ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「変化の契機」20181128

2018-11-28 | Weblog

         https://www.youtube.com/watch?v=f96-9fsQCik


     *

体育座りしてバカ校長、バカ教師のバカ話をバカ面して聞いているバカ生徒、
それがこの社会という関係世界の基本フォーマットを表象している、
とこき下ろして終了、では認識のゲインは生まれない。

支配と隷属の関係フラクタルが積み上がった社会構造。
従順であることを骨の髄まで学習する場所が学校である、
と断定してスッキリ、では変化の契機を決してとらえることはできない。

     *

システム上の瑕疵に気づくには、それを瑕疵と認知できるための、
現状を上回る「好ましい状態」がイメージされ、言語化され、
そこに向かう「われ欲す」が起動しなければならない。

システムのあり方が根底からくつがえるためには、
現状では獲得できない「エロス」の所在が感知されなければならない。

          *

 

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「柔軟性、インターミッション」20181125

2018-11-25 | Weblog

       https://www.youtube.com/watch?v=7YFqu3TDozY


   *

自然界ではシステムを危機に招くような不測のイベントがつねに生起する。
このとき、生命システム内部には自己修正を促すコマンドが走り抜ける。

「状態を変化させよ」

状態変化を可能にする資源としての「柔軟性」。
この資源を基底にすえながら、無数の変数をモニターしているものがいる。

生存と死を主題とする弁証法的な内なるコンピューティング(演算)──

システム内外のある変数が定常性から外れる、あるいは閾値を超えて異常を示すとき、
ただちに定常性への回帰、あるいは新たな組織化を促すコマンドがシステム全域に伝えられる。
生命システムにはそうした機能がそなわっている。

動物は高地に暮らすとヘモグロビンが増加する。
植物は日照が不足すると果実を小さくする。

こうした状態変化の動向は、外部の変化と相関すると同時に、
みずからの組織化のエラーとも相関している。

つねにエラーを冒す可能性を生きる存在であるということ。
この可謬性(まちがうことがあるということ)の自覚が、
新たなコマンドの生成とその拡張可能性を維持させる。

自己修正性──そしてそれを可能にする柔軟性の保持。
このことが生命システムの生存を支えてきた最大の特性ともいえる。

いいかえると、無謬性において自己規定する存在は、
必然的に絶滅を宿命づけられてきたともいえる。
すなわちある変数(群)の絶対化、固定化された状態への執着。

   *

インターミッション──決議保留の位相の有無。
状態変化を可能にする、いわば状態と状態のつなぎ目において、
そのことについて自覚的ないとなみにおいてのみ、
この生命的なポテンシャルは注ぎ込まれるようにみえる。

   *

「人生では知らないほうが幸せなことがあります」
 「バカになれとおっしゃる?」
 「一方で、無知がまねく災いも現実に溢れます」
 「それで?」
 「さらに、理知の傲慢や逸脱も目に余ります」
 「困ったね」
 「適切にふるまう絶対的な作法や礼節は存在しません」
 「結局、お手上げ?」
 「世界はパラドクスに満ちています」
 「ただそれは人間の都合から見てということかな?」
 「御意。人が抱く命題にとって、ということにすぎません」
 「ところが自然界には矛盾は一切存在しない、とか?」
 「ええ。世界図式や意味解釈は人間の勝手な創作物にすぎません」 
 「完全さからは程遠い」
 「不完全ですが、システムにとって解釈系の作動は必須でもある」
 「必然的に一定の限界や自閉性は避けられない」
 「世界を区切ることが生きることで、同時にそれは限界を設けることでもある」
 「区切らないと生きられないわけね」
 「生命の本質は境界を創って維持すること、といってもいい」
 「あっちとこっち、イエスとノー、Aと非A。とか」
 「まさしく。生命はみずから描いた地図を携えて世界を生きます」
 「単なるモノはそんなことはしない」
 「地図を現実と錯覚することも起きます」
 「ところが現実は偶発的で想定外のイベントに満ちている」
 「つねに裏切られる運命にあるともいえます」
 「そういうとき、無常と言ってみたりする」
 「自分に語りきかせる物語を必要とするのが人間です」
 「ミゼラブル、とか」
 「ところが実際には、無常としても、汲み尽くせない豊かさとしても世界は現象します」
 「本当は両義的なのね」
 「でもみずからの無力に焦点を合わせずにはいられない」
 「そうね」
 「それゆえ無欠完全の精神や存在をどこかに仮定するということが起きます」
 「解釈系の必然でしょうか」
 「限界の自覚が新たな志向を生みます」
 「宗教や哲学?」
 「究極の解がどこかにあるはずだ――そう考えるのは、反省的意識が導く必然的帰結です」
 「神とか、イデアとか」
 「いわばゼロ記号。人間の精神にとって、究極のエージェントともいえます」
 「超越的な何か。人為を超えたサムシングね」
 「それを想定すること認識の綻びが埋められ、全体というものが獲得される」
 「全円性という言い方もある」
 「了解不可能なすべての矛盾や謎を一箇所にしわ寄せする、究極のピースです」
 「構造的には一神教の神になるのかな?」
 「古典的な哲学世界には、永続的な観念の運動と成長の果てといったイメージもあります」
 「矛盾を乗り越え乗り越え、苦心惨憺そこに至る的な?」
 「最終のゴールに向かうプロセスが歴史というふうに想定されました」
 「永遠に辿りつけないかもしれない最後の到達点」
 「観念の試行錯誤に力点を置くという意味ではエールが感じられます」
 「はげましなのか不可能なこじつけなのか?」
 「少なくとも矛盾や錯誤に直面しながらも、未来の最終解決点が描かれる」
 「それも人間のご都合でしかない」
 「はい。人間以外の生物にとっては余計なものです」
 「でもやめられない」
 「ゼロ記号あるいは虚数的仮構物によって推進力が生まれる」
 「この世にはないものだけど、人間にとってはそれが現実を構成する」
 「この宿命のなかでもがくしかないのですが、一定の心得が大事です」
 「なんだろう」
 「超越的な存在は実体化して描かれた途端に、それが拘束に変質します」
 「可能性を示すはずのゼロ記号が、しばりに転化する?」
 「はい。文化的な生産のエンジンである一方、悲劇の発生装置としても機能してきました」
 「権力構造の生成と正当化、あるいは収奪の道具にもなるということかな」
 「いまなおその機能は失われていません」
 「収奪面は解除できない?」
 「そろそろ解除に向かわなければなりません」
 「いい加減にね。でも、どうやって?」

 「さまざまな適応課題に対処するには情報が必要です」
 「当然ね」
 「しかし何が最重要な情報であるかは必ずしも自明ではない」
 「でしょうね」
 「完全情報は存在しない」
 「それで?」
 「しかし常に選択はなされ、現実は動いていく」
 「はい」
 「生命の作動は、意識や理性による制御を超えて維持されます」
 「意識や理性はサブシステムなのか」
 「つまり、情報の処理能力や処理速度からみて、意識による制御は不適格です」
 「どんなに頑張っても計画な制御の中心にはなりえない?」
 「もちろん。そこで重要なのは、意識機能の正しい使用です」
 「意識の役割?」
 「はい。計画的な制御は巨大な生産力の源泉ですが、生命的収奪の源泉でもある」
 「計画制御にはゲインもロストもあるわけだ」
 「しかしこのゲインは多大な犠牲を強います」
 「生命的な収奪って、強権的な支配のことかな」
 「人間による人間および自然の資源的利用、計画的なコントロールの問題ですね」
 「端的には政治かな」
 「国家をトップとするピラミッド構造をもつ政治システムが存在します」
 「神話や暴力装置、教育など、そのためのいろんな仕掛けもある」
 「しかしその代償は、人間の類としての未来を脅かすまで拡大しています」
 「ずっとそうだったかもね」
 「ところが包括的かつ科学的な有効な批判言語が存在しませんでした」
 「なぜだろう?」
 「生命は本来的に言語的記述を必要としないものだからです」
 「いまならできる?」

 「意識にとって世界は、意識されるかぎりの世界であるほかありません」
 「それで?」
 「意識の届かない、未知で巨大な生命の領域があります」
 「人間の意識にとって広大な未知の領域がある」
 「ええ。生命システムは寝ていても、気を失っても遂行的現在を生き抜きます」
 「遂行的現在ねぇ」
 「そうした領域があまりにも見くびられてきました」
 「逆に、それは意識を一部として含んだものであると?」
 「見くびりはみずからの基底を破壊するあり方ですが、基底への依存でもあります」
 「じぶんの足を喰らうタコですか?」
 「まさしく」
 「だから?」
 「そこで随伴者としての意識、という位置づけが重要になります」
 「随伴者として何ができるのかな?」
 「後からついていくことが第一です」
 「世の中では理知的であることが推奨されるけど」
 「理知であることは、本来理知の限界について自覚的であることを意味します」
 「無知の知、ソクラテスですか。おバカでオーケーというわけじゃない」
 「もはやと云うべきか、理知的制御の方法の限界は明らかです」
 「意識にとって生命の闇は深く、迷いの種は尽きない。これはフロイト的理解かな?」
 「精神の暗黒面に対する理知による正しい制御、というのがこれまでのメインストリームでした」
 「とうまちがってるのかな」
 「意識下にあるものを貶めてはいけない。理知、理性、意識の下位に置いてはいけない」
 「それで?」
 「理知による明視は絶対的不可能。これが第一の出発点です」
 「わかったふりをしない」
 「はい」
 「でも、進化的にムダや障害物が内在化されているとは考えにくいでしょ」
 「はい」
 「では、意識や理性のもつ本来のミッションとは?」
 「以前申し上げたように、遂行的現在に休止符を入れ、自由度を開くという機能がポイントです」
 「それが意識や理性と呼ばれるものが果たす生命的機能?」
 「システムの作動にとって意識は変数の一つですが、全体をリードすることはできません」
 「もう少し詳しく」

 「例えば、伝統や習慣といった既知の形式に頼るという方法があります」
 「社会的文化的なハード・プログラムかな?」
 「デフォルト化されたふるまいの作法といえます」
 「野球部は全員がマル坊主だとか?」
 「まさに。既定値としてセッティングされた行動のしばりのことです」
 「当然のこととして誰も疑わないものね」
 「日常はこの種の意識されないセッティングに乗る形で営まれます」
 「日本国は単一民族とか、いろんなマインドセットがある」
 「既定値の境界には、さまざまなタブーが地雷原のように並びます」
 「踏んだら村八分にされる」
 「通常、意識や理知はそうした無数の既定値を母体として成立します」
 「かもね」
 「さらなる基底には、生命的なハード・プログラムが存在します」
 「DNA的な?」
 「ええ。進化の歴史が積み上げたデータベースが体内に組み込まれています」
 「社会的なもの生命的なものの両面に、基本プログラムの設定がある?」
 「システムの成立条件を考えるとそうなります」
 「その一部でしかない意識が、すべてをカバーできるはずがないわけか」
 「はい。大事なのは、それらが現在進行形で働いているということです」
 「意識がどうのこうの、泣こうがわめこうが勝手に動いているわけだ」
 「生命体は、進化の途上にある一個のシステムと考えることができます」
 「それで?」
 「とても大事なのは、そうした設定値が書き換えの可能性を備えていることです」
 「ただしそれが正しい方向かどうかはわからない」
 「もちろん。進化史的適応形態に最終解はありません」
 「ですよね」
 「現時点での適応形態ですが、しかしプログラムの記述内容や形式は変化しうる」
 「時間的スケールでいうと、個体は既定プログラムで十分やっていけそうだけど」
 「既定値が有効であるためには、内外の環境が不変という前提が必要です」、
 「ところが変化は自然にも社会にも起こりつづけている」
 「生命システムの内部状態も変化します」
 「具体的にはどうなってるのかな?」
 「一例を挙げると、大気中に酸素があることは自明です」
 「自明です」
 「これを前提に、呼吸システムは延髄のハード・プログラムが担います」
 「だから安心して熟睡できる。けれども酸素不足が起きたら?」
 「呼吸量が増え、心拍数が上昇します」
 「酸素不足が恒常化したら?」
 「血液中のモグロビン量が増えるといった体細胞的変化が起こります」
 「システム全体に備わる柔軟性ね」
 「これは既定値の構成が階層的に積み上がっていることを意味します」
 「環境変化に応じて作動する何段階かのサブシステムがある。それが柔軟性ですか」
 「システム状態を変化させるサブシステムが、重層的にスタンバイしています」
 「しかし変化への対応能力には限界もあるでしょ」
 「はい。当然ながら対応可能な閾値があります」
 「酸素がなくなれば死んでしまう」
 「酸素なしで生きるには、別の生命体になるしかありません」

 「社会的な環境変化についても同じかな」
 「当然ながら、既定値だけに頼るだけではやっていけません」
 「実際、経験知では処理不能な事象があふれている」
 「とりわけ社会的流動性が高まる時代では、未知との遭遇が日常化します」
 「既定値が陳腐化して、一から判断すべきことが次から次に訪れる」
 「日常には選択圧の嵐が吹き荒れています」
 「吹きっさらしかな」
 「ところがナビゲーションに必要な確かな参照系が不足しています」
 「どうしたらいいの?」
 「価値判断はエラーを回避できません」
 「しかしエラーを恐れていてはオペレーションが停滞する」
 「停滞してかまわないのですが、変化する可能性を捨てたら致命的です」
 「何でしょう?」
 「ハード・プログラムされた既定値に固執すると、現実が捨象されます」
 「認知的な合理化?」
 「ええ。結果として、既定値を保守するために現実が歪められていく」
 「ウソや曲解や隠蔽などのデタラメが蔓延する?」
 「合理化のたどる常です」
 「既存のフレームワークを棄てろということ?」
 「棄てる必要はありませんが、未来の変化を拒むとき過去が呼ばれます」
 「昔の栄光を求めて回帰的になるということかな」
 「幻想にすぎませんが、脚色され厚化粧された過去が召喚される」
 「それもこれも既定値への固執なのね」
 「はい。最悪の場合、悲劇の再演でしかありません」
 「例えば原理主義とか」
 「悪しき原理主義は、自他の境界線が太く引かれ、既定値が絶対化します」
 「アナーキズムは?」
 「ウラ返しの原理主義です」
 「可能性はどこにあるんだろう?」
 「迷うこと」
 「えっ?」
 「わからないのにわかったふりをしない」
 「ごまかすな?」
 「正しくは、未規定なものに開かれること」
 「未規定?」
 「じぶんにとって未知なるものを認める態度が鍵です」
 「そこに手がかりがある?」
 「迷いに直面することのなかに可能性はありそうです」
 「どういうこと?」
 「安易に解答を求めてはいけない」
 「その意味は?」
 「迷いを既知の説明体系に回収しないで、次のステージを開く契機と考えます」
 「ずいぶん抽象的で能天気に聞えるけど、それで?」
 「作業課題そのものはシンプルです」
 「どうシンプルなのかな?」
 「ハード・プログラムを書き換えることです」
 「例えば酸素なしでもやっていけるようになるとか?」
 「比喩的にはそうです」
 「無理でしょ」
 「無理ですが、課題として掲げることはできます」
 「課題ねえ。それって、ゼロ記号かな」
 「まさしく。そこに人間の認識構造にそったやり方があります」
 「ありえないでしょ」
 「迷いのなかに留まり、自由度を開くようにすることはできます」
 「わからない」
 「もちろん、プログラムの直接的な書き換えは不可能です」
 「絶対的に不可能と思えるけど……」
 「キーワードは、魔術の再臨です」
 「魔術?」
 「正確にいうと、生命に備わる創造力を活性に導くということです」
 「芸術家でもないのに、そんな能力はないでしょ」
 「あります」
 「どうやって?」
 「コンテキストには常に上位のコンテキストが存在します」
 「だから?」
 「そのステップを上がることです」
 「上位のコンテキストって?」
 「例えば、Aさんという女性がいて、既婚者だとします」
 「はい」
 「家庭では奥さんであり母親、スーパーではお客さん、職場では課長と呼ばれます」
 「病院では患者さん、警察では犯罪者と呼ばれるかもしれない。それで?」
 「どれも同じ人物ですが、それぞれの文脈によって属性も行動も変化します」
 「でも同じ人でしょ」
 「同じ人です。国民という文脈では、有権者であり、納税者です」
 「でしょ」
 「では、じつはAさんがどこかの国のスパイだったらどうでしょう」
 「どうなるの」
 「スパイであることはすべての属性に優先し、かつすべての属性を包括します」
 「一時もスパイでない時はない」
 「そうです。スパイというコンテキストは、すべての属性の上位に位置します」
 「どう理解したらいいのかな」
 「上位のコンテキストが加わる。すると、その下のすべての属性や行動の意味が劇的に変化します」
 「主婦のときも課長のときもすべて、スパイであることが先行するわけね」
 「そのとおり」
 「スパイになることは、上位のコンテキストを生きることを意味する」
 「まさしく」
 「それが魔術なの?」
 「一種の比喩ですが、新たなコンテキストを見出すことは魔術的な効果をもちます」
 「まだピンとこないけど」
 「どれもAさんに変わりはありません。しかしAさんの世界との関係の仕方は激変します」
 「スパイであること、それがゼロ記号に相当する?」
 「はい。あるコンテキストにとって、スパイ的な上位に来るコンテキストがあるはずです」
 「それを見つけろって?」

 「でも、スパイ的なものは善でも悪でもありうるでしょ」
 「善でも悪でもありえます」
 「安易にスパイ的なものを見出すのは危険じゃない?」
 「危険です。その場合、外在的な押しつけが伴います」
 「国家とか?」
 「ええ。総じて個別の人間を下位にランクする超越的な特性をもちます」
 「そうじゃないものもある?」
 「そうでないものがあります」
 「どんなものかな」
 「ヒントを挙げます。片目で見ている花があるとして、両目で見ると視覚が変化します」
 「距離の感覚が生まれるかな」
 「あるいは、時間差を入れて、一週間後一カ月後の花を見ます」
 「うつろう季節を感じるかもしれない」
 「そうしたまなざしの変化から気づかれるものがあります」
 「何?」
 「世界の多様性、豊かさのようなものです。そのことに開かれることは善ではないでしょうか」
 「まあね」
 「未規定なものに開かれるとは、いまだ出会わない豊かさへの期待といえます」
 「それで?」
 「まなざしが変化すると、同じモノや風景のもつ意味が変化します」
 「すると、じぶんも変わるのかな?」
 「ええ。そうした変化は相互的に円環していきます」
 「まさかそこに意識や理知の出番があるって?」
 「そのとおり」
 「よくわからないけど」
 「ハード・プログラムの作動に、ちょっとしたクサビを入れることはできます」
 「どうやって?」
 「休むこと。意識して休むことです」
 「ほんとに?」
 「ええ。システムの作動に一旦停止を入れ、そこにいわばフリースペースをみちびく」
 「どんな意味があるの?」
 「その開かれた自由度のなかで、新たな選択の可能性が生まれます」
 「とても休めないけど」
 「既定値に従って動くシステムの作動を止めて、遊びの時空間をつくる」
 「遊びね」
 「イメージで遊ぶ。いわば遊びというノイズを注入してシステムを攪乱する」
 「よくわからないな」
 「一面では、フォームの改善をめざすアスリートのイメージトレーニングに似ています」
 「どうやって?」
 「イメージと遊ぶことの体験が、フォームの既定値を変化させます」
 「操作するためでなく」
 「ええ。優れたアスリートは未知で未規定なものに対してどこまでも開かれています」
 「遊んだあとどうなるの?」
 「確定的なことはいえません」
 「だめじゃん」
 「古くは祈りといったものにつながるかもしれません」
 「なにか他人まかせのような」
 「他力の本願といわれるものにも似ています」
 「いつ魔術は再臨するのかな?」
 「大事なのは休むことで、そうすることで変化の契機が生まれます」
 「でも手がかりがないまま、ただ休む、遊ぶといってもねえ」
 「例えば、新たなコンテキストの種として言葉が使えます」
 「何だろ。例えば?」
 「例えば、kindnessという言葉」
 「随分と月並みだな。それでどうなるの?」
 「もう一つ、そのことを決して実体化しないことが、とても大切な条件になります」
 「それで?」
 「ゼロ記号としての言葉にとどまりながら、いろいろな人や世界と遊ぶ」
 「相手がいなければ?」
 「目の前にいなくてもいいのです」
 「だれだろう?」
 「ゼロ記号はいわば虚数で実在しないものですが、それを使って応答関係はつくれます」
 「一方向的でなく、応答関係?」
 「よびかけ-受けとめ-応答の相互的に円環する関係。これを規定値の外側で回していく」
 「するとどうなる?」
 「システム全体が新たなコンテキストに乗るきっかけが生まれます」
 「さっきのAさんにとってのスパイみたいに?」
 「ええ」
 「それが魔術で、ハード・プログラムの書き換えにつながるって?」
 「そこで大切なのは、そのことが楽しいということです」
 「ほんとに?」
 「システムが変化するとき、それはきっと喜びに担われているはずです」

 

 

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「二重記述」20181124

2018-11-24 | Weblog

     https://www.youtube.com/watch?v=t-CG0j7bmkM


    メッセージ──

    それを受けいれる態勢が整えられているということ。
    そのことが相互に信じられている、
    ということが「わたし」に信じられているということ。

    応答しあう透明な回路が信じられ、
    「あなた」という存在のcallが聞こえ、
    一つのメッセージに「わたし」は〝意味〟を創り上げる。

     ── あっ、雨 ──

    このとき、すでに、外を見るよりはやく、
    「わたしの世界」は雨に濡れている。

    「コール」と「応答」はなんども入れかわり、
    〈世界〉を記述し更新する新しいコトバをみちびいていく。

    相互作用しあう一人の視覚がもう一人の視覚と重なり、
    一人では実現されない冗長性が〈世界〉にもたらされる。

    二つのまなざしによる二重記述(double description)。
    そして果てしなく複雑さを加えていく多重の記述の展開。

    透明な回路の上で単眼視覚は単眼視覚とまじわり、両眼視覚を形成し、
    そこに、どちらにも帰属しない意味(奥行き)が創発する。

    〈世界〉のフォームがインフォームされ、
    すると同時に「わたし」の存在のカタチが「inform」される。

 

 

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「非知のクラウド」20181123

2018-11-23 | Weblog

         https://www.youtube.com/watch?v=9PQ-3pUFQ6o


   *

非知のただ中にあって、非知を非知のままに、
非知を既知のスコアに回収しない意志にみちびかれ、
生成としての〈世界〉への〝信〟を生き、相互に非知を資源としながら、
ただ、沸き立つように対話するセッションがある。

   *

非知を既知に還元し、一切を「カミガミ」に帰納することで、
すみやかに霧散してゆく非知のクラウドがある。

知ること理解することと〈世界〉が一致するとき、
生成としての〈世界〉を失うことになる閾があり、
同時に、失われる人間的自由の本質がある。

   *

 

 

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「関係子」20181117

2018-11-17 | Weblog



どんなに小さな対話においても、つねに関係を主題として、
既知の関係記述を土台としながら、新たな〝関係子〟の生成をめぐる思考、
その探索的試行的な意志が動いている。あらゆる関係の基底をなす根源的作動を意味するように。

関係子としての、真、善、美、客観、正義──
関係(世界)の位相においてのみ生成する「ほんとう」という概念をめぐる価値の系列。

「主観の一様態」として、主観内部において生成する非主観的概念、関係子。
関係存在としての主観がみずから生みだし、それをたずさえることではじめて
関係世界に向かうことが可能になる関係企投。

基底をなす関係企投への意思とその関係的展開につねに同伴する関係子。
関係子を中軸として、その相互の交換から総体が編み上げられてゆく関係世界。

世界像──生存の維持と存続と整合するように、その集合的な意志が描きだす世界記述。
「私」にとって、「仲間」にとって、〝このこれ〟として保持され共有されうる、
自己記述、他者記述、関係記述をめぐる「確定項」(絶対命題)への根源的な志向性。

確定項──世界を分節する意味と価値の確定記述。
その制度化をめがける「当為」と「禁則」の体系化。同伴する罰則規定。

世界像の共有化され体系化された世界記述の形式と内容には、
その時代、その社会、その歴史における秩序と統制をめぐる集合的〝意志〟が埋まっている。
同時に、そこには異者(集団)、外部との関係をめぐる諸命題が綴られている。

    *

根源的な、統一、統制、調和、和平をめがける集合的志向。
その絶対的矛盾としての、確定記述の多数性から生まれる背立的対抗的関係。

    *

生存とその存続に整合するように記述される全体包括的な記述としての世界像。
その生成の必然性、不可避性。同時に、そのことで支払われる代償。

世界像、その絶対的な確定項化──あれはあれ、これはこれ、それはそれ。
ありき、あるべき、なすべし、ねばならぬ、という関係指定的、絶対的な定言命法。

そのことで手放され、遠ざかることになる位相。
つねに新たな生の資源として生きられ、生きられてゆく、
人間的「自由」が沸き立つ非知性に担われる位相がある。

    *

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「情動生起」20181104

2018-11-04 | Weblog


理想理念(超越項)の生成を止めることはできない。
それを仰ぎ見ることをやめる、こともできない。
しかし同時に、仰ぎ見る「私」のかたち(欲望)の本質を洞察することはできる。
なんのために──
おそらくそうすることによるなんらかの「刷新」の可能性が予感されている。
(先行的な異和、ノイズ、齟齬、矛盾、欠落、対立の訪れの感受、情動生起)
そのときみずから身を浸した現実の構成を視野に入れることが要請されることになる。

 

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「狼」20281103

2018-11-03 | Weblog


──〈世界〉の訪れの場としての「自己」。その立ち会い人、ただ一人の目撃者としての「意識」(自我)。
  この〝関係〟(構造)においてすべては、「私」の世界経験は現象していく。

「うれしきこと、おもしろき事などには、感ずること深からず、たゞかなしき事、うきこと、
恋しきことなど、すべて心に思ふにかなわぬすぢには、感ずること、こよなく深きわざなるが故」
(玉のをぐし、二の巻)

「感ずる心は、自然と、しのびぬところよりいづる物なれば、
わが心ながら、わが心にもまかせぬ物にて、悪しく邪なる事にても、感ずる事ある也、
是は悪しき事なれば、感ずまじとは思ひても、自然としのびぬ所よろ感ずる也」
(紫文要領、巻上)

「目に見るにつけ、耳にきくにつけ、身にふるゝにつけて、其のよろづの事、
心にあぢはへて、そのよろづの事の心を、わが心にわきまへしる、
是事の心をしる也、物の心をしる也、物の哀をしる也、
其中にも、猶くはしくわけていはば、わきまへしる所は、物の心、事の心をしるといふもの也、
わきまへしりて、其しなにしたがひて、感ずる所が、物のあはれ也」
(紫文要領、巻上)

──ここで云われる「物のあはれ」という言葉は、「羊」ではなく、「狼」のものである。
  〈世界〉が現象する場において現象に介入することなく目撃し記述すること。
  いいかえると、さまざまな超越項──客観・真理・正義によって現象を審判し裁定することなく、
  逆にそれらが立ち上がっていく始原的地平に直面すること。

  「悪しき事なれば、感ずまじとは思ひても、自然としのびぬ所」

  暴力原理が後ろ盾にする、理想主義者が根拠とする「本体」(客観・真理・正義)の妥当性を僭称するまえに、
  すべての展開の第一の起点、〈世界〉生成の場を確定しておくこと。

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