ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「視線変更」 20210331

2021-03-31 | Weblog

 

心は押されている
うちがわに押すものがいる

つよく押されながら
視覚はゆらぎ 
一歩が定まらない

押されながら
めがけるかたちが見えない

手をのばし すがりながら
迷い 無力に染まったことばたち

それでいい

手にかけたことばくじかれ
砕かれて飛び散っていく

なんどでも砕かれ飛び散ればいい

ことばを砕くちからのみなもと
おまえのうちがわにそれはある

かなしみ、いらだち、怒りが走る

どんなことばとも
どんな行為とも接続できない

ためらい おそれ 迷い

たいせつなものを守ることができない
いたわりねぎらいはげますことば
それをみつける方法がわからない

すれちがい 遠ざかり
はかなく消えていく

さがすことが生きることなのか
ずっとさがしている

どこか遠い場所 ここじゃないどこか
鮮やかにつなげることばはどこか

さがさなくていい

接続すべき場所はここにしかない
できることはただ一つ

まなざしが向かう方角を変更する

外にさがして見つけることはできない
外に見つかるものはすでに死んでいる

いまここを離脱すれば
ことばは接続をとかれて死んでいく

刻んでおくべき原理がある

絶望は希望に先行することができない
子は母を産むことができない

世界を照らしだす光源はこちらにある

母として 希望として
はじまりの地平はすでに開かれている

どんな神秘も倨傲も奇跡もいらない

すべてはいまここに ただ一つ
おまえが生きる地平からはじまるだけだ

心の波立ち ゆらぎのなかに
世界は現象している

あらゆることはここに顕現する

すべてを映す水面のきらめきがある
ここに向かうまなざしをキープする

ノイズを払い 作為を払って
まっすぐに光の通る道を開けておこう

この視線が失われるとき
おれたちは〝外の光〟に蝕まれていく

世界に照らされるのではない
照らす光はこちらにある

母であるもの 希望であるものとして
ここからけっして離れず
いまここを豊かに耕す以外ない

死んだことば 砕け散ったことばを集めて
よみがえらせられる場所はここだけにある

大事なことがある

どんな世界の姿を確定する命題に出会っても
いつも新たな記述のスペースを開いておくこと
はじまりの地平を与え与えあう作法において

 

コメント (3)

「記述形式」 20210330

2021-03-30 | Weblog

 

記述形式A──

世界に生まれ
世界にまみれ
世界に記述され
世界に規定される「わたし」

いいかえると
記述主体としての「世界」

(記述形式は逆転される)

記述形式B──

わたしに生まれ
わたしにまみれ
わたしに記述され
わたしに規定される「世界」

いいかえると
記述主体としての「わたし」

    *

このふたつの記述形式は等価ではない

AとBのふたつの記述形式が出会う場所
それは「わたし」以外には存在しない

すなわち、世界とは「わたし」の中に設営された記述主体を意味する

ふたつの記述形式を双極として
みずから構造化した「わたし」という存在

ふたつの記述形式が出会い
相互に記述が交換され、混ぜあわされ
連続的に多重の記述が展開する場としての「わたし」

双極性が導く対話、連合、相克、矛盾、融和として
さまざまな「わたし」という存在が現象していく

 

コメント

「spring、2021」 20210330

2021-03-30 | Weblog

 

忘れていることがある

ある感情を射止め仕留める意志

疾走する感覚

ことばの包囲をほどく
やわらかな不逞な心

滅びの道を捉えるまなざし

世界構成の強度、密度の必然性
同時に、そのまったき偶有性について

なによりインターミッション
第三の領域を開く意志と覚悟

一つにいいかえることができる

それだけでつながっていると信じられた
すべてを包括する根本コード

社会体の先行をゆるさない、すなわち
ことばから逆算する心への死刑宣告

 

コメント

「そこを降りていく」 20210329

2021-03-29 | Weblog

 

いまも降りやまない
ずっと濡れている

深い地層に新しい雨粒が沁みていく

包囲するちからはほどかれ
ことばは溶けていく

どんなかたちも結ぶことができない
かたちを結べない心のまま
耐えられない限界に出会う

そこを降りていく

おまえのできるただ一つのことさ
けれど、おまえだけのものじゃない

より深く、どこまでも深い地層へ
限界を超えて降りていく存在がいる

ひとりひとり、それぞれに降りる方法がある
おまえはおまえのやり方で

みずからに告げておく
そこがおまえのほんとうのふるさとさ

このふるさとを失えばなにも残らない

そのことをことばにして伝えておきたい、あなたにも

愚かでも賢明でもクソ野郎でもいい
リミットを超えて降りて行け

泣いていろ、忘れないように
ずっと泣いて生きろ

 

コメント

「偉そうに」 20210329

2021-03-29 | Weblog

 

──れん姫(『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』)


数えきれない「あおぞら侍」がいて
数えきれない「れん姫」がいる

歴史に記述されない、人間のほんとうの歴史がある
いまも、これからも、ずっとそうかもしれない

悲しみだけがそこに流れ込んでいる

あえて言う。ほんとうはそんな偉そうなことじゃない
けれど、覚えておけと告げるものがいる

愚かな蛇足にちがいない

どんなじじいでも、ばばでも、赤ん坊と一線に並ぶ
そんなことがある

悲しい心に告げなければならない

生きることの主題はいつも〝ひとりにとって〟
ひとりひとり、それぞれに等しく現われている

「きょう、いま、あす、どう生きるか」

おなじだけど、言い直したほうがいいかな
どんなアホでもマヌケでも底なしのアンポンタンでも

(それはおれのことさ)

「どう迎え撃ち、どう生きるか」

 

 

コメント

「水の呼吸」 20210328

2021-03-28 | Weblog

 

いつも胸に忍ばせておこう

世界がけっして教えることのない
世界を見つめ返すまなざしがある

すべては水面のゆらぎとして現象している
泡立ち、波紋を描き、色めきたつ
ただ、ひとりひとりの、心の水面の出来事として

このことを捉える視覚を行使する

ざわめきをしずめ、心をほどき
ふるまいをやさしくして、やすらい
水のゆらぎにまなざしを向かわせる

なんのために?

神秘めかした外の光に目がくらみ
世界の視線に乗っ取られないように

みずからとなかまたちを世界に捧げ
みずから滅びの道を歩まないために

世界に映り、映されて生きるのではない
世界の姿を映し出す光は、おれに、おまえにある

すべては水面のゆらぎからはじまる
世界を見つめ返すことからすべてをはじめていく

この視覚をキープする

 

コメント

「帰り道」 20210327

2021-03-27 | Weblog

 

チャリンコをこぎながら
深夜の街を走っている

何年も、何百回も通った
これからもしばらく通るだろう同じ道

ひとつも同じじゃない思考、感情
どれもちがう妄想が勝手に動き回る

あの灯りこの灯り
おれのおまえのあいつの
灯りが灯る場所がある

比較することはいらない
どっちがどっちと考えるなクソ

天も地も優も劣もない

それぞれの小さな戦場
それぞれにとって最大の戦場

それがどうした!
あたりまえのことを気取るな
それどころじゃねえだろ、あほか

そうにちがいないさ
口出すつもりはないさ

でも、あほか
それどころはあるんだぜ

灯りと灯りが交わる
どうしようもなく
だれかとだれかが交わる場所がある

おれたちはいつもそこに引き出されて
あるいはみずから進んでそこに出ていく

光と光が出会えばさ
かならずハレーションが現象して
どっちの光でもない場所がうまれる

そこが、それどころということの意味の核心さ
ハレーションに出会ってうろたえるなよ

ハレーションに目をくらまされないように
いまのうちに考えて用意しておくべきことがある

人間の歴史をふりかえれば
いつもこのハレーションの取り扱いの失敗の連続さ

何言っているのかわかんねえ?
狂ってるって?
話がでかすぎるって?

あほか

だれもそこにはいないけれど
だれもがそれにかかわる
人間と人間の運命を決する場所なんだぜ

だからなんなんだ?

おれの、おまえの、だれかの、ひとつひとつの灯りがある
ハレーションにかき消されないために大事なことがある

それどころじゃないことのうちに
それどころをがっつり飼い慣らして忍ばせておく

どんな錯乱した、獰猛な光に出会っても
照らす返せるようにじぶんの光を鍛えておく

おれの、おまえの、あいつの、ひとりひとりの

いつも灯りが灯りつづけるようにな
そういうことさ

 

コメント

「傷つける」 20210326

2021-03-26 | Weblog

 

ほんとに傷ついた人は
そのことを口にしない

やさしさから
あきらめから
べつのなにかから

わからない

だからわからない
傷つけることの真実も意味も

だからくりかえす
そんなことが、きっとある

 

コメント

「ふたつの主語」 20210325

2021-03-25 | Weblog

 

世界記述の主体、ただ一人の記述者としての「私」

このことの根本的な原理性は動かすことができない
「主観は主観の外に出ることができない」

そのうえで

「私」の内側ではつねに〝対話〟が進行している
対話の中心をなす関係構造は取り出すことができる

世界を記述する「私」
世界に記述される「私」

ふたつの記述主体による記述の交換、審議の位相
この位相から結審を導くように
「私」のそのつどの関係企投が出力されていく

根本原理に照らすことによって
この対話の構造の本質が明らかになる

すなわち

世界を記述する「私」は「私」のなかに
「私を記述する世界」を〝住まわせている〟

いいかえると、世界記述の主語の一部割譲
としての「私を記述する世界」の屹立

なぜそうした構造が生まれるのか?

一つの結論
「関係世界を生き、社会体を営むために」

ふたつの主語をみずからにあつらえ
うちなる対話の位相を開くこと
そのことで可能になることがある

二重記述、多重記述、無限記述による
共同的な幻想領域の生成、展開、拡張

それは、可能性としても病理としても
生の支援としても生の収奪としても機能しうる

生の収奪(全面割譲)へ向かう力を制御したいと願うなら
この構造全体をとらえる視線を必要とする

 

コメント

「学習エンジン」 20210324

2021-03-24 | Weblog

 


一人一基の動力装置
生を駆動する学習エンジン

学びと変化

世界を、みずからを、書き換える
かたち、かまえ、性能、文法
みずからを更新、変容、変換、拡張する特殊原理

原理的特殊性は内的な構造に由来する
たえざる内なる対話、ディアレクティクの無限的展開

世界を、自己を、他者を、関係を記述する
記述に記述を重ね、記述が記述を産む多重記述において
記述のアルゴリズムそのものを更新していく

みずから、学び、変化する
この駆動原理を損なうもの

外部の動力源への強制接続
差し替え、外づけ化、すなわちエンジン停止

エンジン停止──それは生の切断を意味する

 

コメント

「実感──世界記述の原画」 20210323

2021-03-23 | Weblog

 

ただ一つの世界記述の原型、原画──実感

それ以上でもそれ以下でもない
つねに湧き上がる内なる世界告知

光と影、正と負の陰影として描かれた
意味と価値、情動に濡れた世界の姿

世界を懐胎し産み落とす
つねに陣痛に疼きつつある存在

世界を産み落とす母として
産み落とした世界に憑かれた母として

ふたつのことをひとつとして
すべてはただ一つの主題に合流する

「本日、いまここ、これから、どう生きるか」

一切のはじまり
〝子育て〟の開始点、いまここ

実感が描き出した原画、世界の姿に
筆を入れる作業がここにはじまる

 

コメント

「intermission」 20210322

2021-03-22 | Weblog

 


問いの生成は、同時に、〝空隙〟の生成を意味する
生の展開における審議の位相
世界にうがたれたスキマ、intermission

人間的自由の本質は、それがなければ展開できない
迷い、審議し、判断し、決断するためのスキマを必要とする

撃ちかた止め!

世界とのたたかいにおいて
生のフォーメーションは修正の契機を求める

たたかい、関係状況はたえざる変化のなかにある
みずからに生成する問いをたずさえ生きること

みずからに問い、回答を求め
いまだ記述されざる〝納得点〟をめがける

修正、刷新、転回、書き換えの方角を定め
うちなる納得と了解が訪れる地点を探索する

すべては、よりよき存在可能(ありうる)へ向けて

人間的自由はその本質を生き抜くために
つねに「intermission」を要求する

だれに?
みずからに、そして世界に対して

この要求がかなえられず棄却されるとき
生はかならず苦境の道へ入る

 

コメント

「バックパス、2021」 20210321

2021-03-21 | Weblog

 


最初に、最後まで
つねに刻んでおくべきことがある

死守すべき人間の領域がある

つよいよわい
きれいきたない
うそほんとう
よいわるい

価値-非価値

そんなことは忘れろ

天も地もない 
優も劣もない

いちどきり
ひとりの生 

とって代われない存在
その主権を奪うものと戦え

主語をとって代わろうとする
クソの声はひねりつぶすに値する

だれひとりとって代われない
たったひとり

代わることができれば
この世は代表一人でこと足りる

そのことを知りつくす存在
おまえにとっても だれにとっても
代えのきかないそれを友と呼ぶ

 

コメント

「〝自由〟へのかまえ」 20210320

2021-03-20 | Weblog

 


設問1

自由でありたいと望む、望まない
その理由と根拠について

設問2

自由でありたいと望むとき
自由を望まない他者に対してどんな態度をとるのか
あるいはその逆のケースにおいて

(二つの設問から第3の設問が引き出される)

設問3

自由を望む望まない、いずれにしても
価値、生き方の多様性、多数性において
どんな社会、関係世界を生きたいと望むのか


備考

社会という項を立てるとき
必然的に反照される問いがある

「共生を望むのか、望まないのか」

人間的関係世界はつねにこの問いをめぐり
「共生」の方向へ舵をとってきた

歴史をたどりなおせば、
この問いに対する〝解法〟はさまざまに分岐した

問いに対する集合的〝解〟の試行、闘争としての人間の歴史
そして、その最適解はいまだ模索の途上、といえる

集合的〝解〟。すなわち共生のかたち──
神権、王権、独裁、封建、全体主義、共産主義、民主主義

関係世界の展開には一つの理念だけでは包括できない
さまざまな外部条件、パラメータ(外在変数)が存在する

しかし核心の問いはただ一つである
「どんな関係世界に生きたいと望むのか」

このことを明らかにしながら
「ひとりひとり、偏差をもつ願いを集約できるか否か」

問いは人間と人間の関係、〝関係本質〟への問いへ向かう
同時に、次の問いが浮上する

「人間的生の、ひとりひとりの実存の共通本質とはなにか」

さらに人間的生の基底をなすもの、生きる意志について
すなわち、「人間における欲望の本質、そして関係欲望とは」

 

コメント

「水没の倫理、関係の重力」 20200902

2021-03-19 | Weblog

 

空気の支配と呼ばれる関係原理
削られるまえにみずからを削る倫理

みずから削り、削りあう美徳のコード
おれもおまえもコードに〝同期〟する桜

おぞましくもかなしい倫理の国
みずからを没することの悲劇 惨劇 大罪
愚かの極みであることの真実が暴露されなければならない

     *

波風が立たないように水面をフラットに保つ
そのために、みずから水面下に没する

かくして、望みどおりの陽光きらめく光景
スパーフラットな海原が広がる

遠くから眺めると、奇跡のような〝平和〟の世界
自称他称クールな、争いのない、のっぺらぼうの国

さまざまなクラスという水たまりに〝水没する個〟
自死に似た主体をクラスの平和に捧げる心のかたち

倫理の形式──みずから価値下落させることで
水没することで水たまりはフラットに輝く

どこにも主体が見当たらないマスゲーム
個を用材化し消去することで描かれる壮大な人文字

一体だれに見せるためなのか、その仮象のカミ、SEKEN
奉げられるべき相手はほんとうはどこにも存在しない

水面下でうごめく情念、ルサンチマン、怒り、悲しみ、猜疑、不信
静まり返った海原を維持する代償、このコストは計り知れない

水没の論理──自分を捨てる、自分を滅す、自分を殺す
意味的読みかえ、すなわち、ひかえめ、奥ゆかしさ、つつしみの美徳、

関係の論理は赤の他人にも要求する──浮上する他人を沈めろ、殺せ

みずから水没する倫理がつくりあげてきた歴史
大敗北、大復興、高度成長、失われた10年、20年、30年、40年

成長も、没落も、水没論理が出力する〝成果〟にほかならない
すべては同じ倫理、不易の〝関係の重力圏〟の出来事として現象している

 

コメント