狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

差別と叫ぶか否か

2016-02-29 00:30:19 | Weblog
「倦む」表現追記。
「おやつに倦む」「おもちゃに倦む」だと現在の生活環境で、そこにあるおやつ、おもちゃを皆倦んでいる、となる。 「おやつを倦む」「おもちゃを倦む」だとおやつ、おもちゃカテゴリー該当全てを自分から切り離した状態を想定し嫌っている、となる。

イエス・ファンとビートルズ・ファンとを比較。
ビートルズ・ファンはビートルズの真似をするがイエス・ファンはしない。 イエス氏は髭もじゃだったはずだがそれを理由に髭を伸ばすキリスト教徒は稀である。

賛美歌。 これ好き嫌い、この歌は自分の感覚に合っているがあの歌は違う、といったものがあって当然、というより極論自作してしかるべき。 自分の心にある賛美ではない賛美の文言はおもねりおべんちゃら。

さて最近businをやっている。 ゴッツのトラップLv6まで出来た。
そんなわけで、被差別の話。
差別、新種差別や男女差別など、には差別する側とされる側とがある。 ここに、差別されていないのに差別されたとされる事例や、正しくは差別されているのにされていないとされる事例などが発生すると。
実は差別待遇なのに社会的に問題無いとされるものを示そう、年齢差別がそれである。 年齢差別が多くの人から社会的に問題無いとされている理由はそれ、特定の年齢が大半の人に共通する通過点だからである。 子供に不利でも「大人になれば」で通る。 この共通性は場合によっては無くなる、病気などで余命が大きく異なる、沈没する船からの脱出等一回こっきり、地球が明日滅ぶ、などのケース。 そうした場合でも恐らくは、年齢差別措置がおかしいとはされずルールの改変ないし反故化が求められる事となるだろう。
プライベートな場では差別はない。 全ては個々の好き嫌いである。 親が兄弟の待遇に大きく差を付けるような場合は責任放棄に問われるやも知れぬが、それでも差別ではない。 なにかが差別待遇である、となるのは公的サービスあるいはビジネスの場でだ。
サービス提供者の側のルールは何通りかあるわな。 全ての人に同条件で同一のサービスを提供すべし、とされるもの、犯罪が予想されるならば拒否すべし、とされるもの、サービス提供者が需要者を任意に選べるもの、提供者に選択権があるが特定の差別に該当するとされたならば不法行為だとされるもの。 全て対象とするもの、自動販売機が例、と任意に拒否して良いとされるもの、任意の客のみをあいてとする商売、以外の場合が社会問題とされると。 問題の対象は犯罪性の識別と、違法指定される差別カテゴリーの妥当性。 何がややこしいって両者がかぶるのだ。
差別カテゴリーでもっぱら問題になるのが逆差別。 「ある特定の」が優先された結果それ以外が不利益を被る。 これが特定指定につき常時発生するのならば指定なんて止めてしまえばいい、というのはもっともな話なんだな。
犯罪の被害が甚大である都合何らかの形で必要とされるのが犯罪性人士識別による拒否。 識別方法に妥当性があったとしても問題だとされたりするのがややこしい。 取りあえずテロ教育賛同者は正しく犯罪予備軍のはずなのだがこれが逆に、特定分野で権力を振るっていたりすると。 ああめんどくさい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする