ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「かなしい夜」 20230430

2023-04-30 | Weblog

 

 

 

この街のどこにも記されることのない
映し出す場所をもたない出来事がある

つぶやきだけが聴こえている
顔は見えない

ちぎれる寸前の透明なリンク
時と時をつなぎ合わせるふるえる手

姿を現わすことのない涙の痕跡

引き返せない境界を過ぎてから気づく
失われた光、取り返せない光、呼び戻したい光

かたちを定められないまま刻まれていく
語り尽くせない召喚ポイントがある

「偶然とは街」とだれかが語った

あらゆる偶然を紡ぎながら 
必然として生きられていく 
こどもたち、おとなたちの夜がある

同じ空の下で、おれとおまえが一つ一つ
すくい上げなければならないのは、かなしい夜

この街が知らず 教えることのない
どんな祭壇にも奉げられることのない  かなしい夜がある (1982、箱崎)

 

 

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「青年ヘーゲル」 20230429

2023-04-29 | Weblog

 

 

神の表象にはルサンチマンが紛れ込んでいる
そう思わないか?

ちょっと変更を加えようか?
裁き罰する神ではなく、いたわり慈しむ神へ

天国と地獄の境界を取り払う
この世の外へ、ではなく

内も外もなく、見境なく
すべての公理系を包摂するような

おりこうさんもおバカさんもない
わけへだてなくハグするような思考の地平へ

けれどやさしさや利他のパンデミックとか、ではなく
つまり事前の決めごと、命令や義務、理想理念には一切頼らずに
人間精神の自由を求める本質に準じた思考の全面展開から、どう?

 

 

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「実存──未決のゆらぎ」 20230428(20211231) 

2023-04-28 | Weblog

 

 

  生きた人間を、当事者不在のまま完結させてしまうような認識にとっての、
  声なき客体と化してはならない。
  人間のうちには、本人だけが自意識と言葉による自由な行為のなかで
  開示できるなにかがつねに存在しており、
  それは、当事者不在のまま外面化してしまうような定義ではとらえられない。
  ……人間は生きているかぎりは自分がいまだ完結していないこと、
  いまだ自分の最後の言葉をいいおわっていないことを生の糧としているのである。

         ──バフチン(桑野隆『生きることとしてのダイアローグ』)

 

「ある」は「ありうる」をたずさえ
たずさえることで「ある」を構成している

記述を確定した世界のかたわらに
いつも未記述の世界が同伴している

生きることのエロスと不安
ふたつは一つに織りあわされ
すべての時間は参集して混じりあう

かつて・いま・これから

全時制の厚みの内側にからだは棲みつき
世界は開かれ、心は動き、予期は走り
「ある」はほどかれ、結びなおされ
新たな「ある」を編み上げていく

実存の展開本質──未決のゆらぎ
この位相からすべては展開していく

ありうる、存在可能、関係可能に沸き立ち
生の展開本質において生きあう

そのことをともに願うかぎり
総意として刻むべきマキシムが導かれる

「新たな記述のスペースを与えあって生きろ」

俺たちが、社会体が、その構成のすべてに
展開本質において告げられる成熟の方角がある

 

 

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「平和」20230427

2023-04-27 | Weblog

 

 

平和をほんとうに願うなら
敵陣とみなす向こう岸にどう橋を架けるか
それを考えることが第一じゃないのかな

「一所懸命考えよう」

どんな設計の橋なら架けることができるのか
こどもに偉そうに求めるより先に自分に求めな

隔絶の谷を深く掘るような営みは控えたほうがいい
いくら自陣の正当性を叫んでも向こう岸には響かない

平和を求める求愛の相手
それは敵陣とみなす向こう岸にいる者たち以外ない

橋を架けるための条件がある

自陣で完結することばは使えない
否定、糾弾、イロニー、敵の存在に依存した記述形式の外
おのれに潜在する獰猛さ、動物生としての本質、つまり
自らに宿る戦争の種子をえぐり出すことが第一の作業になる
そうしてはじめて橋を作るための必須の素材を手に入れられる

 

 

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「第三領域」 20230426

2023-04-26 | Weblog

 

 

  思弁的なものを知るには〈あれかこれか〉のほかに、
  第三のもの、つまり〈あれもこれも〉および
  〈あれでもこれでもない〉があることを知らねばならない。
            
   ──廣松渉・加藤尚武編訳『ヘーゲル・セレクション』259

        *

せめぎあう昼と夜、夢と現実
ともにしおれて壊れないように

あれかこれか
選択を迫るものをしりぞけるように

対立をほどき
ともにささえあうように

昼と夜を重ね合わせて糸を通し
新たな生地を織り上げるように

あれでもないこれでもない
あれもこれも、どいつもこいつも

全時間、全経験を連結して
新たな展開スペースを開くように

(両生類ヒトの展開本質にかなう場所)

どちらでもない生の時間をあつらえ
そこを第三領域と名づけてみる

 

 

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「説明原理、世界像の変容」20230425

2023-04-25 | 参照

 

 

──G・ベイトソン「形式、実体、差異」(『精神の生態学』佐藤・高橋訳)

十八世紀の末に登場したラマルクの進化論は、生物変異(トランスフォーミズム)の考えに立つ
組織だった進化理論として最初のものでありますが、……。
ラマルク以前には生命の世界は神に属する至高の〈精神〉(大文字の〝Mind〟)を頂点に、
ヒエラルキー構造をなすと考えられていました。
連鎖は天使、人間、サルと下って原生動物に至り、その下に植物から石にまで続いておりました。

ラマルクは、この梯の天地をひっくり返すということをやってのけました。
動物たちが、環境からの圧力のもとで変化することを見て取った彼は、
これらの変化を証拠として、進化の事実を主張したのです。

ともかくここで、事態にそれまでとは逆向きの順位づけがなされたというところが肝要であります。
梯が逆さまになれば、それまで説明であったもの、
すなわち頂点にあった〈精神〉が、一転して説明されるべきものに変わります。

 

──ルートヴィヒ・フォイエルバッハ『キリスト教の本質』船山信一訳  

宗教―すくなくともキリスト教―は人間が自分自身に対してとる態度である。
またはいっそう正しくいえば人間が自分の本質に対してとる態度である。

神的本質(存在者)とは人間の本質が個々の人間
―─すなわち現実的肉体的な人間―─の制限から引きはなされて対象化されたものである。

そのために神的本質(存在者)のすべての規定は人間の本質の規定である。

人間は自分の本質を対象化し、そして次に再び自己を、
このように対象化された主体や人格へ転化された存在者(本質)の対象にする。
これが宗教の秘密である。
 
神を富ませるためには人間は貧困にならなければならず、
神が全であるためには人間は無でなければならない。

 

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「Postscript」20230424

2023-04-24 | Weblog

 

 


 この憧憬は生の喪失の感情であって、失われたものを生として、
 かつて生に親しみ深かったものとして認知するからである。
 この認知はそれだけですでに生の享受である。

    ──ヘーゲル『キリスト教の精神とその運命』細谷・岡崎訳


たしかにそのとおりだと思う、けどさ
そう言い切るには付け加えるべきものがあるな

救われない悲しみ、酷薄な生の経験、隔絶した生と生
この感知に歪み、身もだえる心にはよそよそしいことばさ
そう語るにはもうすこし語るべきことがある

じゃあ、おまえの意見を聞こうじゃないか
いいとも、聞いてくれ

それを享受と呼ぶためには背景が必要だ
享受を支える地平がね
ひとりでは支えることができない、単独では不可能だ
つまり、生をともにするという関係への信がなければならない

(ヘーゲル自身もそれに依って言葉を綴っている)

すくなくともそうでありうるという信と信が合流する場所
現実の乱流が押し流すことができない心的な拠点が必要だ
それが仮想であってもいい、そのことへの信だけが支えると思う

 

 

 

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「夜の時間」 20230122

2023-04-23 | Weblog

 

 


  海の神秘は浜で忘れられ、
  深みの暗さは泡の中で忘れられる。
  だが、思い出の珊瑚はにわかに紫の火花を放つ。

     ──ヨルゴス・セフェリス(中井久夫『徴候・記憶・外傷』)  

 

月明りの木立ちを抜ける風が吹いて
夜の匂いが窓から流れはじめる

ページをめくる手が止まり
からみついたコードを外すように
神聖な文法が降りてくる

命令でも要請でもなく
光の構成と方角が変化する

真昼の光を照らし返す光源の発光

この逆光において開かれる地平
珊瑚が紫の火花を放つ場所がある

 

 

 

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「リアル・メタバース」 20230422

2023-04-22 | Weblog

 

 

 

美術部、恒例、真夜中の50キロ行軍──
考えもしなかった経験の入り口だったかもしれない

20~30人一緒に、焼酎一升瓶をぶらさげて峠を越える
ぐびぐび飲りながら明け方まで温泉地まで歩く
ただ歩くだけ、意味はない、意味なしのアホ軍団

(お父さんお母さんごめんなさい)

無意味さを共有しながら歩くぼんやりとした感覚
だんだん明るくなっていく空、野鳥の啼き声、足が動かん

意味ねえじゃん、なんかの役にたつんか、アホか
オーケーくさ、決まっとるちゃ、山笠があるけん博多たい、とか
意味なし根拠なしの肯定感を感じながら温泉に浸かっていた

 

 

 

 

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「物語」20230422

2023-04-22 | Weblog

                        「パピヨン Theme from Papillon」、Jerry Goldsmith - YouTube

 

 

リアルに非リアルを貼り付けて生きる
そうしていくらか生きやすくなることがある

ロマン、ファンタジー、パラディ
詩、音楽、アート、夢、妄想

「必然の王国」に「自由の王国」を貼り付けて
ウラとオモテを逆転して表紙にして生きる
先行して描かれた物語がリアルを書き換えることがある

生きやすさ生き難さ、過酷、苦悩、生のエロス、絶望、希望
それらの集合が承認を与える物語とそうではない物語がある

 

 

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「第三領域へ」 20230421

2023-04-21 | Weblog

 

 

 

新たな連結形式へ向かう意志の展開本質

「自己裂開的構造」(真木悠介)
「自己意識の自由」(ヘーゲル)
「生の過剰と蕩尽」(バタイユ)
「力への意志」(ニーチェ)

社会体が敷いたピッチを破る拡張的展開
(アート、詩、恋愛、革命、哲学、思想)

「侵犯の諸形式」(竹田青嗣)

この意志が芽吹き起動する生の位相
(まよい、ためらい、はじらい、未決のゆらぎ)

「心のうぶ毛」(中井久夫)
「中間地帯」(サリヴァン)

新たな連結が産む新たな世界経験の位相
(相互作用、二重記述、多重記述、光のカクテル)

「多重視覚、世界の奥行き」(ベイトソン)
「全体包括的意味生成」(ポランニー)

そして、展開本質と展開の洞察のための原理的方法
(社会体に埋め込まれた自然的態度と世界視線のいったん解除)

「遠近法」(ニーチェ)
「エポケー、現象学的還元」(フッサール)

(仮想的に描かれた虚数点)

すべては一つのことばに集約できるかもしれない
生きることの快(エロス)がだれかの不快を導くことなく
「快の本質」がまるごとこの世界と合流する地点、生の第三領域

 

 

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「ニーチェ──遠近法、生成」20230421

2023-04-21 | 参照

 

 

──竹田青嗣『本質学研究3』

あらゆる認識が遠近法として考えられること。
これは一切の認識が相対的でありうることの理由ではある。
しかしニーチェがおいた「存在」はむしろ、
一切の認識は〝欲望‐目的相関的〟である、ということにほかならない。

このことは認識の相対性という以上に、
認識の普遍性の可能性の条件を本質的に示すのである。

全知の概念の抹消は、「物自体」を抹消するのみならず、
対象自体、性質自体、運動自体、さらに「意味自体」や「意義自体」をも無化する。
このことで、本質と仮象という対項性も、その位相を変じる。

「真の世界/仮象の世界」という概念が徹底的に批判にふされ、伝統的な意義が逆転される。
「存在」「対象」「原因」「意味」「価値」「真」「善」といった概念が、
まったく別の存在論から再編されるのでなくてはならない。

ニーチェ的存在論の定式はこうである。〝存在は生成の相関者である〟

 

 

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「reflection」20221228

2023-04-20 | Weblog

                    Diamond Dust - YouTube

 

 

世界が独占したがるものの外にある
世界が手出しできない
気づかず忘れられやすい人間の領域がある

たくさん描いてもらった
やわらかな線と構図、配慮、人柄を表わすもの
直接にはそれ以上のことはなにも知らない
好きも嫌いも問題にならない
ただ親しみ、その疑えなさのなかにいた

そしてそれはたったそれだけのことではない
そのことのこのうえなさということがある
それを失えば死んでしまう
それを糧として生きているものがいる
そのことを深く教えてもらった

考えることの外からそう告げるものがいる

 

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「中心線」20230419

2023-04-19 | Weblog

 


  いわば地上につなぎとめてこの一種無重力状態から救ってくれるのが、
  身体性のずっしりとした厚みである、と思う。
  身体的な快不快などぼんやりとした感覚が残れば残るほど、
  あるいはすみやかに再生してくればくるほど、プラスである。
  このことは、そして、どうやら、治療者が患者の身体に
  しかるべき注意をむけることによって強化されるようだ。
  患者はどちらかといえば身体を二の次にして飛び立とうとする。
  医者までそうであってはなるまい。
 
                   (中井久夫『新版/精神科治療の覚書』2014年)

 

どんな状況にあっても
どんな情動の渦巻きに呑まれても

この星とまっすぐにつながるように
みずから突き刺しておくべき中心線がある

中心線が失われるとき
浮遊がはじまる

思考、感情、感覚、からだ、経験
すべては宙に浮いて、じぶんとは別のなにか
それが勝手に動かしはじめる

中心線を失くせば
みずから与り知らない世界に身を委ねることになる

視覚はノイズに浸食され
乱反射して像を結べなくなる

すべてを結びあわせる
光の通り道を塞がないように

苦しくても楽しくてもやけくそでも
世界から見放されていると感じても

それだけキープしておこう

脳天からつま先を貫いて
この星の地軸とつながるように
突き刺しておくべき中心線がある

 

 

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「ぼくのキライな先生」20230418

2023-04-18 | Weblog

                        Boku No Sukina Sensei - YouTube

 

 

道を説くトンマたちが道を消していく
トンマに従うトンマにはならないよ

採点工場
仕分けライン

ピッキング
部品交換
操作マニュアル
夢破壊
奴隷仕様

禁則空間
懲罰
スティグマ
反則群

順位指定
存在確定

スキマゼロ
完全既読世界

単純再生産プラント
出荷先、拡大教室

(楽しいか?)

消しまくる仕事に専従している
トンマの餌食にはならねえよ

 

 

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