倦んでいる人は小学校に入ってすぐのあたりでもうすでに倦んで
いたりした、と記憶している。 何時からそうなのか。
こうした現象をして取り柄の有るヤツは違う、などと言われたり
する。 本当にそうなのか。
九九についてふと思いついた。
日本では掛け算を小学校2年で習う。
この時1*1, 1*2, と進んで行き9*9までを暗記する。
インド式だと19*19まで習うそうで、どの学年でなのかは知らない
が、まあこちらを称える日本人も多い。 まあそれはそれ。
さて九九答えの範囲はおおまかに100までである。
こうしてみると2*50や3*33もその範囲に入っていて、おそらく9*9
よりも簡単なはずである。 2の段を50まで、3の段を30あたりまで
覚える方がより九九暗唱よりも掛け算の理解に近いはずだと。
極論しよう。 小学1年あたりの段階で2*50が出来ているヤツは
算数が出来るヤツになり、出来ていないヤツは出来ないヤツに
なると。 じゃあ小学2年生に2*50を教える事は容易か。 当然だ。
5分も有れば十分だろう。
ならば結論はどうなる。
工夫しない教師が与えられたカリキュラムを見て詰め込みだ、
などと批判している。
相変わらず地上でドンパチやっていると。
そうした動機を辿っていったら良さに行きついた。
まず個としての自分が有る。 これが無い人も居る。
個が有って神様との関係が出来る。
個が無いと他人が持っているおもちゃを欲しがって、
もらっては捨てる、そんな子供みたいになる。
当人に自分が何が必要なのかが理解できていない状態。
やがて何をやっても、どれだけ他人と同じおもちゃを取っても
結局はつまらなくなるという状態に気付き世界はつまらないのだ
となり、そして真似をしたくなる素が無ければ良いのだといった
結論に至るようになると。 ここまで進んだ状態から他人の良さ
を奪って無くす事に達成感を見出すようになるまではすぐだ。
むなしい金持ちと奪い合う貧乏人は実は同じ状態。
いやむしろ、奪い合っている方が幸せなのかもしれないぞ。
ウケを狙って成功した時の達成感はどっちか。
良さなのか悪さなのか。
一人で居る事が苦痛ではない人のそれは良さだろうな、と思う。