ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「思考凍結」 20210228

2021-02-28 | Weblog

 

世界を肯定項と否定項に切り分ける分割ライン
関係世界の〝地〟を構成する絶対的規定

      友-敵

確立された対抗的二項関係おいて
それぞれは相手を知ることを必要としない

まったく知らないのではない
知ることを凍結することで成立する関係図式

シンプルなこの関係構造の成立条件
すなわち敵の存在の思考対象からの除外

それはモノの認識と酷似する
アウトライン、本質を確定された存在規定
機能的特性にしたがって判定されるニンゲンの用在化

        有用-無用

すべての経験に先立つ確定記述に依存する認識体系
自明化し、デフォルト化し、無意識下に沈んだ世界図式

        c'est la vie

生のエンジン、〝学びと変化〟の作動停止
切り詰められた学習の概念

  価値あり-価値なし

絶対的な世界記述の方法、すなわちモノ化する人間記述、世界記述
そして、ここから出力される関係態度、関係行為の展開

干上がり枯れていく、生成の原郷を失くしていく関係世界

 

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「全域性」 20210227

2021-02-27 | Weblog

 

「勝利すること」「生き延びること」

現実論理、競争原理が示し求める主題
この主題の外に、生の波形は別の位相を開いて見せる

生の波形は競争のピッチ上にその全域を描くことができない
ピッチ上に展開する生は、その限定を受け入れながら
ピッチの外に駆けていくみずからの別の作動を同伴させている

どれが〝真の作動原理〟ということではない

ただ「生の全域性」という理念が保たれているとき──
一つの原理で生の全域をおおうことの不可能性と暴力性
そのことの明晰な了解だけにできることがある

すなわち、特定の原理の暴走、専制、一元化の否認

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「〝正義〟の実効性」(参) 20210226

2021-02-26 | 参照

 

──竹田青嗣『哲学とは何か』2020

「正義」は善き人間でありたいという内的心意……からは現われず、
むしろそれは、強大な征服民族の圧倒的な「力」によってはじめて可能になる。
圧倒的実力をもつ権力が、強大な法の制定を可能にし、
この法の実効性が、支配された人々の間ではあれ、対等と公正を創り出すからである」

《……正義が行われ正義が維持されるところではどこにおいても、
より強い権力が下位の劣位者ら(集団たると個人たるとを問わず)にたいして、
そのルサンチマンの気違いじみた狂躁を取り鎮めるための手段を講ずるのがみられる》
(ニーチェ『道徳の系譜』信太正三訳)

「ニーチェがいうのは、社会的な「正義」は、
同情や憐憫といった人間の「善意」から実現されることはありえない、
それは何らかの強力な権威と実力が「法」を制定し、
それによって人々が、攻撃と復讐という「普遍闘争」の連鎖から、
〝力づくで引き離されたとき〟、はじめて可能になるということにほかならない」

「個人の人権……の絶対性はなんら普遍的な自明性ではない。
…この考えは近代市民社会が形成した「個人」観念の理念化から現われており
(「個人は生来対等に自由の権利をもつ」)、
民主主義社会では広く行きわたっている観念だが、哲学的には根拠づけられない。
個人の自由の権利は、何ら生来のものではなく、
社会内部での権利の相互承認によってはじめて創り出されるものだからである。
ルソーの言葉を使えば、人々の広汎な「合意」(convension)だけが、
すなわち一般意志による統治権力の創設と「法」の実効が、
個人の「自由」を実現するのであって、「国家に対する自由の優位」という
ノージックの論理はやはり顚倒されたロマンチックな表象であり、
その権原理論は、個人の「絶対自由」という価値理念の産物なのだ」(238)

 

 

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「永遠」 20210226

2021-02-26 | Weblog

 

しかたなく空を見上げる
なにも見ていない

どこにも姿はない
ただ感情が溶けている

唇を向けるはるか先
かたちなく遠ざかり
ただ加速して駆けていく

感情を追いながら
追いつけない
とどかない
かすりもしない

張り裂けるほど胸苦しい
けれどそうじゃない
死んでしまいたいわけじゃない

二度と会うことはない
会えば繰り返すだけだろう

引き返せない
わかっている

永遠という感情が溶けている
照らしながら照らされている

なつかしさ

どんなスキマも消えている
ここにこうしてあることに
張り裂けながら満ちている

ただ零れるまま零れ出している
感情にすぎない永遠が

 

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「問い」 20210225

2021-02-25 | Weblog

 

 

閉じ込められた壁からはみだした
おまえの白い指から
透きとおる涙がこぼれていないか

 

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「合流ポイント」 20210224

2021-02-24 | Weblog

 

経験の純度を保つために
手段として歪められないために
記しておくべきコードがある
       
真・善・美──価値の極相、超越項の探索ではない
どこかに存在する〝ほんとう〟をめがけるのではない

それらが生まれてくるその奥の出来事として

正解も不正解も存在しない
セッションの本質はそこにはない

生きられるちがい、相互のへだたり
埋めることのできない隔絶を資源として

ひとりひとりの経験を重ねあわせ
経験と経験が非在の経験を生むように

ひとりひとりがひとりでありながら
ひとりがひとりであることが消える
多重記述が立ち上がる場をあつらえる

いちどきり その場かぎりのセッション

生成する〝サウンド〟それ自体を味わい尽くし
生の悦びとする ただそれだけのために

 

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「新しい存在論」 20210223

2021-02-23 | Weblog

 

「客観」の生成的本質、そして生成の原郷としての実存(個)
この根本原理から世界経験の一切をはじめからたどり直す

「客観」の正しい記述の競い合い、的中率を争うゲームからの完全離脱
すなわち超越項化した「客観」の用法を完全棄却する本質暴露

客観という〝ほんとう〟、生活世界の高見に想定された価値の本体
個と個の生活を見おろし、値踏みし、審判するその権力的権威のはく奪

客観という最終解、究極解を参照項として実存の欠落、瑕疵を指摘しあい
値踏みし、査定し、審判し、順位化しあう関係構造のいったん解除

問うべきは「客観定立」の本質、人間的関係世界に由来する背景と動機
すなわち「客観定立」を必然化する関係世界の関係構造、関係本質の解明

──なぜ人間的関係世界において〝客観〟は立ち上がるのか
──なぜみずから立ち上げながら、自己ならざるものへと転移するのか

個と個を結びあわせ、集合的いとなみを可能にする結節
関係項(関係子)として要請される「客観」の生成的本質

生成的本質──すなわち超越項化が不可能であることの完全解明、

「客観」の不幸な用法、あらゆる個の価値を下落させる
「客観の専横=個の制圧」という全体不幸、歴史的反復からの完全決別

客観の単一化された用法から導かれた悲劇の歴史
悲劇の歴史を許してきた「的中率を競うゲーム」の完全廃棄

そして「客観」の適切な用法──

すなわち生成的本質と結ばれた集合的了解項
合意項としての「客観」の間主観的な生成可能性について

あらためられた客観、間主観の本質把握、その共通の了解可能性へ

 

 

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「展開形──時間の海」 20210222

2021-02-22 | Weblog

すべてはすべての時間が集う
〝いまここ〟の出来事として現象している

埋葬不可能な出来事として

ピリオドを打って終わりのカタチを与え
けっして墓場に封じ込めることができない 

どんな儀礼にも どんな祭壇にも 
なにものにも捧げることができない
捧げることで見えなくなる光の生成がある

かつて-いま-これから

すべての時間は溶けあわされ 
底知れないいざないとして
ただ一つのメッセージに結びあわされる

  somewhere in time

世界は学ばなければならない
忘れないでいてほしい

時間は直線のようには進行しない

ただ通りすぎるのではない
なんどでも はてしなく回帰するように

われわれの時間の海に現象するひとつひとつ
どんなことばも先回りして語ることができない

ただひとりの胸のうち深く、そこにだけ
一切の時間は光の海のきらめきに溶け
新たな〝いまここ〟の生成に参集している

 

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「二十歳」 20210221

2021-02-21 | Weblog

 

否定したい否定しつくしたいと願ったもの

自動化された言葉の応報
決めつけられるまえに決めつける
削られるまえに削りあう

どこにも行き着けない命のやりとり

自陣の加点と敵陣の減点をよろこび合う
全体収支が変化しない加点と減点のクソゲーム

なによりも供犠しあう心
仰ぎ見る心

差し押さえを喰らい
差し押さえを喰らわせる

見切り見切られる
筋書の決まった宴

人間讃歌と罵倒、友情と裏切り、信頼と軽蔑
地べたに釘づけにされたトンマの抱き合わせ

儀礼に従って手を振り、手を振られ
居場所を指定され、最後に
墓場へ安置されつづける心のかたち

どう生きればよいかわからない、そのことは変わらない
けれど、どう生きたらマズイかは明晰にわかる

そう考え、直観していた、二十歳

「堕ちる」ことの積極的意味を見出すには
「堕ちる-堕ちない」で動く現実が教えない〝視覚〟がいる

けれど、みずからの直観に頼りきった時代から決別しなければならない
直観を捨てるのではない、直観にカタチを与える仕事をはじめよ
手さぐり、みえない手がかりのまま、カオスを呼び込む
自動筆記法、オートマティズムの徹底的な励行

現実論理、確定記述──
「これが現実!」という生の全域を覆えないものが、
あたかも覆えるかのようにカンちがいしてデカいツラしてのさばっている

「人生はつくるものだ」

選ばれた芸術家、天才、特別な才能に頼るのはやめよう
頼ったすえに帰依することの愚かさが世界を貧しくする

「じぶんをバカだ、愚かだと思うのは根本的にまちがっている」

うぬぼれとはちがう、自己正当化ともちがう
やみくもな自己肯定とはちがうもっと本質的なことだ

ひとつひとつ、みずからのからだを通過させないかぎり
すべて天上に戴く言葉によって地上をおとしめることになる

人間の可能性を示す人たちの仕事は真摯にリスペクトすればいい
Caution!
天の頂きまで持ち上げて、みずからの生を価値下落させないように
なによりそれをツールとして他人の生を裁いて見下し、おとしめないように

「おまえは信仰を望むのか?」
「NO!」

ひとりひとり、いちどきりの生を生きるものとして、
生を素通りしないで生きるには、はね返すべき壁が存在する

それはじぶんのなかにもある
最初の、最大の、そして最後の壁かもしれない

壁には〝人間の階梯〟を教示する言葉が刻まれている
この壁をいったんカオスにもどす

天も地もない 優も劣もない

だれも教えない、教えることのできない
ひとりひとりの固有の生を生きようと望むかぎり
侵してはならない、侵すことのできない〝孤独〟の位相があること

 

 

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「なんとか時代」 20210220

2021-02-20 | Weblog

 

こんな時代でも
あんな時代でも
どんな時代でも

日々、固有の生活に専心する心
ノイズを払う捨て台詞は共通する

「それどころじゃない」

のっぴきならない日常
ひしめく義務と責任
逃げようのない暮らしのフレーム

すべては目の前の秩序に添って果たすべき仕事
組み立てられるべき〝わたし〟の生活がある

捨て台詞にはたしかな根拠と理由がある
しかしここに付け加えておきたいことがある

安定した生活、その秩序をつくり保ち
よりよき生へ向かうために
それだけでは完結しえない領域がある

日々の生活に先行して動いていく
生活に前提を与えているものがある

こんな時代でも
あんな時代でも
どんな時代でも

目の前の生活と重ならない
「それどころ」はつねに存在する

ノイズの雲は宙に浮き
手つかずのまま放置される

やがて雲は蝟集して黒い雲をつくり
地上に滅びの雨を降らせることがある

いつのまにかノイズは負債として積み重なり
返済できない利子を生む そんなことが起こる

だれかの責任というわけじゃない
たた、時代が教えないことがある

どんな時代も教示し 生きる場所を指定する
その指定性はつねに時代の限界内に収まっている

ぼくたちは時代を視界に収めるスコープ
滅びの雨にうちひしがれるまえに
黒い雲の生成をとらえる視覚を必要とする

 

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「世界をマップする」 20210219

2021-02-19 | Weblog

 

世界記述の方法、説明体系の構築と、その共有化──

「理解のポッケ」をはみ出す存在や事がら、理解不能な問題系については
現実の生活世界と切り離された異常、異界、他界の領域、
つまりポッケの「別腹」に収められ、そして必ず物語化される。

いいかえると、記述を確定された世界マップの秩序系に収まらないもの、
はみ出すもの、惑乱をもたらすもの、記述不可のものの処理の定式化がある。

世界をマップして秩序化するこの構造は、
どんな個、集団、共同体、国家、どんな文化や時代においても、
普遍的な精神のありかた、記述特性を照らしている。

 

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「誘惑──関係作用」 20210218

2021-02-18 | Weblog

 

──見田宗介『超高層のバベル/見田宗介対談集』から

「……なぜこの世界に花というものがあるのか、ということです。
花がなぜあんなに美しかったり、かわいらしかったりするかというと、
基本的には昆虫を誘惑するためです。
つまり、先に述べたように、花が美しいさまざまな色彩、さまざまな香ばしい匂い、
さらには蜜みたいなおいしいものをもっているのは、
昆虫を誘惑するためにあらゆることをしているのです。
基本的に、この世の中の美しいものは、他者を誘惑するためにできたのではないかと思います。
……進化の過程において、いわば誘惑的な関係は非常に基本的な現象なので、
あまり生物学者も真正面から取り上げていないと思いますが、
人間だけの世界についても、そうではないかと思います。
……情報化/消費化社会における誘惑の楽しさについては
ボードリヤールも触れていると思いますが、それから花と昆虫に至るまで、
この世界の美しいものは相互の誘惑的な関係から生まれているように思います」

      *

美──

誘惑する 誘惑される
誘惑したい 誘惑されたい

美をめぐる生き物同士の世界をおおう関係作用
個と個を結びあわせる現象の核にあるもの

みせつける みとれる 
突き動かし 突き動かされる

なぜか、理由を問うより先に
心が動き からだが動く

自然は世界に美を見出すまなざしを埋め込んでいる
美しいものを探索し、分光し、結び、結ばれあう始原的意志

この分光は、そして、つねに逆措定する

「美ならざるもの ─ 醜」

結びあわせるものには同時に
離反させ分断し隔絶させるちからが同伴する

美が成就するもの
失墜にさいなまれるもの

自然が教える美の原理は厳格であり
たえがたい酷薄でもありうる

われわれは由来を知らない
底知れないいざないのなかに生きながら

自然が指定する美の形式を基底に沈めながら
自然が知らない、もう一つ、別の位相をもつ

しかり

無限にかさなりあう記述が構成する関係世界
自然が知らない「美の文法」が生きられている

  life is but a dream;
  dream is, but, a life! (同書)

ゆらぎ はかなさ たゆたい 刹那さ 
幽玄を感じとり 夢の記述を心にとめる

自然が教えない時間の契機をしのばせ
交換しあい かさねあわせ 混ぜあわせる 

自然の文法はここで位相が変移する

新たな視覚は生まれ、そのつど
新たな世界が顕現し
あらためられていく美の文法、形式がある

 

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「リアル」 20210217

2021-02-17 | Weblog

 

男は冷徹な表情でつぶやいた

単に「リアル」を知り生きたいだけなら
おまえの名前をタイトルにして
地球に表紙をつければいい

人間的生にだけ許されていることがある
許されているだけではない

クソのリアルに出会ったとき
リアルをくつがえす位相がある

世界刷新の契機
よき感情、よき関係を求める意志にかなう
ニンゲンのふるさと 生成の原郷がある

「ありえない」

クソのリアルはそう否定するだろう
クソがクソであるゆえんだ

生きることの喜びが顕現する
新たな「世界のエロス」が生まれる位相がある

すべては関係において現象する
出会ったこと 出会うことがすべてだ

ひとりがひとりではなくなる位相

二重の記述、多重の記述
無限の記述が出会う関係の位相がある

記述とはなにか
おまえが世界をまなざし
まなざしすことで映し出しているものさ

ふたつの視覚が重なることで
新たな第三の次元、奥行きが加わるように

世界は記述と記述が出会う位相に顕現してきた
これからも新たな相貌において無限に顕現していく

ニンゲンにとって
ほんとうのリアルとはそういうことさ

 

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「水をやり、光をそそぐ」 20210216

2021-02-16 | Weblog

 

──竹田青嗣『欲望論』(第二巻、542)

「芸術の存在理由は一つである。
芸術作品が偉大であるのでもないし、
芸術作品に価値が内在しているのでもない。
美と芸術は、われわれの生が、
単に生命体として存続するする以上の理由によって
存在しているこおとの証左である。
人間においては、死への根源的な不安が労働と性(エロス)の絶対秩序を
社会の基本構造として分節している。
この絶対の秩序によってわれわれの生の本質が疲弊し、陰鬱となり、
枯渇することがないように、美の感受が存在する。
芸術もまた、生存と存続の絶対的必要から現われる
「当為」(なすべし)にその根拠をもつのではなく、
われわれの生の本質が、それらによって屈折し、閉塞し、
その自由を失わぬように、生を蕩尽し、
味わおうとするわれわれの「われ欲す」を支えるべく存在する」

「われわれがたえず暴力原理と闘争原理に対抗する理由をもっていること、
人間的価値審級なく人間の生活も精神の自由も存在しえないこと、
したがってつねにそれを生み出し維持し続ける意志と努力が必要なこと、
これらのことの本質的理由を自らに知らしめるためなのである」

       *

どんな感情も凍てつかせる
吹きさらしの現実、生の位相がある

身をゆだねると世界が枯れていく

そのことを知ることではじめて
生きる理由が明らかになる

そうではなく生きていたい
そうではなく生きられるように

水をやり、光をそそぐ

なんどでも、みずからに
言い聞かせるべきことがある

 

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「KTのように」 20210215

2021-02-15 | Weblog

 

愛がなければ通り過ぎればいい
通り過ぎれない心が告げる

どんなにすさんだ風が吹いても
すさみをすさみとして感じる
みなもとにいるものが教える

おれたちは世界に魅入られている

どんなちからも抹消できない
底知れないいざないのなかにいる

滅ぼすちからと生かすちからと
せめぎあうちからが動いている

そのことは認めよう

そのうえで片方を黙らせる
そうしなければならないときがある

光と影 あなやす世界の姿がある 
描き出すのはおれたちの心以外にない

すべては同じ空の下
いまここの出来事として

おれたちの情動に染まり、濡れた世界

めがけるかたちはわからない
わからなくていい 

わからないままに魅入られ
通り過ぎることができない心が告げる

さあ、踊ろうか

 

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