ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「鬼滅の本質」20214030

2021-04-30 | Weblog

       【作業用BGM】鬼滅の刃Kimetsu no Yaiba神戦闘曲サウンドトラック集 Demon Slayer Battle Soundtracks - YouTube  

                      Demon Slayer - Kimetsu no Yaiba Mugen Train Soundtrack Orchestra - YouTube

 

節分の日に思った
豆まいたくらじゃ鬼は出ていかない
〝鬼〟たちが居座り支配する国がある

問題の本質は〝鬼〟の存在自体ではない

鬼であることが適応戦略になっている
鬼を滅ぼすのではなく鬼が産まれるこの関係世界
関係風土を自覚することが第一歩

人、鬼が混在する関係のあり方、関係構造
関係しあうパターンを抉り出すことが二歩目

そのうえで、鬼と人が対峙しあう〝戦線〟がある
この戦線を前提にしたそれぞれの世界記述の形式
分岐するそれぞれの価値コードを暴露することが三歩目

そして、鬼と人どちらでもない、人も鬼も包摂する価値コード
鬼と人のそれぞれの価値コードを断ち切って
そこに移行できる〝刃〟をあつらえることができるか
それが最後のステップを構成する

 

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「個、クラスわけ」  20210429

2021-04-29 | Weblog

 

集団(クラス)に完全帰属して生のかたちをかたどられた「個」のいない世界
近代はそこからの離脱をめがけるプロジェクトとして始発した

        *

人類は任意のクラスわけを順次30回ほど繰り返すと
近代が描いた希望の原理「民主主義」の基礎単位=「個」に分解する

われわれはそこに至る手前の任意のクラス分けの段階に留まり、いまも
「個」に分解されるはるか以前のクラスの一員として自らを規定し生きている

クラスわけを最後まで徹底して「個」に至るには一つのまなざし、すなわち

第一に、実存(個)の固有性、代替不可能性、絶対的一回性
第二に、絶対に埋めることのできない相互の隔絶性
第三に、クラスという概念そのものの生成的本質
最後に、なにより「個」が「個」として生き切る集合的いとなみの条件設定

このすべてを串刺しにするまなざしを先行的に獲得しなければならない

 

 

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「問い──自明性の消滅」 20210429

2021-04-29 | Weblog

 


 ──竹田青嗣『欲望論』(第一巻、p370)

  意識生としての生き物が、「対象」をもつとは、いわば存在の即自性が、
  懸隔として超えられるべき時間と距離の出現において消滅し、
  そこに一つの存在論的裂け目が現われ出ることを意味する。
  実存とはたえずこの懸隔をまたぎ越す可能性であり、
  存在の直接性があらゆる媒介項へと転じることであり、
  それが「意味」の意味(本質)である。


自明性はつねに破られている
破ることが生きることでもある

この存在、この現実、この関係、この世界

世界の確定された姿にスキマを開いて
そこに身を置く、すなわち「問い」の生成

みずからに生きる主題を与えるように
新たな「問い」は絶えることなく生成する

問いをたずさえ、問いに応えるように
新たな企投へ向かう──展開形としての生

ゆらぎ、まよい、ためらい、うたがい、おそれ、不安
すべてはさまざまに色づいた情動に運ばれ
一つの問いのかたちに結ばれていく

即自性、自明性、確定項に立て込んだ現実
この世界の姿をほどき、結びなおすように
新たな〝生きることのエロス〟を求めるように
われわれは問いを投げ入れつづけている

問いの禁止、問いの封殺、問いの処罰
それは生きることの停滞、中断、収奪を意味する

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「展開形」20210428

2021-04-28 | Weblog

 

展開形のままに──

現実をコードする記述形式を学び、世界を分節し、経験を記述する
新たな問いは生まれ、主題が生まれ、新たな記述スペースが開かれる

世界経験はつねに先行的に記述された関係項群(ことば)をたずさえている
「善-悪」「真-偽」「愛-憎」「美-醜」

自己記述、他者記述、関係記述──「世界はこうなっている」

歴史的に、集合的に記述を確定された一般命題群
「かくある」「かくあるべし」「かくなすべし」

合意項・禁則項・許可項の集積としての社会体

この記述の体系を新たな存在可能、「ありうる」へ接続すること

集合的に保持される世界記述の関係項から逆算するように、
みずからの「いま・ここ」の記述を確定するのではなく
みずからの「いま・ここ」の展開、拡張、推進力が増すように

あらゆる関係項を記述しかえすこと

すべては新たな「ありうる」の展開にかなうように
新たな記述形式の更新、探索に開かれてあること

結びあわせるパターン、関係をよりよく結びなおすように

実存の展開本質にかなう記述形式の準則──

社会体の帰属主体としての「個」ではなく
社会体の更新主体としての「個」として

すなわち展開形としての「個」のままに

 

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「Cairokee-Basaal Aleaki」20210427

2021-04-27 | Weblog

                                                        Cairokee - Basaal Aleaki | كايروكي - بسأل عليكي - YouTube

 

情動の本流がそこに流れている
心のまま同期し身を投げる

ことばは完全に眠る

なぜそれが吐き出せなかったのか
吐けない心のまま直撃する響き

まっすぐに突き刺さりさらわれる

吐き出せばいい
吐き出せなくてもいい

そんな分別はきれいに消えていく
裸のまま身を投げる

求めながら求めきれないバカがいる
すべてわからない

答えのない心のまま
音が肩に手を触れる

バカの姿が音に照らされ
招かれるまま身を投げる

なぜかはわからない
せつない慰めに運ばれている

 

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「世界視線」20210427

2021-04-27 | Weblog

 

「価値あり-価値なし」の公準にしたがって
世界視線はおまえを値踏みし、査定し、ランキングする

この世界視線は心の内側から訪れている

みずから世界に服属するように
おのれを世界に捧げるように
おのれを射抜くように走るおのれの視線

(おれたちは世界を、みずからを逆向きに見ている)

そして世界視線を投げあう存在と存在の関係
世界視線は存在と存在のあいだに〝戦線〟を引く

世界視線に服属し捧げる存在同士がつくる関係
ここに、日々の喜・怒・哀・楽の〝戦場〟がある

世界視線から構成される〝戦場〟を溶かすように
もう一つの視線を行使して射抜き返すことはできる

たとえば「正常‐異常」という価値概念を溶かす視線
この視線行使から生成する言葉──

「誤謬は弱さではなく力であり、夢想は煙ではなく力である」(カンギレム)

     *

世界視線が導く「価値あり-価値なし」の相互査定
共同世界をいとなむかぎり世界視線は必然的に生成する

しかし、おれたちが世界視線を捉え返すもう一つの視線を失うとき
〝公準〟の刷新の契機は失われ、戦場はバインドされたままになる

 

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「世界をコードする」20210426

2021-04-26 | Weblog

 

 

  記述ないし特定化という行為において、
  自然の連続体はたえず「変数」の不連続体へと分解されている。

  The continuum of nature is constantly broken down 
  into a discontinuum of 〝variables〟
  in the act of description or specification.

          ――G・ベイトソン『天使のおそれ』星川淳訳


世界を感覚する、マップする、ことばでコードする
世界を理解のポッケに収め、みずからの生を組織する

世界をコードするそれぞれの記述形式があり
ぼくらはそれを「個性」と呼びあっている

そして、記述と記述が出会い多重の記述が生成する位相
ぼくらはそれを「関係」呼んでいる

記述する意志は、この位相において
より微細に、より正確に、より厳密であることを競い合う

この競い合いのなかで見失われやすいことがある
そのことを、たとえば〝花〟が教えてくれる

     *

花は花であることを知らない
気づかないまま花でありつづける

着飾る、色をほどこす、魅惑する
そんな意志の外に花は咲いている

ただ、それをそれとして照らす
光を投げる存在だけがそれを決める

なぜか、理由を問うより先に
心は動き からだが動く

魅せられた心はコードする

ゆらぎ はかなさ たゆたい 刹那さ 
幽玄を感じとり、記述し、心にとめる

そして、いつもその外に花は咲いている

 

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「未決の課題」 20210425

2021-04-25 | Weblog

 

ずっと同伴してきたものがある

ばあちゃんに引かれた子牛のように
幼い時間のすべてがそこから乳を吸った
清流が流れる場所、その時代から

それをかたちにして取り出すことが目的ではない

「虚無に溶けていく感覚」

それがだれも励まさないものであること
幼い心はそのときから知っていた

(このことに耐えた子はほめてやりたい)

物語、文学、宗教 芸術に遊んでもらいながら
それらが教えるものには足りないものがある
そう感じてきた

いつか無に帰っていく
だれもが知っている着地点ではなく

始発点に変換する
方角は一つだ

そのことを、生きる用在、資源に転化して活用する
ひとり残らずだれもが使えるように

考えてきたのはそんなことさ

最終の解は存在しない
原理的にありえないことは明らかだ
けれど、やってみる作業として不足はない

どんなふうに?
まだわからない

ただ課題の核心は〝関係〟にある
出会い、関係、人を結びあわせるパターン

ありふれたように見える経験のすべて
生きることの強度と濃度、光度が増していく

逆算して語ればそんなことだ

 

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「KTのように」

2021-04-24 | Weblog

                  京都【京都橘高等学校】マーチング - YouTube

 


愛がなければ通り過ぎればいい
通り過ぎれない心が告げる

どんなにすさんだ風が吹き荒れても
すさみをすさみとして感じる

感じるものがいなければ
世界はのっぺらぼうのままさ

ちょっと道草しよう

おれたちは世界に魅入られている
どんなちからもかき消すことができない
底知れないいざないのなかにいる

滅ぼすちからと生かすちからと
せめぎあうちからが動き回り
のっぴきならなさがひしめいている

そのことは認めよう

そのうえで片方を黙らせる
そうしなければならないときがある

光と影があやなす世界がある 
描き出すのはおれたちの心以外にはない

世界はいざなう姿に色づいている

めがけるかたちはわからない
わからないまま魅入られた心が告げる

「さあ、踊ろう」

 

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「コード進行」 20210423

2021-04-23 | Weblog

 

どんなに〝ソレ〟に心が深く揺さぶられ誘われても
それだけで経験世界を語り尽くすことはできない

汲みつくせない多様性、豊饒性、創発可能性に世界は満ちている
そういう直観はつねにうごいている

(直観を眠らせる〝結晶作用〟をもたらす例外状態を除いて)

      *

生き物はそれぞれに固有の価値コードを携え生きている
コードは固有の意味と価値の配列として世界を分節する

コードは「私にとっての世界」を主題として確立され
生きられる「私」の現実を制御するように動かしている

      *

固有の〝コード進行〟としての「私」という生の展開

みずからのコードに従って直列して生きるかぎり
「私」は「私」だけの〝音楽〟しか奏でることができない

コードの変容の契機──

それは異質なコードを生きる「他者」との出会い
「私」のコードでは奏でられることのない
異質な魅惑を音をもつ存在によってもたらされる

みずからのコードに限界を教え、思い知らせる
未知の〝音楽〟を奏でて生きる他なる存在(という予期的エロス)

このことへの気づきにはコードより深い基底的な作動がある

「よりよき〝音楽〟を奏で、生きていたい」

ここには、確立されたコードを捨てることもいとわない
コードの組み換え、再編成、変換をうながす
コードよりさらに根源的な〝欲望〟が動いている

 

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「哲学的思考」(参)

2021-04-23 | 参照

 

──竹田青嗣『哲学ってなんだ──自分と社会を知る』2002

「ヘーゲルの考えは、
「善」とは、最高の理想状態をめがけようとする心性をもつものではなく、
むしろ、つねに各人がその「自由」を十全に確保でき、
そこで人間の人間的本質を開花させうるような
社会的関係を作り上げてゆくこと、でなければならない」

「またその場合、その努力は至上の「善」からの命令や要請としてやってくるのではなく、
各人の内的な了解と納得の結果として現われるのでなくてはならない。
そして、この納得は、他者たちとの承認ゲームの中でのみ
「自己価値」をつかみうるという各人の自覚を通してのみやってくるものだ」

「ここでは、「自己価値」を求めつつ、そのことが「他者との関係」に矛盾しない
というあり方をはじめて了解する。またこの了解こそが、
ほんとうの意味での人間を内的に「善きこと」へ向かわせる動機となる」

「じつは人間の「善きことへの意志」もまた、
必ず「善き私の実現」という根本本質を核としている。
こう考えてはじめて、「私」と「社会」とが決定的な対立関係に立たない、
近代の本質的な人間学が出発する。これがヘーゲルの人間学の根本的枠組みである」

「ヘーゲルはこの典型的な「善き社会への理想的推論」(ex.カント)を
解体しようとしたはじめての哲学者といえるかもしれない。……
たしかに自己中心性はよくない。しかし自己中心性をすべて否定すると
結局人間の本性それ自体を否定することにゆきつく。
自己中心性を前提とし、これをうまく鍛えていくことで
「善きもの」へと作り直すことができるはずだ。
これがヘーゲルの「自己意識の自由」の思想のエッセンスである」(151)

 

 

 

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「センセイの仕事」20210423

2021-04-23 | Weblog

 

子どもをできるだけ早く〝生徒〟という属性から解き放ってあげること、
そうでないと一生生徒のまま、生徒だらけ、おとなのいない国になってしまう仕事。
「恩師」と呼ばれ、そこに安住し、のぼせ上っている場合ではない仕事。
子どもには、そうではない人に出会ってもらいたいと思う仕事。

「学校に行くとバカになるかもよ」

何千回も、ひょっとして何万回もパンクを修理してきた、
自転屋のおじさんの姿にそう書いてあった。

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「光の道」20210422

2021-04-22 | Weblog

 

 

ささえ、よりどころをあつらえる
そうすること以上のことはない

そう心に決めてそうしている心と
そのことを知り、応えようとする心がある

ふたつがひとつに結ばれ、そうして
はじめてそこに開かれる光の通り道がある

     *

いつも率直でいることはむずかしい
赤裸々な心のまま生きることはできない

けれど、ためらいなく語れることはある

光を感じながら、駆けている〝友〟がいる
だれかの心を感じ、存在を感じ
照らし返すように生きるている〝友〟がいる

迎え入れあう心があるかぎり
相手を選ばず迎え入れあう、そういう場所がある

出会ったこと、出会うことがすべてだ

きっちり応えて生きていこうと思う

 

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「記述の作法」 20210422

2021-04-22 | Weblog

 


   You live in your description of reality. 
                                ──Gregory Bateson

  「ぼくらはみずから記述し、描く現実を生きている」

 

それでおしまい、ではない
この命題には付け加えるべきことがある

みずから記述し、描いた絵に筆を入れる作業
それが「いまここ」の本質をつくっている

目的はただ一つ、〝よい絵〟を描くこと

そのために覚えておくべき作画の作法
記述し、デザインするための心得がある

        *

知るかぎり、聴こえるかぎり、見えるかぎり
触れるかぎりの世界に自足するとき、失意するとき

筆が止まり、未知と非知につながる野蛮さが失われる

わかることの位相にすべてを収納するとき
わからないことのわからなさ
かたちのないものへの感度がおとろえ
創造へ向かうちからの資源が消えていく

        *

感情は走りやすく
理解は行きすぎやすく
記述は確定に向かいやすい

はやり、うごき回り
急ぎすぎる心に休止符を打ち込む

「これが世界」という記述の確定へ向かう心に
新たな記述のスペースを開いておく

        *

自分を愚かだと思わないほうがいい
自分を賢明だと思うのと同じくらい、まずい

筆をうごかすだけでいい

新たな記述が芽吹く地平を枯らさないように
日々、水をやり、光をあてる

すべては〝よい絵〟へ向かうために

 

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「月光」 20210421

2021-04-21 | Weblog

 

       Beethoven "Moonlight" Sonata, III "Presto Agitato" Valentina Lisitsa - YouTube

       Beethoven Sonata # 14 "Moonlight" Op. 27 No. 2 Valentina Lisitsa - YouTube

 

忘れていることはたくさんある
忘れたいことは忘れることができない
忘れたくないことは忘れない

心のなかでなにかが忙しく世界を編みつづけている
編みながら編みなおすように世界の姿が告げられ

忘れていたものがときどきこみあげてくる

         *

真夜中のだれもいない学生会館
ラウンジに置かれたピアノに向かい

ウチヤマくんは月光を弾いていた

口数の少ない、目立つことが嫌いな聡明な男
そんなふうに見えた男が一人

これがおれの姿だよ
そうつぶやくような孤独な月光

見事な演奏だった

感情が呼ばれ、肩をつかまれ
ぼくは黙って聴いていた

 

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