ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「物語」 20210131

2021-01-31 | Weblog

 

理解──

なんらかの理解と納得を刻むように世界を記述し、みずからを組織する
みずからになんらかの理解を充てることで納得と了解を刻む

「そうにちがいない」

理解の十全性、整合性を求める心の原理的特性

世界のアウトラインが決まらなければ、みずからのかたちを決め
対象を定め、新たな企投へ向かうことができない

足りなければ「物語」が呼ばれる
仮説と推論 リアルのピッチを外れて羽ばたく想像のつばさ

「そうであればすべては整合する」

足りないものを埋めるために物語を置いて納得を刻む
全体包括的な意味、いまここにない虚数項へ向かう
このことの要請は内的必然性をもつ

「そうに決まっている」

さまざまな物語の構成に必要なものが探され、手もとに集められていく
物語を裏切るものは棄却され、あるいは抹消される

物語、虚数的究極解、森羅万象をすべる絶対項〝カミガミ〟の生成
むすうの物語の生成、その糾合的完成形としての〝世界理解〟、

「そうだよな」
「わかるわかる」

足りないものがあれば、それを穴埋めするものが呼ばれる
矛盾、対抗、異和、不整合を示すもの一切の棄却
全体整合性へのめがけ、世界記述の確定へ向かわせる誘惑

この全プロセスは根源的な駆動因
人間的生の主題(欲望)によって駆動されている

独断論 形而上学 懐疑論 相対主義 
すべてはこのドライブから派生的に分泌される

「はじめに言葉ありき」ではない

確定された世界記述「はじめに言葉ありき」にしたがうかぎり
生は記述された確定項から逆算された姿
逆規定された逆立ちした姿としてしか生きることができない

この倒錯の歴史を棄却するために明らかにしておくべきことがある
「はじめに言葉ありき」と記した者(たち)
その末裔として物語を携えわれわれは生きているということについて

 

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「展開形」 20210130

2021-01-30 | Weblog

 

展開形のままに──

集合的に保持される世界記述の確定項群、一般解から逆算するのではなく
みずからの記述形式、身体図式を確定項として固定するのではなく

「いまここ」の展開の拡張可能性、推進力を増すように

あらゆる存在の世界経験は
自前の世界図式、記述形式と並走している

つねに〝わたしにとって〟という条件節において出現する世界──

現実を読み取り、解釈し、世界をコードする記述形式
記述しつつ、日々を生き抜く固有の身体図式の形成と更新

意味と価値の固有の構成と配列、すなわち「わたしの世界」

快-不快の基底的コードを沈めた世界文節
肯定-否定、善-悪、真-偽、愛-憎、美-醜

透明なラインを走らせ、切り分け
経験を記述しつつ生きる実存の展開

この自明性を破り出るようにからだを動かしてみる

自己記述、他者記述、関係記述、世界記述──「この世はこうなっている」
そう自分に言い聞かせ生きている自分じゃない自分に出会う

そんなことができる?

とりあえず動いてみることはできる
変化の本質的な契機は他者との出会い
その分節コード、身体図式についてあずかり知らぬ
「わたしにって」の変化の根本的資源、異者との出会いにある

なんのために?

世界を記述しつつ経験するということ──
経験をトレースしてなんらかの〝結語〟を結び、メモリに刻み
記述の累積から、教訓を生み、育て、予期と憧れを立ち上げ、
新たな「ありうる」(存在可能)をめがけ駆けている存在同士として

からだはただ一つの装置として、つねに世界と対話している
願っても願わなくても──はじめから、からだは世界に開かれている

存在可能の窓が閉じられないように
スペースを開き、もてなすように迎え入れる

聴かれないかぎり奏でられない「からだの声」
心を柔らかくして、耳を澄まし
すべては新たな「ありうる」の展開にかなうように

記述と記述を重ね、多重化し、混ぜあわせ
そこに第三の記述の位相が生まれるように

視線を変更する──

明らかにしておくべきことがある
社会体の本質──
関係欲望という人間的生の基底的な欲望の集合的展開の現在形
かぞえきれない記述の集積、確定項が構造化した姿としての世界

集合的に確定された一般命題──「かくある」「かくあるべし」「かくなすべし」
世界記述の確定項群、すなわち合意項・禁則項・許可項の集積としての社会体

社会体が生成する必然性はヒトの欲望の本性にある
けれど、この必然性を放置すれば社会体は必ず「個」を拘束する

手当てが必要だ

歴史はこの拘束するちからを放置したまま動きつづけてきた
この構造を個の展開形にかなうように再逆転すること──視線変更

社会体の帰属主体としての「個」ではなく
社会体の更新主体としての「個」であるために

世界記述の主体として超越項化した社会体ではなく
世界記述の主体としての個の位相から社会体を照らすこと

社会体を用在として、ただ展開形としての「個」の本質にかなうツールとして
ひとりひとりの生の展開のアイテムとして適切な用法にかなうように

社会体の更新主体としてのひとり、ひとり
すなわち展開形のまま「個」が生きられるように

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「コロナ時代」 20210129

2021-01-29 | Weblog

 

京都橘のメッセージ

https://www.youtube.com/watch?v=9VOy-oQOcvA

https://www.youtube.com/watch?v=N7kKvJsipUw

https://www.youtube.com/watch?v=yE-UwVWDEHg

     *

とんなに事態が病理の猖獗として展開しても
あるいはそうであればあるほど
守り抜かなければならない始原があり 作法がある

だれかに教えられ 諭されたからではない
そうすべき理由を問うことはいらない

すでに、つねに、駆けだしているものがいる
水をやり、光を注ぐように
その血脈は途切れずに生きられている

 

 

 

 

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「日本の全ての方々へ」(青空文庫)

2021-01-28 | 参照

 

「日本の全ての方々へ」
マハトマ・ガンジー Mahatma Gandhi/The Creative CAT 訳 (青空文庫より)

………
あなた方に対しては、人道の名において訴えます。
無慈悲な戦争には最終的な勝者がいない、ということが何故あなた方にはわからないのか不思議でなりません。
連合国でなくても、疑いなく他の何らかの勢力があなた方の手法をより進め、
あなた方の武器によってあなた方を打倒するでしょう。
仮にあなた方が勝利を収めたとしても、あなた方の国民が誇りに思えるような遺産を残すことはできないのです。
熟達の技たる残虐行為を延々聞かされて誇りを持てる者などいません。
仮にあなた方が勝利を収めたとしても、それはあなた方に正義があったことを証明するのではなく、
ただあなた方の破壊力の方がより大きかったということを証明するだけです。
これと全く同じ話が、インドを直ちに誠意をもって自由にし、
隷属せられたアジアやアフリカの全人民を同様に解放すると約束しない限り、連合国側に対しても成立します。

私どもの英国への抗議は、自由インドが自発的に連合国軍の駐留を認めるという提案と結びついています。
私どもには連合国側の大義を傷つける意図が一切ないことを証明し、同時にあなた方が、
英国撤退後の空白地帯へ足を踏み込まないでいられるものかと感じることがないように、これを提案したのです。繰り返す必要はないでしょう。
あなた方がこの手の考えを抱き、実行するなら、私どもは必ずや国の持てる力を糾合してあなた方に抵抗します。
あなた方およびあなた方の同盟者にも影響を及ぼせるように、
そしてあなた方が正道に戻るようにとの希望を込めて、私はこの請願を書いています。
このままではあなた方の道徳は崩壊し、人間はロボットに堕してしまうでしょう。
あなた方が私の請願に応えてくれるというというのは、英国に比べ遥かに望み薄です。
英国人は正義感を完全に失っているわけではなく、しかも彼らは私を知っています。
私は判断がつく程あなた方を知ってはいません。
私が読んだものは全て、あなた方には請願を聞く耳がなく、もっぱら武器の言うことだけを聞くのだと語っています。
それらの文章が全て誤っており、私があなた方の琴線に正しく触れられたらいいのにとどんなに祈っていることか!

何はともあれ、私には、人間たるもの必ずや応えてくれるだろうという不滅の信条があります。
迫り来るインドでの運動を着想したのはこの信条がもたらす力に支えられてのことであり、
あなた方にこの請願をしようと思い立ったのも、この信条に基づくものなのです。

セバグラムにて、
一九四二年七月十八日

あなたの友人にして幸運を請願する者たる
M.K.ガンジー

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「地上の光」

2021-01-28 | Weblog

 

まなざしを柔らかくして
いたわりねぎらい心をほどく

疲れたときは休ませてあげよう
やさしさは自分にも行使できる

星空のきらめきをきらめきとして
ただ一つ、照らし出す光

星に教えられるのではない

地上から翔け上がり
照らし、照らされあう光がある

光が傷つき、こわれてしまわないように

ざわめきをしずめ、静かに、やすらい
光をもてなすスペースを開くように

 

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「多重記述への誘い」 20210127

2021-01-27 | Weblog

 

もっともシンプルな多重記述──

焼酎にビールを注いで焼酎をビールで割ると
単体ではけっして実現することができない味わい
「焼酎のビール割り」というシンプルなカクテルができる

    *

太陽のカクテル光線が大空の水蒸気にぶつかり、「虹」が現象する
──somewhere over the rainbow──
さらに、だれかのまなざしが虹とカクテルされて、「歌」が生まれる
    
コスモスが風にゆれ、朝の光に洗われ、あなたの瞳に交わり
心の変換規則に出会って、一つのアンサンブル
いちどきりの情感に濡れた「秋の光景」が構成される

ひととひとが出会えばなにかが起こる

メッセージが交換され、結びあわされ、積み重なり
ふたつのことがひとつのことして融けあい
固有のコンビネーションパターンが生まれ、動いていく

このパターンを言語的にコードしたとき
たとえば「愛」あるいは「憎」として記述される

いまだ記述されざる地平に子を宿し
新たな記述をしたためるように、母は子を産み落とす

ふたつの性の二重記述から
かぞえきれない生の多重の記述から

どこにも存在しなかった
だれひとり見ることのなかった
新たな生の位相が創発しつづけていく

 

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「未決の展開可能性」 20210126

2021-01-26 | Weblog

 

「未決」から「既決」へ 

社会体が求める線形的な記述原理の進行に
もう一つ加えなければならない
   
「既決」から「未決」へ 

実存の自由と関係世界の生成的本質を損なわないために
人間的生の展開からその全域性が失われないために

生のエロスの根源をなす存在可能、関係可能
実存の未決のフォーメーションが求める
「ありうる」「ありたい」において生きあうために

総意として掲げるべき格律がある──

「つねに記述のスペースを空けておけ」

 

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「〝世界〟の生成的本質」(参)

2021-01-25 | 参照

 

  ───竹田青嗣「本質学研究」(1&2)

   欲求とその充足が一致するなら、思考と存在が一致するなら、
   判断、決定、行為、試行、努力といったものは現われない。
   欲望が告げられ、一つの欲求‐衝迫が開始すること。
   …それが〝内的時間〟の開始点である。

   こうして生の世界、内的体験の世界は、本質的に時間性として生成する。
   時間性として生成する世界は、つねに主体と対象という文節の生成でもある。

   内的世界体験の根本構図として、〈意識〉は始元的に情動によって触発され、
   そのつど「自」と「他」の二極性を分節する、といわねばならない。……
   触発によるこの二極分節こそ、内的体験としての「世界」の始元的生成を意味する。

 

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「十二歳」 20210124

2021-01-24 | Weblog

 

     ごめんなさいというほほえみは
     雨上がりのにじにあたいする (岡真史『ぼくは12歳』

     耳をすますと
     春のあしおとがする
     そう…… もうすぐ春だ!(岡真史『ぼくは12歳』

     

うつくしい秋空の夕ぐれに
少年の心は溶け 
かなしみとせつなさが溶け
くるしみが溶け

やがて光が閉じられ
永遠の遠ざかりを告げる
きよらかな喪失の光景に
すべてのfeelが溶けていった

黄昏の光景から延長された
なにごとも語らない星空に
まなざしにトレースされ
光と光を結ぶ物語が浮かび上がる

心は透きとおり
地上にとどまれない感情が
きらめきにあわせてスキップする

かりそめの時間を満たすように
星空のまたたきの彼方から
ひとつのシグナルが明滅する

おとなたちも仲間たちも知らない
じぶんだけの孤独とひきかえに

すこしだけじぶんだけで感じ
すこしだけじぶんだけで加えられる
なにかがあることを

 

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「記述ゲームのピッチへ」 20210123

2021-01-23 | Weblog

 

   ──グレゴリー・ベイトソン『天使のおそれ』星川淳訳

      思考習慣というやつは、よくいうように「ハードプログラム」されるから、
      一度植えつけたものを変えるには、長い時間と強力な経験が必要になってくる。
     人間を悪党に仕込んでしまったら、すぐには聖人むきのシステムをつくれないんだ。
   ……統合には一定の整合性が必要だが、
     均一性というのはあるレベルを越えると毒になるものの一つに数えられる。


記述の明晰さ、洞察の正確さをめがけながら、確定項にたどりつき
決定項として不動の地位を与えて固定し記述を完結させると同時に
記述をうごかすエネルギーは行き場を失って〝毒〟に変質する

〝毒〟が告げる──「世界の姿は決定されている」

決定項に整合するように世界のかたちは切り詰められ、歪められ
いっさいの事象を決定項に帰納するように正当性が維持される

そして〝世界〟という観念の本質から遠ざかっていく
そんなことがしばしば起こり、いまも起きつづけている

〝理解〟──世界記述、自己記述、他者記述、関係記述の総体としての理解

なんらかの理解と納得を刻むように世界を記述し、みずからを組織する。
みずからになんらかの理解を充てることなく納得を刻むことはできない

「そうにちがいない」という全体整合性を求める心の根源的志向性

決定項へたどりつくために足りなければ「物語」が呼ばれる。
物語──そうであればすべてが整合する、そのための思考補填的ジョーカー

世界のアウトラインが決まらなければ、みずからのかたちを決め、
対象を定め、新たな企投へ向かうことができない。

足りないものを埋めるために、「物語」を置いて納得を刻む。
ジョーカーを求める心性、この要請は内的必然性をもつ。

さまざまな、物語の構成に必要なものが探され、手もとに集められていく。
物語と矛盾するもの、裏切るものは否認され、棄却され、抹消される。

この全プロセスは、つねにみずからの生の主題(欲望)によって駆動されている。

足りないものがあれば、それを穴埋めするものが仮想的に召喚され、取捨選択される。
全体整合性へのめがけ、世界記述の確定、決定項へ向かわせる誘惑。
そして、このドライブから派生的に分泌される挫折項としての懐疑論、相対主義。

この〝毒〟を解毒するには記述の方法は逆転させなければならない
そのための方法論はすでに明らかにされている

記述の確定項から世界を見るのではなく
確定項からの規定としての「きみ・かれ・かのじょ・ぼく」ではなく

世界を記述する根源的意志、それが描き立ち上げる世界の生成的本質
そして記述されたものの更新可能性を生かし切る適切な用法について

すなわち、世界生成の起点、記述主体としての「個」の生の本質
それぞれの記述と記述が出あう「記述ゲーム」の生成的可能性について

記述エネルギーの自由な展開を可能にする〝ピッチ〟のありかた
ひとりひとりの記述が出会う〝ピッチ〟の構成条件、ルール設定について

 

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「舟歌 」20210122

2021-01-22 | Weblog

 

十九歳──

「現実を知れ」と諭したおとなたちは、
現実を出力する人間世界の背景についてはほとんど無知にみえた。

あるいは「現実」と呼ばれるものから逆算するように
みずからの人生を規定し、ほかの人間にもそれを求めているようにみえた。

「単純な写実(リアル)をめざすなら地球に表紙をつければそれで済む」
そうつぶやいた男がショパンは天才だと語った。

そして、そのまぎれのない証明として〝舟歌〟を聴いた。
それはいつでも帰還すべき場所を照らすもののように思えた。

   *

乗りかかった船
だれにとってもね

ひとりの例外もない
ときどき忘れそうになる

むずかしいけれど
そのことは忘れちゃいけないな

覚悟してもしなくても
願っても願わなくても
あきらめてもあきらめなくても

怒り、かなしみ、よろこび、憎しみ
すべては乗りかかった船の出来事

船の外はどこにもない、NOTHING

船の外という観念は船のなかに生まれる
外があるという観念の生成

ぼくたちの観念の運動は
どこかで船の外へ向かい、一線を超えてしまう

そして、そのことには確かな理由がある
そのことのどうしようもなさがある

なぜだろうか

そのことも覚えておいたほうがいい
船の外がなければ救われない

そんな身をよじる経験や感情があって
どうしよもうなく船の外に希望、救済を夢みる心がある

どうしようもなく深い業にみちびかれ
船内のどこか、あるいは全域をを制圧したい欲望にかられる
そんな心が船外にまします〝カミ〟を呼び寄せる

そんなこともありふれた出来事として起きている

バカだなって、それだけですませられる?
むりだな、だよな

すべては船上において現象する
船外に運びだすことはできない

そのことはむりだということ
あきらめろということだ
あきらめきったうえで
船のなかの出来事については
ぜったいにあきらめない

ややこしいけれどそうする以外ない

よりよき船の旅、願いは一つ
船の外という観念、星に願う心が心のまま
そのままに生きられるには船上の暮らしを
なんとかする以外にない

もう一つ、いちばん大事なことがある
それぞれのよりよきは一つではない

このことを忘れると船の外が再生される
一つではないことを条件として
それぞれの〝よりよき〟が生きられる船の旅

とは何か?

適切に問いが投げられるとき
その解は適切な問いのなかにすでに含まている
だれかがそう言ったことがある
そのことは信じていいかもしれない

問いの出し方さえまちがえなければね
そのために船の外という観念の一切を完璧に棄却すること
それはつまり
ぼくたちの思考の習慣から完全に離脱することを意味する

たとえば、ゴミについて

ゴミを集めてかき出す外部は存在しない
ゴミの掃き出し口はどこにもない

ゴミを含めて船上の暮らしがある
ゴミを含めて生きる方法
ゴミがゴミでなくなる再生の道をさがすこと
船上の暮らしにとって不可避のテーマだ

 

 

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「キック・インサイド」 20200121

2021-01-21 | Weblog

 


どこか遠い場所へ
じゃなくて、もっと近く
からだに向かって

はじめようか
キック・インサイド
 
帆を上げ、舵をとる
むずかしくない、ステップを踏む

one more step
キープする
one more step
 
動いている、聴こえている
からだの声、インサイドから

しっくりくる、しっくりこない
疑いようのない、じぶんだけの感覚

こたえる声、アウトサイドから
伝わってくる、やさしいビートと響き
 
どこからか聴こえてくる
ありがとう、イン・アンド・アウト
 
まじわる地点がはじける
フリーハンド、フリースタイル
 
いまはじめて生まれたようにステップする
 
母なるものが教えた、かわいい子
生まれたてのあなたに、ようこそ

「たくさん生きるんだよ」
 
息つぎする、はじまりの場所で
いつでもここに帰還するように
 
考えをめぐらす場所じゃない
そうじゃない場所でステップする

考えることの間にスキマがある
 
ちょっと、全然ちがう
リアルにはスキマがある
とんでもなくでっかいスキマが空いている
 
世界を切り取って書きとめる場所じゃない
アレ、コレ、ソレと教えられる場所じゃない

じゃない場所でステップを踏む
キック・インサイド
ホップする、ジャンプする

おわらない響き、エンドレス

どこか遠くへ、そうじゃない
もっと近くへ、からだに向かって

step on step 、on and on

 

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「戦士たち」 20210120

2021-01-20 | Weblog


   ──坂口安吾『ふるさとに寄する讃歌』

       私は蒼空を見た。蒼空は私に沁みた。
       私は瑠璃色の波に噎ぶ。私は蒼空の中を泳いだ。
       そして私は、もはや透明な波でしかなかった。
       私は磯の音を私の脊髄に聞いた。
       単調なリズムは、其処から、鈍い蠕動を空へ撒いた。

 

青空を見上げなくても
きみにはとどいていたでしょう

孤独は深く
高揚は走り
夜は夢に濡れ
星はきらめき
深い森の底に
獣たちの息がこだまし
呼ぶ声が聞こえ
暁の光に洗われ
神聖なまなざしが降りてくる

新しい地平が到来するように
季節のことづてを運びつづける
きみの戦士たちがいる

戦士はひとりではない

やさしさと
戦う意志と
許すこころと

希望が訪れるように駈けている
きみの生の精鋭たちがいる

心を決めるまえに
戦士たちは遠い気圏へと走り抜け
きみと世界の姿を照らした

呼びかけられるよりはやく
心は新しい季節に染まり
おくれてその後を追った

世界が滅びの道を歩み出すとき
きみの戦士たちが立ち上がる

空はどこまでも青く
雲は白く
光は水に溶け 
緑はきらめき
澄んだ風に洗われて
大地の楽譜は高鳴り

唇を向けるより先に
きみは風景に透きとおる

願うよりもまえに
心は光に染まり

遠い気圏に視線を凝らし
駈け出していく

 

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「自由な市民社会、多様性」(参)

2021-01-19 | 参照

 

──竹田青嗣『哲学とは何か』2020、NHKBOOKS

「コミュニタリアンが主張する「共同体的な善」という主張も、
価値の共存の原理をそのうちに含んでいない」

「これまでも述べてきたように批判的相対主義者はこう主張する。
社会のうちに価値の多様性が存在しうることこそが重要であり、
社会的な「正しさ」(正当性)の公準を一つに定めることの危険に気づくべきであると。
だが、このようにいうとき、相対主義者たちは、価値の多様性ということを
一つの「当為」(理想)として語っているにすぎない」

「現在、この「価値の多様性」の考えは、ほとんど誰も表立って反対できないような
一般的に承認された観念になっている。
しかしなぜ「価値の多様性」が市民社会にとって不可欠なのかを、
いまたいかなる原理でそれが可能となるのかの根拠を、
相対主義者たちはつきつめて提示することができない。
むしろ、相対主義の考えからは、「価値の多様性」の考えも
「価値の絶対性」の考えも等価であるという主張も必然的なものとして導かれうる。
メイヤスーがいう思想の「信仰主義」とはまさしくそのことを象徴している」

「すなわち、普遍戦争を抑止しかつ人々の自由を可能にするために、
どんな社会が必要なのか、と問えば、
その答えには理想理念や相対主義的主張が入り込む余地がなくなる」

 

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「ミキシング」 20210118

2021-01-18 | Weblog

 

つまり、ひとりの人間のなかにも
多重記述の資源は存在する

そんなふうに考えてみる

ひとりの歴史、ひとコマひとコマ
経験の歩みはメモリに刻まれている

ひとつひとつの音色、リズム、情動に染まった光景
数え切れない音楽トラックが存在すると考えてみる

きのう、あのとき、このとき、あした、いつか、どこか
春、夏、秋、冬、時のうつろい、光と影
知覚、感情、思考、記憶、イメージ、出会い、わかれ

すべてを資源として、引き出せるかぎり、重ねあわせ
「いま、ここ」を構成するアンサンブルとして用いる

無数のトラックは願っても願わなくても刻まれている
ミキシングの素材は揃いすぎるほど揃っている

一つだけ条件がある
できるだけ作為がまぎれこまないように

それぞれのトラックをわけへだてなく
どれも欠かせないパートとして迎え入れること

そして、すべて同時に鳴らしてみる──

目的はただ一つ

すべてが支えあい、奏であう〝音〟に出会うこと
どんな音が出現しても耳を澄ませる

おそらく聴こえてくる音の響きのなかに
ミキサーとしてのきみの「いま、ここ」の姿
みずからを編集し生きる姿が映し出されている

そんなことができる?
できなくてもそのつもりで!

 

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