、サーカスのふしぎな光景に会う


3119
脇道から色んな楽隊
現れては
消え イメージの破片踏みゆく



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3120
一昔めくってみると
一画像
開くのに一分以上もかかったよ


3121
いま考えられないことが
未来のみちは
深い眠りにいるんだろうね


3122
バーチャルのそれが何なのさ
本道は
依然雑草の難路行



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3123
押し上げられた 時代の水圧
振り返る
ぼくらの重いおもい他人事のよう


3124
すいすいと滑る滑る
幻の
色鮮やかな水面をすべる


3125
確かな触感の
バーチャルな
イメージ水面きらきらはねる



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3126
デラシネも死語となった
古書店
ばかりは名にし負いさらばえているか


3127
始まりは新しいぞ!
ばかりでない
デラシネの影終終(シュウシュウ)してる


3128
確かに父母(ちちはは)から
生まれたが
死語中空に終終終(シュウシュウシュウ)



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3129
新しい古いの向こう
地層の
全体が浮き上がっている


3130
対立は不毛の昨日から
怨怨怨
背後からふうっと怨嗟が来る


3131
文字となったバーチャルの
血は見えぬか
くるくるくると墜落するぞ



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3132
せんどうの顔は見えぬが
見知らぬ
古びた国に棹を差している


3133
端正な書体なのに
濁った
泥水ばかりが流れて来る


3134
同じ文字の形して
新旧の
異装にぎわうネット海はも



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3135
酔っ払った書体が
あちこちに
ぶつかっては身を立て直し


3136
流れ出す意味は無意味に
さ迷って
ちぎりちぎられ流れにのる


3137
どこかに流れ着くか
なんてこと
思い浮かべちゃいけない



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3138
走法がむずかしくても
ただただ
いい感じに流れに乗ることさ


3139
イメージがすずずんと肌を
流れる
もうそれだけで言葉は要らないのさ

3140
あれこれと操りながら
心内(こころうち)に
未来の種も小さくつぶやく



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3141
いつでも瞬時にネット
海に入り
淡い間のあわいを流れる


3142
色色のいろんなものが
小さな
泡吹きながら流れてゆくよ


3143
見知らぬ顔の言葉にも
時には
ああいいねと手を振る



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3144
菜の花の列を過ぎると
誰かな?
ふいと微かに匂い流れる


3145
春。色鮮やかなのに
しっとりと
生の香りがしない ネット海。


3146
イメージの水に浸かった
目を上げる
やっぱり春だねえ 新春(シンシュン)。



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3147
ひとつの動画を潜(くぐ)る
モチーフと
偶然とはらはら絡み落ちる


3148
モチーフの丘を越えて
ずっと向こう
あの青葉の下で出会うんだ


3149
名声もお金もうけも
別にいいけどさ
ほら この青葉が滲みるなあ



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3150
顔立ちも表情も
見えない
ブラインドのすき間から触れる


3151
顔がないせいだろうか
もじもじと
くり出す言葉は少ないなあ


3152
ヤナギタの「正視」かき分け
語り出す
青い種族の伏し目がちはも

註.柳田国男によると、この列島の民の精神の遺伝子では、正視するのではなく目を合わせないのが常態だったという。



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3153
どこへ流れて行くのか
わからない
流れの水を掬ってみる


3154
言葉となった自分の
顔の移ろい
水鏡に映っている


3155
流れは速い はやいなあ
〈あ〉の言葉
流れにとどまる間もなく去る



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3156
(何か言おう とすると)あ うえを
びゆくの
とっぴんしゃらら うえびゆくのよ



3157
(何んでもいい と言うから)
ダダーン!
踏み踏ま踏みょはれへるほはと


3158
(見晴らしは)悪くはない
でもでも
デモする方がいい日差し浴びるよ



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3159
ネット海に魚が跳ねる
花々の
あわいにネコが戯れる 春。


3160
流れる 舞台上に
イメージ群
ガンダムランダム 新しいぞ。


3161
生々しい匂いはしない
シナイ半島
煙が上がるよ 不穏。



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3162
宇宙船の中しかない
世界なら
イメージだけが生え繁茂する


3163
背負っている木々や山川
ある限り
二重の視線イメージの中を走る


3164
イメージの雨の中に
ぴっちぴっち
ちゃっぷちゃっぷ素肌を流れる



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3165
よいしょと上がって海へ
ダイブする
これって時間の TLL流れだな


3166
流れにどんな未来が
差してるか
何て知らないさ 過去現在のTLL

註.TLは、timeline(タイムライン)。


3167
振り返ると遠い過去が
化粧され
今日の顔で流れて行くよ



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3168
わたしは服を着る
変身!
〈私〉となってネット海を泳ぐ


3169
学校で男先生が
おとうさん
ではないように〈私〉は泳ぐ


3170
おんなじ部屋にいても
〈私〉は
わたしではない 分身の術さ。



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3171
さくらがネット海に
咲いている
「きれいね」「きれいだね」


3172
ふしぎでもなんでもなくなった
けどけどけ
(おかしいだろう)どこからか声のする



3173
下ろしたての服の物語
こなれて
流れてゆくよ どんぶらこ



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3174
ただの木切れじゃん、とはならないな
イメージの
宿りして人形が生き始める


3175
人形にもこころ揺れる
人だから
イメージの流れ泡立つにも


3176
なあんだこれ造花じゃん
から時を越え
見分けつかなくなってしまったよ



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3177
ネット海に浸かりながら
中継する
きみは新手(あらて)のアナウンサーか


3178
中継するすると
幕上がり
もの珍しい光景迫る


3179
みるみると目は楽しんで
イメージ面を
すいすいすすいスピード・スケート!



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3180
ほんとうの顔は見えない
ネット海
流れはあるよ、ほんとうのって何?


3181
息子とオレオレ詐欺は
どう違う?
同じ通路を言葉は駆ける


3182
流れる画像や言葉たち
ほんとうの
選択する手匂い立つ 微か



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3183
絶対にバレないとして
さてきみは
百鬼夜行をなすか ナスカ


3184
ナスカにはナスカの事情
があって
ナスカ原理にコンドルは飛ぶ


3185
ゆったりと飛んでいる
コンドルの
翼はアンデスの風に染まり



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3186
はっきりした言葉が通る
世界が
あるあるある世界があり


3187
はっきりと言葉で言えない
世界が
あるある通路を探している


3188
まなざしを少し傾ける
と とっとっと
世界の色が多重になる



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3189
大声の大泡立つ
流れに
小声や無心の泡小さく立つ


3190
どんな小声も堰き止めない
まぼろしの
流れの倫理 さくら花びら


3191
真になる条件の
平均台
小声で静かに渡ってゆく



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3192
もう花見はしないなあ
石ころを
蹴りながら桜道をゆくよ


3193
音楽過剰本過剰
ドラマ過剰
広告過剰過剰かよ


3194
過剰に肯定も否定も
なく、ただ
渦中を昨日と同じく歩む



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3195
ああこの小石感じいいな
出会いあり
持ち帰り机上に乗るもある


3196
ありふれた小石ゆえにか
時として
ひかり輝く時がある


3197
ネット海いずれにしても
腐海なら
誰も泳ぎに来ないよなあ



  [短歌味体Ⅲ] ネット海シリーズ・続


3198
花冷えの春、人も世界も
しずかに
昏(く)れる世界の渦中歩いて行く


3199
(わからない)とつぶやく
隣を
ふうっと抜けていく風がある


3200
楽しい歌やダンス
いいけどさ
心の内に鳴り響く 異音異韻律


3201
(やけに楽しそうじゃないか)
閉ざされた
行き止まり ぶ厚い雲 ウ