ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「Little Wing」 20221231

2022-12-31 | Weblog

 

天使が羽ばたきして
小さくウインクする

この世のせつない瞬き
そんな、ありそうもない刹那

この世への着生がゆるむ
心と心がすれちがう刹那

そこに唇を向け
心を染める作法があるのね

夢、幻想、ファンタジー、ロマン
それとも妄想?

呼び名はお気に召すままに
as you like

ことばが知らない別の交歓ルートがあって
ことばに手を伸ばしてことばを運ぶまえに
伝えるまえに、伝わる地平が開かれている

ことばが果たせること、果たせないこと
足りないもの、行き過ぎるもの
決まってすれちがってしまうもの

そんな心に修正を教えるルートがあって
いつも雨の日のように情動に濡れている

雨に打たれた心に青空への憧れが兆すように
ことばの使用が逆説的にそのことを教える

見逃してもなんでもないけれど
見逃さないで

 

コメント

「名前@スーパー」20221231

2022-12-31 | Weblog

 

 

「下の名前なんて読むんですか」
「ああ、ちゃんと読んでもらえないんだよね」
「でしょお。タク…?」
「ジェームスと読みます」
「またあ」
「上の方はほんとは、ボンド」
「すごいすね」
「合わせてジェームス・ボンド」
「くっくっくっくっ」
「これからジェームスって呼んで」
「いま思いついたんですか」
「ほんとだから」
「天才ですか」

 

 

コメント

「はぐれ道」20221230

2022-12-30 | Weblog

 

 

だれかが決めたわけではない
勝手にそうしているだけ
それでいいじゃん、十分さ
比べる必要がどこにある

おのれの意志一つで耕せる場所をみつけて耕す
土を起こし堆肥を混ぜて種を蒔き水を引いて生きる

そうして生きている奴が好きだな

知らないなんて思うなよ
無感覚なわけがない
考える以上にたくさんいる

そのことを忘れるはずがないさ

同じ場所に集まって汗流して耕す
一緒に飯を喰らう、飲む、歌う、踊る
それはそれで楽しいに決まっているさ

けれどそれだでけはないぜ

それだけじゃない世界が見えなくなる
マーケットプライスの添付不可能な場所がある

(世界視線に誑かされるなよ)

手つかずの土地が放置されている
荒れたままの土地で生き抜く奴らがいる

どう思う?

この指に集まれ、そんなことに血道をあげなくていい
それだけで救われる数多の心がいることは知っておいたほがいい

 

 

コメント

「記録係」 20221230

2022-12-30 | Weblog

 

 


 
外なる気圏と内なる気圏
二つの気圏を同時に生きている

二つの気圏は重なりあって
一つの気象をつくり変幻する

晴天、曇天、雨、雪、みぞれ、木枯らし、ストーム
変幻する気圧、熱、光、影、風にさらされ

ゆらぎ、おびえ、ふるえ、勇み立ち
そのつど泡立ちながら生きている

この気象の外に出ることはできない

先回りしてストップをかけるように
いつも穏やかに保ち生きることはできない

しかしこの気象の中に生きながら
すべてが同期しているわけではない

どんなに荒れ狂うストームに襲われても
静かに開かれたバックステージがあって
すべての経験が刻まれていく作業場がある

おそらく人間だけがもつ特別な生の気圏
ここにひとりひとりの固有の時間が流れている

かつて-いま-これから
デジタルな時間表示とは異なる時間進行

変幻する気象と切り離されたその場所に
ひとりひとり、一つの物語を編み上げるように
すべてをモニターしてメモリに刻んでいる記録係がいる

     *

記録係はバックステージにいる
カーソルが届かないデスクトップの裏部屋

オペレーションの全貌を見ることはできない
見えないが絶え間なく作業を継続している

生きる全時間、全航跡をモニターしてトレースする
この作業はループしながらそのつど再編集されていく

俺たちはこの作業の成果を「記憶」と呼んでいる

望んでも望まなくても
日々、刻々、作業は厳格に継続されている

作業の目的は何なのか──

明示されたメッセージは読み取れない
しかし記録係のいとなみの全体が告げている

記録だけなら機械でもできる

刻まれたメモリのページをめくる
ただページをめくる以上のこと

生きられた全時間、全航跡 全波形
このメモリすべてをブリッジして生きろ

残らず連結したうえで新たな予期を立ち上げ
生の地平を拓くようにjこの気象を生き抜け

 

 

コメント

「新しい朝」20210515

2022-12-29 | Weblog

 

 

朝の光に火を灯され
泡立ち、駆け出そうとするものがいる

ことばに手を掛ける手前で
生の波形が動いている

願ったもの 願わないもの
求めたもの 求めないもの
見たいもの 見たくないもの

かたちを定められないまま
すべては心の水面に現象している

わからない
つなぎ合わせる糸が見つからない

「どうしたらよいのだろう」

朝の光が告げる──
一つの意味に収めることはできない

ことばは走りやすく、行きすぎ
生の波形とすれちがってしまう

新しい朝を迎えるために

記述の手を休め、心を柔らかくして
光が満ちるス時間を開いておこう

 

 

コメント

「reflection」20221228

2022-12-28 | Weblog

 

 

どんなに愚かでも消えないものがある
世界が欲しがり独占したがるものの外部にある

世界が手出しできない
気づかず忘れられやすい領域がある

たくさん描いてもらった
やわらかい線と構図、人柄を表わすもの

直接にはそれ以上のことはなにも知らない

好きも嫌いも問題にならない
ただ親しみ、その疑えなさのなかにいた

そしてそれはたったそれだけのことではない
そのことのこのうえなさということがある

それを見失えば死んでしまう
それを糧として生きるものがいる

意識の外からそう告げるものがいる

 

 

コメント

「第一の設問」 20221227

2022-12-27 | Weblog

 

 

「ばらけたまませめぎ合えば最後に殺し合いが待っている」
「どうすんの」
「ばらけを生かすには地平が要る」
「どんな」
「共通の地平。ちっぽけな、ローカルな地平ではないよ」
「同じ惑星に生きているけど」
「同じ地平に生きているという共通感覚」
「いきなりそこには行けないでしょ」
「そのとおり」
「そんなことできるのかな」
「アプローチは工夫しなくちゃね」
「どうやって」
「いいかえると、同じゲームの一員という共感覚」
「メンバーシップ感覚?」
「うん。共通のルールゲームでプレーするプレーヤー同士という意識」
「それだけ?」
「資格要件はそれだけでいい」
「それ以外はちがっていいわけ?」
「趣味、嗜好、能力、思想、信条、埋められない多様な差異がある」
「それでもいい?」
「だからいい。そこではじめて多様性という言葉の本質が顕現する」
「どんなゲーム?」
「それを見出すとても大事な、考えるに値する一番の仕事があると思う」

 

 

コメント

「セシル・テーラー」 20221227(20160305)

2022-12-27 | Weblog

                 Cecil Taylor - Dark to Themselves - YouTube

 

 

シャッフルする。極限までシャッフルする。
あらゆるコード、あらゆる定型、あらゆる自明性

世界に引かれた差異線に切れ込みを入れ
自明な価値の階梯、意味配列を砕いてシャッフルしつくす

物語の書割りに埋まった世界 
包囲された生き難さ息苦しさ
拘束、規定として現われる世界

据え膳されたエサを食む羊
同じ穴に暮らして果てるムジナ

シャッフルするたしかな理由と根拠はある

シャッフルするかまえ、手つき、手法そのものは
「シャッフルされざるもの」「シャッフルできないもの」として
一つの意志としてすべての音に貼りついている

しかし超えるべきボーダーラインがある

シャッフルに自足し、溺れ、シャッフルする意志が見失われ
最後の最後に着地する地平を見出せないとき

シャッフルした世界にシャッフルし返され
なにごともなかったかのように回収されて
シャッフル以前に回帰することになる

 

 

コメント

「エスキス」20221226(20220416)

2022-12-26 | Weblog

               Chopin: Nocturne  Op. 32, No. 2 - Ingrid Fliter - YouTube

 

 

心は世界をデッサンして
みずからに差し出す

光と影、正と負、価値の構成、意味配列
陰影深く、情動に濡れたただ一つの世界

下絵としての世界の姿
ラフスケッチとしての世界告知

世界を懐胎し産み落とす母のように
産み落とした子に憑かれた母のように

ふたつのことを一つとして
すべてはただ一つの主題に合流する──

本日、いま、ここ、これから
どう生き、どう生かすか

下絵に筆を入れる作業がはじまる
〝子育て〟の始発点、いまここ

忘れないように

エスキス、筆入れ、描き直し、終わりのない回帰点
すべてが始発する、いまここにこうしてここにいる

未決として世界の姿、未決としてのいまここ
状況に深く規定され拘束されながら
筆を握る手と意志を手放さないように

 

 

コメント

「展開本質──未決のゆらぎ」20221225

2022-12-25 | Weblog

                            (細田守監督『時をかける少女』)

 

 

世界を記述(認識)することなく生きることはできない
そしてそれぞれの世界記述は、同時に
それぞれにとっての世界との連結形式でもある

人間的生の展開本質──未決のゆらぎ
この記述スペースにおいて世界はしたためられ生きられていく

人間的生はゆらぎの位相において
新たな存在可能、関係可能、ありうるのエロスに沸き立ち
世界の新たな記述形式を見出していく

(記述の修正・再編・書き換え、発見と更新)

みずからの展開本質において生きることを望むなら
みずから刻んでおくべきマキシムがある

「新たな記述スペースをつねに空けて生きよ」

さらに、展開本質を保持したまま他者(異者)と出会い
共生と共和を望むとき、このマキシムは拡張され修正される

「新たな記述スペースをつねに与えあって生きよ」

 

 

コメント

「立ち話@スーパー」 20221224

2022-12-24 | Weblog

 

 

「二番セカンド」
「なに」
「あの方のイメージ」
「バカにしてるでしょ」
「誉め言葉です」
「またあ」
「けっして。大事な仕事です」
「ウソだね」
「チーム第一に徹する。立派です」
「ウソだあ」
「選球眼、犠牲バント、流し打ち、小回り、敏捷性」
「監督じゃないんだね」
「二番セカンド、適材です」
「じゃあ、だれが監督なのよ」
「監督不在。でも結果的になんとか回っている。いいじゃん」
「言いふらすよ」
「NG。ここだけの話ね」
「どうしようかな」
「からだが一番、仕事は二番セカンド」
「ごまかすな」

 

 

コメント

「Backstage ──われ感じる、われ欲す」 20200402

2022-12-23 | Weblog

 

 

  「アイ」は、歩き慣れた道を歩くような時にも
 「セルフ」に多くを任せているのであろう。(中井久夫『徴候・記憶・外傷』)


アイ(意識)とセルフ(自己)が対話する関係態としての「私」がいる。
メルロ=ポンティ的には、自己という「地」の上に意識という「図」が動いていく。

(われわれは「無意識」という概念を使って「自己」の本体を捉ようとする)

        *

「コーヒーを飲みたい」──「地」から欲望が励起する

「われ欲す」というメッセージの発信元は意識ではない。
意識は「われ欲す」という内的なメッセージの受信者である。
「われ欲す」の受信という出来事から、
意識はみずからの志向対象、世界との関係を告げられる。

「われ欲す」
「われ感じる」

この内なる告知によって、世界は「私-世界」という両極に分極し、
「私」のまえに〝私にとって〟の固有の意味配列をもつ世界が現われる。

この世界告知、そして意識による受け取りという出来事は、
人間のあらゆる世界経験の根源的な基礎構造をつくっている。

「かなしい」

世界との関係を告げる始原的な第一次のメッセージは、
疑いようのない情動の泡立ちとして、衝迫として、
あるいは、かたちをたどれない世界との関係として、
意識主体にとって、いわば内なるBackstageから届けられる。

世界経験の第二次の過程へ──

次に、この出来事は「ことば」(関係項)を媒介ツールとして、
ことばに変換され、記述され、メッセージとして編み上げられ、
他者と相互の経験を交換しあう場面へと展開していく。

 (ことばは自他の経験をつなぐ連結装置として機能する)

さらに、一次過程から二次過程へ、そして、二次過程から一次過程へ。
この循環的な回路において、一次と二次の二重記述が現象し、
終りのない無限記述の位相(関係世界)が、「私」の中に開かれていく。

(主観は主観の外に出られない、ゆえにこの位相はつねに「私」の中に現象する)

この位相において、「私」は関係存在として生きることになる。
「関係が関係に関係する関係存在」(キルケゴール)として、
「私」は、必然的に、関係記述(ことば)の記述連鎖において状態遷移のプロセスを歩んでいく。

 

 

 

コメント

「椿の海、石牟礼道子」 20220422 

2022-12-22 | Weblog

 

 

めめしさ、感傷は、嫌ではない
嫌ではない以上のもの
記述されることのない海に根ざしている

怒りに席をゆずらない
柔らかなまなざし

殺しても飽き足らない残虐
自然が教えない生の略奪にあって

この世の酷薄、華やぎのひとつひとつ
すべてに花をたむけるように
ことばはしたためられていく

「みんな哀しくて、やさしい顔をしている」(『苦界浄土』)

ことばが浮かぶ記述されざる海
椿の海に生きる──

この仮構がことばの専制を抑止する

 

 

コメント

「存在と非在──心が連結する物語」20221221

2022-12-21 | 参照

 

 

現実とロマネスク
二つの地平を同時に生きる両生類、ヒト


──中井久夫『治療文化論』66・67

彼女は、私の机の上の二つの鉢植えの草の葉むらにこもる妖精たちを語ってくれた。
それは私が「邪悪」な妖精のいるほうの鉢を遠ざけたくなる力があった。
「ほら、見えるでしょ、ここに」と、私にも見えることを確信して語ったが、
無理強いには答えを求めてこなかった。
たしかに空想の手がかりを与える徴候的なものはあった。
空想といったが、この場では観念と知覚とは肌を接するほど近い。
そのうちに話は次第に妖精から離れて彼女の孤独そのものに移り、
やがて現実へつながっていった。おわりよければすべてよし、である。

彼女は自分を独自と思っていながったが、老練な教授が高いスコアをつけた、
詩人ライナー・マリア・リルケのユング的解釈についての
「ユニークな卒論」を読めば、あるいは「創造の病」に近いものと知れるかもしれない。

私は、この治療の持つ危うさ、あるいは治療関係の内包する危険性を
決して忘れないように心がけていた。
私は「フェアリー・エンカウンター」(妖精との遭遇)という現象が、
西洋において非常に危険なものとされていることを知っていた。
それは森のはずれで「逢(お)う魔が刻(とき)」に起こり、
しばしば生命や精神の危難を予告するものであった。
しかしまた、友好的な妖精もあり、悪い妖精と戦ってくれる。
夕方彼女を訪れる妖精たちはどうもおおむね友好的らしかった。
妖精話を聞いているうちに私は、彼女の孤独がひどく身に沁みて身体が冷え冷えしてきた。
しかし、不快では決してなかった。
恐怖ではなく、彼女の「夜の世界」の冷えがくるぶしまでは私を浸したのであろう。
私は、しかし、バリントのことばを護符のように唱えた。
「治療者は、舟を浮かべる水、鳥を支える空、いろいろなものを支える大地、
要するに「四大」(Vier Elemente)になれ」ということばである。

※「Vier Elemente」:四大元素、火・水・風・土

 

 

 

コメント

「宮沢賢治」20221220

2022-12-20 | Weblog

 

 

詩う人、この世を詩で満たすように生きる人
どんな要請も命令も当為も人に求めず
幼いこどものように、ただ在ることがそのまま
「生の祝祭」であるように生きあうことを願った人

 すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから (『春と修羅』)

修羅の自覚において、その願いの理不尽さ無謀さを知り尽くしながら
知ること以上の地平まで翔け昇ろうとして果てた人

おそらく、その地平とは詩と科学が交わって溶け合い
「冷く透明な解析」が「舞踏の範囲」を高めていく
三次元世界に出現したことのない「第四次延長」の世界を意味する

 新たな詩人よ
 嵐から雲から光から
 新たな透明なエネルギーを得て
 人と地球にとるべき形を暗示せよ

 新たな時代のマルクスよ
 これらの盲目な衝動から動く世界を
 素晴らしく美しい構成に変へよ (「詩ノート・生徒諸君に寄せる」)

そんな存在が目の前にいたら心がくらむにちがいない
そして、そのことにはたしかな理由がある──

 すべてこれらの命題は
 心象や時間それ自身の性質として
 第四次延長のなかで主張されます (『春と修羅』)

 

 

コメント