ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

わからなくてもいい。

2017-03-30 23:38:39 | 家庭内対応
昨日、車で映画館に向かう途中のことです。

駅前の横断歩道を渡ろうといている人がいたので一時停止しました。

停まった車を確認して、右から女性が小走りで渡りました。
左にいたお年寄りも、そんなに軽くはないだろう身体を揺らしながら、
慌てて渡っていこうとします。

「そんなに焦らなくてもいいのに~」と私が言うと

ケン太が「こういう時、走る人って自分勝手だよね」と言います。

「え?車を待たせては申し訳ないという心遣いなんじゃないの?」

「だってさ。走ったら、そこまでさせて申し訳ないと運転手が思うわけだろ?
罪悪感を感じているということ。走る人は、そういう罪悪感を感じさせてしまうということが想像できない人。
つまりは自分勝手。相手に罪悪感を感じさせない程度の早歩きがベストなんじゃない?」

罪悪感?
こ、こ、こまかい~
考え過ぎじゃ?
そこまで考えたら疲れちゃうよ~

待っている車のために走ってくれた。
その心遣いを素直に受け取ればいいと思うけどね。

でも、それがケン太だ~と思いました。

ケン太はこちらが想像できない思考を持っています。

先日書きましたが「勝手な想像をする親」であった私は
予想が大きく外れていることが多々あったのです。


学校に行かなくなった当初ですが、

私はいつも「何もわかっていない」と言われていました。

ほんと何度言われたかわかりません。

「こうではないの?」と聞いても
「違う」とだけ。

答えは教えてくれませんでした。

どうせ、わかんないんだろ?
わかんないならいいよ。別に・・・

というような冷ややかな視線を向けられるだけでした。



中学受験で学校訪問をした時も

「お母さんはこういう学校がいいんでしょ?」と。

それがドンピシャでして

「でも、俺は違うからね」と。


そんなことばかりで・・・



あの時は暴力もでていて、
親子関係は最悪で、

「何もわかってない」と蔑むように見られていましたが、

「わかっていない」
「わかっていない」

と何度も言うのは

「わかってほしい」心の裏返しだったのだと思います。


何年前からだろう~
今は言われなくなりましたけどね。


今も「わかってないな」と思われているかもしれません。

だって、わかんないもん

でも、多分「わからない」ことはもう問題となっていないんでしょうね。
それは、どうしようもないことだから。

ケン太も少し大人になっていると思います。


わからなくてもいい。
受け入れられなければ受け止めればいい。

そう思えたことで(そう思うしかないのよね
だいぶ、肩の力が抜けました。

だから、ケン太も力が抜けてきたのかも。


今は
「そう?」「それ違くない?」とかお互いに言ったりしてね。

でも、ぶつかり合うわけでもなく
価値観を押し付けるわけでもない。

お互いの素直な考えを言い合える関係になってきているんじゃないかと思います。


今は、ケン太の思考を楽しもうと思っています。

いろいろ意外なことが出て来るからね。

ほんと面白いですよ。




ランキングに参加しています!
ポチしていだだけたら嬉しいです
     ↓
にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へにほんブログ




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする