知らないことを罪(恥)の意識で満たしてはならない
知らないことを希望のことばでコドモを迎える
少しだけ多く知をもったオトナの最低限の務めがある。
それがどんなに真摯な主張であっても道を誤ることがある
とりわけ知が倫理的要請や義務からはじまれば無知は〝冤罪〟に沈む
冤罪を負ったコドモは罪を軽くするために差別に走る
教室だけではない、社会(拡大教室)で頻発していることである
(歴史の惨劇の源に冤罪を晴らそうとする盲目的衝動がある)
はじめに絶対の理想、理念を立てた場所からはじめるとそうなる
この場所で真の意味での「多様性」が生き延びることはできない
理想、理念をともにする以外の人間は圏外に出るしかない
啓示宗教が説いた「原罪」に満ちた干からびた世界図式に似ている
(神-教会-司祭-信者-異端という絶対的な知の階梯)
世直しに走った正義の人、青年・賢治のあやうさもそこにあったのだと思う
ほんとうに問うべきは無知ではない
知を獲得したうえで知をどのように用いるのか
多くの罪を犯してきた「知」のあり方(用法)こそ問うべきだろう