https://www.youtube.com/watch?v=zCSG0qV5aGI
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非知を既知に還元し、その先に「明徴のカミガミ」を見ることで、
すみやかに霧散してゆく非知のクラウドがある。
知ること理解することと〈世界〉が一致すると、
生成としての〈世界〉を失うことになる閾がある。
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情動とスキマなく直列した行為モードが出会えない〝結界〟があり、
直列状態を外すことではじめて扉が開かれる経験の位相がある。
コトバがその裏側に回り込めず、回り込もうとすると別のものに変質してしまう、
コトバの動機そのものがそこから始発する不可視の域がある。
経験の記述を拒み留保することによって、
はじめてその作動の本質を目撃しうる〝閾〟がある。
コトバに先行して生きられ、コトバがそこから動機を与えられる、
始原的な経験のモードはつねに持続している。
コトバの切り取りが指定する場所への着地を拒みながら、
始原への帰還をみちびく細い道があることを知る関係がある。
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インターミッション──〝魂〟が息つぎすることを許される「関係の域」があり、
相互に始原的地平への帰還を許し導きあう作法がある。
コトバを結ぶことより早くつながる関係のモードがあり、
記述の誘惑をしりぞけ停止することではじめて照らされる関係の位相がある。
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インターミッションがそこに用意される──
すこしでも急ぐことでソレが消えてしまうかのように。
「……………」
ちいさな休止符が日常の楽譜に書き込まれ、
お互いに魂に息つぎする位相が与えられる──その連続的展開。
記述と非記述の絶えざる入れ替わり、
いいかえると相互的な試行が連続しながら、
休戦状態のまま関係の強度を高めあってゆくプラトー。
生成に向かう意志の強度を相互に蓄え与えあう関係的モードがある。
「……………♪♪♪♪♪」
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行為と行為の間にスキマを開く非直列的作動があり、
始原の〝発火〟を目撃し、意味生成の原郷に身を浸して生きる位相がある。
決議保留、判断停止の位相に開かれた心的経験の位相、
そのことへの了解性がみちびく相互的な承認の位相がある。
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「ありうる」をめがける根本動機の起点に未規定性(わからなさ)があり、
「ある」「ありき」「あるべき」のバインドをほどいて結び直すことが許された、
新たな「ありうる」の予期がわき立つ〝関係の踊り場 plateau〟がある。
いまここにたえず現象している〝生成としての世界〟を告げるように、
「私」と「あなた」、それぞれが生きる位相に承認を与えるように、
相互の非知性、不確実性を享受可能な資源に変換するように奏でられる関係があり、音楽がある。
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