先日、告知した映画、観てきました。
なかなか重い映画でした。
いつもの映画館ではやっていなくて、少し離れた映画館まで行ってきました。
確かにね。
観てわかりましたよ。
暴力、援助交際、育児放棄、恐喝、殺人・・・
世の中で認められていないことが、ごく当たり前に存在する映画でした。
よく封切ることができたなと思えるほどです。
この映画に興味を持ったのは、菅田君(エージ)と大賀くん(スギオ)の共演もありますが、
学校に一度も行ったことがなく生年月日も定かではない、14~15歳の少年タロウ(YOSHI)の
存在が気になったから。
でも、これ不登校の域ではないです。出生届が出ていない。
学校に行くという選択肢を与えられていない。
ネグレクトです。
父親は不在。母親はいつ帰ってくるかわからない。。。
タロウが、話しかけても言葉を発しない、タロウをみない母
愛情を感じたことがないタロウ。
だから「好き」という感情がわからない。
「好きって何?」と訊ねるタロウ。
感情が育っていないと、「生きる」ことも「死ぬ」ことにも特別な感情が生まれないのですね。
「生きたい」とか「死にたくないとか」そういうレベルにも達していない。
ただ本能のままに生きて、金がなくなれば人からひったくり、抵抗されたら暴力を振るい、
それが死に至っても・・・罪悪感も生まれない。
たまに突きあがってくる感情に動かされ、見境がつかなくなってしまうけど、
その感情の「名前」がわかっていないのだと思います。
だから、自分ではどうしていいかわからない。。。
私はこの映画を観てわかりました。
悩むのも苦しむのも、感情があってのことだと。
感情の「名前」を知っているからだと。
感情が育っていないタロウと、感情を持つことを放棄してしまったエージと、
まだ少しは理性が残っていたスギオ。
スギオの言葉が印象的でした。
「痛みを感じられるならいいんだよ」
本来なら「痛み」なんて感じたくない。
できるなら避けたい。
でも、それは感情を持っているからそう思えるということ。
それが人間らしいということなんだなと改めて思いました。
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いつもの映画館ではやっていなくて、少し離れた映画館まで行ってきました。
確かにね。
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暴力、援助交際、育児放棄、恐喝、殺人・・・
世の中で認められていないことが、ごく当たり前に存在する映画でした。
よく封切ることができたなと思えるほどです。
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学校に一度も行ったことがなく生年月日も定かではない、14~15歳の少年タロウ(YOSHI)の
存在が気になったから。
でも、これ不登校の域ではないです。出生届が出ていない。
学校に行くという選択肢を与えられていない。
ネグレクトです。
父親は不在。母親はいつ帰ってくるかわからない。。。
タロウが、話しかけても言葉を発しない、タロウをみない母
愛情を感じたことがないタロウ。
だから「好き」という感情がわからない。
「好きって何?」と訊ねるタロウ。
感情が育っていないと、「生きる」ことも「死ぬ」ことにも特別な感情が生まれないのですね。
「生きたい」とか「死にたくないとか」そういうレベルにも達していない。
ただ本能のままに生きて、金がなくなれば人からひったくり、抵抗されたら暴力を振るい、
それが死に至っても・・・罪悪感も生まれない。
たまに突きあがってくる感情に動かされ、見境がつかなくなってしまうけど、
その感情の「名前」がわかっていないのだと思います。
だから、自分ではどうしていいかわからない。。。
私はこの映画を観てわかりました。
悩むのも苦しむのも、感情があってのことだと。
感情の「名前」を知っているからだと。
感情が育っていないタロウと、感情を持つことを放棄してしまったエージと、
まだ少しは理性が残っていたスギオ。
スギオの言葉が印象的でした。
「痛みを感じられるならいいんだよ」
本来なら「痛み」なんて感じたくない。
できるなら避けたい。
でも、それは感情を持っているからそう思えるということ。
それが人間らしいということなんだなと改めて思いました。
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