身体は膨大なデータ、ランダムにおとずれる世界を日々刻々と受信している。
そこに混乱が起こらないのはなんらかの交通整理──「存在のまとまり」をキープするために、
取捨選択・変換・無視・マッピングといった「情報処理」(縮約)が行われている。
重力・光・音・振動・気圧・気温・湿度・風景・地面の起伏・対象物の肌理。
歩くシステムが対話し、情報をピックアップし、
固有の変換コードによって世界図式を描き出す源泉としての「変数のネットワーク」。
「歩く」という行為──〈世界〉の渦中において、〈世界〉にまみれながら生きる行為連鎖。
生きられる環境と〝わたし〟の「コール&レスポンス」の絶えざる進行。
その渦中において、日々刻々、「わたしという生存のまとまり」という命題を維持するべく、
めまぐるしい演算(コンピューティング)が行われている。
ところが、外部観察者の視線には単に「ヒトが歩いている」という像が映るだけである。
「歩くゲシュタルト」が自己組織化を継続するために、
環境世界を構成する膨大で微細な情報を拾いあげ、解釈し、意味づけ、
歩くシステムは環境との対話をキープをしている。
巨大な労苦によって担われ動くこのシステムは、
意識に先行しながら意識の作動を許すように動いている。
世界を創り上げている「歩くゲシュタルト」──「生きるゲシュタルト」。
「ヒトが歩く」というきわめてシンプルな視覚像の裏側に、
いまこのときも「意識」に先行して〈世界〉をマップしている「生」の意思がある。
歩くゲシュタルト自体が、〈世界〉形成(対話=情報の総合)と相即している。
欲望‐対話‐運動形成‐モニタリング‐解釈‐判断‐予期形成‐決断‐選択。
意識に先行して意識の作動を許すマトリクスの作動──
生きられる地平と自己の関係づけ、パターン形成から運動の試行と連続的展開。
目的というもう一つの包括的全体の位相を生きる意識──
しかし意識はつねに内なるマトリクスをあてにしながら、そこからのズレを生む原因でもある。