「自分の状態変化を参照しながら、次の変化を自己調整しつづけるシステム」
→「精神(ベイトソン)」「非線形システム」→「発達」→「創発」
(佐々木正人『アフォーダンス―新しい認知の理論』94年岩波)より
情報は多重にピックアップされる。……知覚システムが冗長に情報をピックアップしていることが、一つの感覚器官が障害を受けても、私たちがこの環境で生き抜くことを可能にしている。
知識を「蓄える」のではなく、「身体」のふるまいをより複雑に、洗練されたものにしていくことが、発達することの意味である。(ごく限られたシステムのふるまいしか持たない赤ちゃんは、わずかな情報にしか対応できない)
発話を理解することは、記号を解読することではなく、知覚の問題である。……「聴くシステム」は音の流れから「意味」をピックアップしている。……自ら「発話する」ことも、他者の発話を知覚することと共通の知覚的スキルにもとづいているだろう。なぜなら、発話することは「自分の声を聴く」ことであるからだ。そして、書物など言語を表現したあらゆる媒体から意味を読み取る基盤も、他者の声を知覚するシステムが提供しているだろう。文字で書き記されたものの中には、聴くシステムが利用する、発話に実在する不変項が埋め込まれているはずなのである。
ギブソンとほぼ同時代に生き、アメリカが生んだもう一人の「認識論のエコロジスト」であるグレゴリー・ベイトソンは、「精神の物象化というナンセンス」を攻撃して次にように言っている。
「きこりが、斧で木を切っている場面を考えよう。斧のそれぞれの一打ちは、前回の斧が木に切りつけた切り目によって制御されている。このプロセスの自己修正性(精神性)は、木ー目ー脳ー筋ー斧ー打ー木のシステム全体によってもたらされる。このトータルなシステムが内在的な精神の特性をもつのである」、
「ところが西洋の人間は一般に、木が倒されるシークエンスを、このようなものとは見ず、『自分が木を切った』と考える。そればかりか、〝自己〟という独立した行為者があって、それが独立した〝対象〟に独立した〝目的〟を持った行動を成すのだと信じさえする」、
「精神的特性を持つシステムで、部分が全体を一方的にコントロールすることはありえない」、「システムの精神的特性は、部分の特性ではなく、システムの全体に内在する」、
「調和的に働く一つの大きなアンサンブルにこそ、精神は宿るだ」と。