ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

〝錬金術〟

2017-11-25 | Weblog


脱自的な錬金術によってバランスする存在の形式──

全知、真理、客観、理想理念、最高善、絶対の正義、全体、神格。
あらゆる心的な経験の最上位に位置づけられ、
生の意味と価値を確定する観念の諸形式、いわば〝純金〟の観念の生成。

どんな批判も寄せ付けない超越項を分泌する人間的生の生理。
あらゆる個別の論理を劣位に従える(と信じられた)無謬的権威を帯びた「超越項」。

自然界に存在しない〝純金〟の生成を信じる観念の錬金術には、
人間という特殊な生の形式が要請する実践的な動機が秘められている。

あらゆるエラー、試行錯誤、学習と変化から無縁である(と信じられた)「全体包括的概念群」。
それらは厳格な因果的記述命題に従うクリスタルのように完結している。

第二法則的メタファーを用いれば、
つねにエントロピーの増大に晒されている(熱的死へ向かう)とも言える。

「関係のゲーム」における出来事として現象する。

***

実存の未決性──〝ゆらぎ〟という本質的特性。

ためらい、迷い、とまどい、躊躇、はにかみ、はじらい。
存在を確定する記述命題からはみ出し、あふれ、こぼれ出る〝未決のゆらぎ〟。

つねに因果的な記述とすれちがう実存の本質的形式。
あるいは、生命/非生命をわける決定的な特性。

この領域でのみ現象する不連続な変化がある。
因-果の線形的記述に従わない現象、創発する〝意味と価値〟。
相即する新たなフォーメーションの可能性(存在可能)。

***

「神の不在と空白」を埋めるように生成する「超越項」。
そのことの意味を、「関係のゲーム」の可能性という観点から、実存の本質から照らしだすこと。

 

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「unknowing」

2017-11-12 | Weblog

知ることより早く駆けている作動がある

知ることに先行して
知ることを促す生成があり

知ることの手前で
知ることに火を灯す
由来も理由もたどれない始原の発火がある

つねに、すでに
いま、ここで

知覚は動き
情動は走り
世界は開かれ

言葉はおくれて結ぶ

知として関係するよりまえに
理として解釈するよりまえに
知と理を走らせる作動があり
生成としての〈世界〉の訪れがある

このときすでに意味と価値に彩られた
〈世界〉の生成に主観(わたし)は棲みつきまみれている

(はじまりの場所への帰還を促す。たとえばそんな音楽がある。)

問い──

「この世界!」というゲーム仕様の主観=客観が動き回る自明の場所へ、
このはじまりの地点から逆向きにたどり直すことで、
どんな認識上のボーナスが得られるか。

指示対象をもたない「非知 unknowing」
という思考にとって生成的な作動を促す位相。
そこからの展開プロセスを適切に記述すること。

 

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「from knowledge」

2017-11-11 | Weblog


単純に記述命題を並べて「知」として集積格納するだけでは変化は起こらない。
いいかえると単なる量的変化は質的変化を導かない。

変化が起こるには連続的に結び合わせて包括するまなざし、
そのまなざしに創発する全体包括的な〝意味〟の生成を必要とする。

いわゆる論理階型を一歩踏み上がること。
そうしてはじめて〝発火〟する生理学的な臨界がある。

 

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context marker

2017-11-04 | Weblog


メタ・コミュニケーション

われわれは生きている関係のコンテクストをつねにモニターしながら、
コンテクストの意味とかたちを指定するコンテクスト・マーカーを探索している。

了解や合意の地平をめがけるメタ・レベルのコミュニケーション──
その可能性あるいは不可能性を確定する手がかりがあるのかないのか。

いまださぐり当てられなくともその可能性が感じられるとき、沈黙は苦痛ではない。
その地平がどこにも見当たらない、あるいはその可能性が閉ざされていると感じるとき、
沈黙も饒舌も果てしない無の淵へと溶けていく。

このとき、「力の論理」が展開する地平、
対抗的なパワーがうごめく地平が浮上してくるのが感じられる。

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