ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「インターミッション」 20220731

2022-07-31 | Weblog

 

 

 

ちいさな休止符を日常の楽譜に書き込む

Intermission

世界記述、関係記述を確定させる誘惑をしりぞけ
世界と直列したリンクを外して、スキマを開く

記述を確定され所与される世界の姿
記述とスキマなくリンクした行為モード

この直列状態を解除する

そうしてはじめて扉が開かれるフリースペース
直列モードが出会えない生の展開域へ

あれはあれ・これはこれ・それはそれ
かくあるべし・かくなすべし・かくあってはならぬ

記述命題群に埋まった世界
教唆としての世界ではなく

世界が立ち上がり、記述命題群が更新されていく位相へ

記述されたものはすべて記述されざる海に浮かんでいる
この本質洞察を刻んで視線を逆向きにフォーカスする

世界から逆算される実存ではない
実存から逆算されて立ち上がる世界

この世界生成の存在本質を心に刻む

確定した記述命題群に、煽られ、脅され、ひれ伏し
「差し押さえを喰らう」ことを願わないかぎり

世界が引いた輪郭線の囲みをほどいて〝空隙〟をつくり
すべての実存と自らをもてなす作法を行使する

 

 

 

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「月の光」 20210214

2022-07-30 | Weblog

 

 

 

ふたつのちからが出会っている
真昼の光の中では見ることができない

夜空を見上げるとき
姿があらわになる

地上から遠ざかろうとするちから
地上に引き戻そうとするちから

ふたつが出会う均衡点、不均衡点
そこに透明な波形が浮かび上がる

だれかが親切に教えてくれる姿ではない

ふたつでひとつを構成する
おのれの姿を月が照らしている

 

 

 

 

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「全域性」20220729

2022-07-29 | Weblog

 

 

 

現実論理、競争原理が示し求める主題

「生き延びること」
「際立つこと」
「出し抜くこと」
「勝利すること」

この主題の外に生は別の波形を描いてみせる

生の波形は競争のピッチ上に全域を描くことができない
ピッチに展開する生はその閉域性を受け入れながら
ピッチの外に駆けている別の作動と結ばれている

どれが、なにが、どこからどこまでが
〝真の作動〟ということではない

ただ「生の全域」という理念が保たれているとき
世界を記述する言葉の包囲が解除される

全域を覆えば生はやせ細り
世界は荒廃への道を歩むことになる

一つの原理で生の全域を覆うことの不可能
どんな記述形式にも収めることのできない生の展開本質

そのことの明晰な了解だけが導くことがある

全域でありえないものの独裁
特定の原理の暴走、専制、一元化への否認

そして、全域性にかなう生への配慮のかたち
新たな記述形式、新たな関係原理への問いが生成する

 

 

 

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「展開本質──第三領域、全項連結」20220609

2022-07-28 | Weblog

 

 

思弁的なものを知るには〈あれかこれか〉のほかに、
第三のもの、つまり〈あれもこれも〉および
〈あれでもこれでもない〉があることを知らねばならない。
            
 ──廣松・加藤編訳『ヘーゲル・セレクション』259、


        *

昼と夜──

ともにしおれて壊れないように

あれかこれか
選択を迫るものをしりぞけるように

対立をほどき
ともにささえあうように

昼と夜を重ね合わせて糸を通し
新たな生地を織り上げるように

あれでもないこれでもない
あれもこれも、どいつもこいつも

全時間、全項連結して耕すために

どれでもない生の時間をあつらえ
第三領域と名づけてみる

 

 

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「ギフト」 20220727

2022-07-27 | Weblog

 

 

 

知り合うまえに分かれ道を通り過ぎる

何事もなかったように通り過ぎることはできる
はじめからなんでもなければそれでいい

ギフトを手にしながら
通り過ぎることはできない

紙くずのように捨てることはできない
紙くずのように捨てられるほうがいい

しかし、情動の言葉には限界がある
切り取られた場面に居続けすぎる

それだけでは満たすことができない

いまここにない生の位相、そこに連結する言葉
連結してはじめてギフトを活かすことができる

新たな光、世界を掘り返す言葉と視覚の獲得
この要請をキープしていく

    *


決めごとに埋まった日常
ミッション指定、コード進行

積み上げたそれぞれの武装のかたち
前提、習慣、思考図式、関係パターン

深く埋め込まれた記述命題群──
自己記述、他者記述、世界記述、関係記述

価値あり-価値なし
世界にラインが引かれ武装が整えられる

世界をマップする透明なライン、戦線の形成
飛び交う銃弾、削り削られあう戦場に生きる

武装解除へ

日常の楽譜に小さな休止符を書き込むように
魂に息つぎするフリースペースを与えるように

コトバの包囲をほどくように

あなたはやさしく迎えてくれた
しかし、チーム正義の一員ではない

(そうは見えなかったにちがいない)

停戦合意へみちびくやさしい提案
日常のスコアに綴られる転調のシグナル

一つのほほえみ、やさしい言葉

経験のモードを裏返すように
すべての確定記述がほどかれる位相へ

そこでだけ現象する転調、変換、新たな音の生成
世界に新たな奥行きを加えるインターミッション

ありがとう

おそらく意図されないもの、それを受け取ったバカはいた
けれど、そのことを告げる回路は生まれなかった

告げることはできなくても起こったことは消えない

バカにはバカの生き方と限界がある、願わくは
別のやり方でそれを示す出会いがあるように

 

 

 

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「Animation」 20220726

2022-07-26 | Weblog

 

 

 


「非生命的自然は自己充足的である」
 Inanimate nature is self contrained. (Michael Polanyi)


生命はつねに未決の形式において自らを組織している
外部に開かれ、対話し、情報を交換し、記憶し
かつて-いま-これから、すべての時制を結び合わせながら
新たな存在のフォームを試行し、そのつど固有の波形を描いていく

自己充足的であるとき、あるいは自己完結的であるとき
生命の試行は中断と停滞の中にいる

 

 

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「世界が枯れる」 20220725

2022-07-25 | Weblog

 

 


「ゲームは自明化し惰性化し陳腐化し腐り出している」
「でも別のゲームは見当たらないな」
「あるよ。いくらでも」
「構造は固められている」
「正義と悪の配置は固定している」
「だめ?」
「けずりあう原理的な作動がある」
「それだけじゃないでしょ」
「世界が枯れていく」
「甘いんじゃない」
「とっつぁん言葉ね」
「おとっつぁんの常套句?」
「性別、年齢、思想信条を問わず共有されている」
「おまえは甘い、現実を見ろ、とか」
「なにも考えていない人間のクリシェさ」
「そうかな」
「加齢臭がする」
「現実はそんなに甘くない、若いな、って」
「差し押さえを喰らった人間の言葉さ」
「現実論理に抗える?」
「うん。バカヤローほど使用頻度が高い」
「どうするの」
「甘くなりなさい。もっと甘くなりろう」
「大丈夫か」
「ああ、破格の甘さで溶かしてみよう、この世界を」
「げっ」
「けずりあう世界は亡びるしかない」
「いいの?」
「この社会は味覚に重大な欠損がある」
「病気かい」
「まさに。甘さを享受できない人生の貧しさは救いがたい」

 

 

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「からだの声」 20220724(20220327)

2022-07-24 | Weblog

                   Newage Dreams - YouTube

 

 

18歳の娘がつぶやいた
余裕をかますだけの頭空っぽたちに

「いつもたぶらかされていた」

知ってるつもりのトンマたちがのたまう
謙虚なふりして正論をわめきちらす

「もっと考えなさい」

そうではないのですよ
〝正解〟にしがみついた、ボケナスくん

わかったつもりを見せつけあう
たったそれだけのことに血道を上げる

(滅びのルート)

娘に代わってそのままそっくり返す
耳をほじくってよく聞いておこう

「おまえが考えろ。出直せ」

    *

ことばの包囲をほどいて
記述を急ぐ世界をしりぞけ
しずかに耳を澄ましたほうがいい

からだの声、それが希望
ただ一つ、自由の入口にあたっている

この声を聴かなければ本当はどこへも行けない

だれかが、なにかが、どこかへ
おたたちを連れて行ってくれる

それも悪いことじゃない?

ざわめき、もやもや、いらだち
ゆらぎ、ためらい、まよい、ふるえ

声はことばとしては現われない
いつも記述の確定を拒む表情をしている

ノイズとしてすべて切り捨てることもできる
耳をふさぎ、自由を呪う道もこの世には用意されている

老若、男女、思想信条、信仰を問わない
人生、結局、〝なんとか〟である──
結論を急がせ、かたちを確定したがる世界、関係記述

人間の歴史をわがもの顔で動かしてきたものだ

おのれの声とは別のなにかに乗ること
乗っかる以外一歩も生きられない、生きさせない

虎の衣を着るしかおのれを示せない
権威に毒された記述命題から逆算して生を定義する

そんな流儀がいまも席巻している
この世を干上がらせ、荒廃へ導くものだ

「いやだね」
そうつぶやくおまえの声を聴いたがことがある

俺たちには別のルートが開かれている
敵を蹴散らして滅ぼすチカラの道ではない

滅ぼしあうものがみずから恥じて滅びていく
目撃することでみずから消えていく道がある

日々、水をやり、光を当てるように
一人称がともに生きる相手、からだを迎え、もてなす

そうしてはじめてともに生きていくことができる
俺とおまえが本当に出会うことができる作法がある

 

 

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「向日葵@朝霞」 20220723

2022-07-23 | Weblog

                                                                            w-inds. 向日葵 - YouTube

 

 

 

走らされ、行きすぎ
すれちがい、やすやすと結審へ向かう

見え透いている
見え透きすぎている

フィードバックする──

「忘れないでいよう」

修正の契機を失わないように
自明性に溺れてしまわないように

いまここのリアルの専制を許し
一義的な記述が世界を枯らさないように

そのための資源を手放さないために
くりかえしそうしなければならない

こう言い直すことができる

経験と経験をブリッジする
時間と時間を重ねあわせる

そうして生まれる第三の位相
世界の奥行きを拡張していく

 

 

 

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「シューマン4番@熊本市黒髪5丁目」 20220722

2022-07-22 | Weblog

                                                                        SCHUMANN - Symphony no. 4 (SAWALLISCH) - YouTube

 

 

 

発情している

対象にフォーカスしない
ただ発情している

あれもこれもどいつもこいつも
どれでもない、ここでもどこでもない

何ごとも告げず零れ出す
どこへ向かうのかわからない

すべてはガラクタに見える
スキャンしても見つからない

(おのれのことだ)

空を切るように
世界に発情している

 

 

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「その先へ」 20220721

2022-07-21 | Weblog

 

 

 

居心地の良い場所は必要だ、何よりも
このうえなく、そう言ってもいい

そのことを知ることではじめて
この世の居心地の悪さの本質をえぐり出せる

そして、その次がある

計り知れない未記述の生の地平がある
この直観に従えば
同時にそれが、居心地の良さの本質をえぐり出す

わかりあえる水準でわかりあう
その先へ──

直観が告げる
したり顔で語りたがる分別の口を塞いで黙らせろ

黙らせたうえで
居心地の良さに満ち足りた関係の外へ出ろ

どんなに世界が確定された姿で現れても
俺たちは未決の空域を携えて生きている

世界記述を書き換えるフリーハンドがある
手つかずのまま放置されたフリースペースがある

身についた分別を解除して耕すべき生の圏域がある
この圏域とリンクすることで沸き立つ原理的作動がある

だれかに求められたモチーフ、絵ではない
世界を黙らせたうえで始められる絵がある

分別が別の分別に入れ替わっても世界は変化しない
分別なんぞはじめから問題にならない展開領域がある

野蛮さと繊細さの極みが溶け合って耕される人間の地平
アートと呼ばれるものに許された試行の方法がある

(後出しにちがいない──そういう提案だった)

 

 

 

 

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「ぼく(主語)の生成」20220721

2022-07-21 | 参照

 

 

 

──竹田青嗣『欲望論』267、268、271


人間の幻想的世界の生成は、「母」の与える禁止と規範によって、
初発の身体的エロス(快-不快)の二項性が、
価値承認的エロス(よい-わるい)へとその中心性を転移してゆく途上で、
この二項性の重層的様相として現われてくる。

人間の「自己」とは、本質的に、「よい-わるい」「善悪」の価値審級を
内面化する自己意識として成立する。……
この道程における不調は、父の威力の残滓としての「超自我」ではなく、
身体的に体制化された「不安」(不安身体)や「疚しい良心」としての「超自我」を形成する。

自己の幸福が内的な中心的課題となりうるのは、
あくまで関係的競合ゲームのうちでの他者との対抗、相克を通してである。

「子」がはじめに「私」という主語の主体となるのは権威者による
規範、義務の交付に対する内的な言語化をともなう対抗的抗弁においてである。
すなわち「私」の至福、幸運、優越や特権の意識においてではなく、
むしろ「私」の不運、「私」の蒙った不当、「私」の悲しみにおいて、
はじめて「私」は、一つの主語、「私」という物語の主語となる。

 

 

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「人生のルーキー」20220720

2022-07-20 | 参照

 

 

 

──竹田青嗣『欲望論』第二巻、272、277

誰も新しい世界において初心者であることを非難されないように
「子」のはじめの内的抗弁と正当性については、
どんな形而上学もこれを非難する権利をもたない。

「子」が初期的な共同関係を離脱して、
「母」との間で「自我」を介した自己-他者関係を形成するにしたがって、
自己の内心をどの程度表現するかは
「子」にとっての内的な自由の問題として現われてくる。

「子」はしばしば「うそ」をいうことで、
ある場合は自己の内的感受性を守り、
ある場合は「母」との関係感情のエロスを守る。

「子」のどんな「うそ」も、それが露見し次第、
厳格に罰せられるような関係においては、
実力と権威による支配と服従の関係だけが存在し、
親和性を基礎とする共同体の関係は成り立たず、
「子」の内的自由も生き延びえない。

 

 

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「Almost Hear You Sigh」

2022-07-19 | 参照

                                                                                      Almost Hear You Sigh (Remastered) - YouTube

 

 


Have you set me free
Or will I wake up
In the morning
And find out it's been a bad dream

                 ──M.Jagger/k.Richards

 

 

 

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「他者としての私」20220718

2022-07-18 | Weblog

 

 

 

みずからの世界経験を一つの現象として捉える外部的な視線

この視線をキープしながら、現象の本質を追い詰めると
意識が介入できない〝不可視域〟(他者としての私)に出会うことになる

私(意識)にとって自由にならない「私」の作動がある

「私」はつねに「私」にまみれながら「私」を目撃している
この関係構造を詩人は「ぼくは一人の他者です」とつづった

目撃しながら、全貌を視野に収めることはできない
しかし、おそらくここに「私の本体」が動いている

この本体の作動を適切に観取り、新たな「ありうる」へ連結する場所に
おそらく、「意識」(思考)というものの役割と仕事がある

 

 

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