ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

L'enfance

2018-09-25 | Weblog


生まれ落ちる場所を選ぶことはできない。
そこは同時に拘束であり可能性でもある。
生誕は祝福でも呪いでも、幸運でも逆境でもありうる。

人生のピカピカのルーキーたちは、裸一貫、ただちに修業時代に入る。
終わりのない修業時代が開始される、ともいえる。

「快/不快」を分節するカラダが教える世界に訣かれを告げるように、
経験は新たな関係の位相へ転移させなければならない。

「言語ゲーム」が創成する〝世界〟へ。

日々、刻々と示される「この世」についてのガイダンスとオリエンテーション。
プレーの試行と新たな意味と価値との遭遇、状況判断とその連続的展開。プレー身体の変容。

公式、非公式の学習場としての日常の中で、
胸の内に収めていくべき多くのことがある。
修業は新鮮な驚きや歓びであるとともに巨大な労苦でもある。

そしてさまざまな「カミ」との出会い。ロマン、憧憬の触発。
  
      *

学習と変化。存在のフォーメーションを編み替える能力。
プレーヤーとして成熟する場、関係場としての言語ゲーム。

能力を十全に展開させるには条件がある。
どこで、どんな場所で、だれと、どんな関係において学ぶか。

「なにを学ぶか」ということ以上に、「どのように学ぶか」ということ。
学習エンジンはつねにこの二つを〝ダブルテイク〟していく。

関係の絶対性と関係の相対性。深く学ぶことと広く学ぶこと。
真、善、美。絶対化と相対化。生成として世界と事実として世界。

言語ゲームの展開は、生成としても事実としても展開していく。

学びのコンテクストの多様性と多数性。
そのすべてに目がとどくわけではない。

未知性、未規定性、不確実性へのかまえが、
身を浸したコンテクストの意味と価値をさまざまに変位させる。

一つの学びのコンテクストに深く埋め込まれ、〝コレが世界〟になると、
新たなコンテクストに移行したり踏み上がることができなくなる。

学習エンジンは多様な作動形式をもち、新たな作動形式を形成することもできる。
このポテンシャルを解発するように、あるいは刈り込むように言語ゲームが展開する。

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竹田青嗣『欲望論』(参)

2018-09-22 | 参照


「言語的企投と信憑形成の積み重ね(パロール)が、語の一般意味を形成し、
その途上で、もろもろの対象、ことがらの共有的信憑としての世界の客観性が構成されるのである」
(第二巻、193)

「人間だけが「関係的ゲーム」の結果として「内的感情」「内的思考」「内的自己感」をもち、
したがって「私的言語」をもたないわけにはいかない。
「私」は、たえず私自身と対話し、たえず私の感情や思考に配慮し、
したがって、たえず言葉によって私自身と対話せずにはおられず、
自ら生み出したその言葉に動かされる生き物となる」
(第二巻、194)

「問題は、何が人間の倫理的根拠の喪失を代補できるかの形而上学的探究ではなく、
人間社会が倫理と美の審級を維持し、豊饒化しうるその本質的条件を洞察することにある。
倫理や美の審級の根拠はそもそもどこからも贈与されない。
それは人間どうしの意志による「言語ゲーム」の本質的な創成としてのみ可能となるのである」
(第二巻、374)

 

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