狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

銃規制云々狩猟云々

2013-01-19 18:24:10 | Weblog
やっぱこのへんつっつくと変なもの出てくるなーとか思う。
一神教で魔王化した多神教神みたいな?
まあ目に見える範囲ではただの冗談なんだけど。

狩猟が趣味と言う人たちが居ると。
そう主張する人たちがマシかどうかは他の趣味に対する態度で見る。
自分たちこそが正しいのだから他が悪なのだ、とするようならば
どっかおかしいんじゃないの、とすると。

ゴルフ。
日本でゴルフをする人たちはその風当たりに対し「ゴルフは吉原の
替わりだ」なんて主張をしてたりする。 曰く、連れ合いに幻滅し、
嫌になる中それでも家庭を維持するためにはそういったものが必要
なのだと。
だったらゴルフ界の離婚傾向、離婚教傾倒に対してなにかあっても
良い、というかあってしかるべきなんじゃないかなとする。
それを抜きにしてもなんでクラブを誇るのかねえと思ったり。

日本の研究機関の実験動物慰霊祭の話が出てた。
西洋人が感心してたんだけど中には「じゃあ捕鯨は?」みたいな
反感をあらわにする輩も居たりと。
日本人がクジラを殺すのは食べるためである。 美味しくいただく。
オーストラリア人がカンガルーを殺すのは憎いからである。
彼らは普通にカンガルーは害獣だ、と言う。
私はここに「良さ」の有無を見る。
まあ反捕鯨運動には南極利権が関係してたりするんだけどね。
上層が下層を煽る理由。
ちなみに中国人がサイを殺すのは権勢誇示のため。
接待に使う。

人に良さが無い、というのは実は最近まで想定外の事だったりする。
ずーっと有って当たり前だと思って生きてきたと。
「無い」事を教えてくれたのはネフィリムと朝鮮人たち。
彼らには感謝するべき、なのだろう。

さてアメリカで銃規制。
狩猟の良さ、というものは有る。
捕ってきて、美味しく食べる。
これを否定すると邪神化した旧神たちが出てくる、というのは冗談
だが、それに対する伝統文化的拘りを持つ人たちは居て、そして
彼らは別段間違ってはいない。 ただし、馬鹿が銃を手にすると
人に向けるという状況はあってそれが規制論になると。
何故馬鹿たちはそうするのかと言うと銃を向けると人が脅える、
脅せばひれ伏す、それが快だからと。 詐欺師は言葉でそれをする
が馬鹿には詐欺力が無い、だから銃でする。
ここに対立があったりする。

狩猟を容認する部分的銃規制というのは十分に有り得る。
でも規制の進展はそうはならない。
詐欺師たちは馬鹿たちを下にしたい。
だから銃を取り上げようとする。
馬鹿たちは詐欺師たちに一矢報いたい。
と言うか、自分たちが上になりたい。 だから銃に拘る。

さて銃による秩序というものも有る。
アメリカの田舎の方はそうなっていると聞く。
中央が田舎の治安維持をほったらかしにしていて結果銃が必要に
なると。 銃規制反対派の主張はそうなっていたりもする。
銃乱射事件に対し銃が有れば犯人を射殺出来た、結果犠牲は少な
かったはずだ、そう言うと。 銃の使用基準は誰が決めるのと言う
と各個に、となり、犯人は犯人の基準で銃を使用する。
それでいいじゃんと言われればそうかもしれない。

学校に武装警備員を配する案というものが有るらしい。
低学歴者ほど支持者が多いらしい。
こう書くと「だから馬鹿は」と反応する人が多いかもしれないが
私は高学歴者の多くが治安維持が必要とされる場を知らないだけ
ではないかと思う。 これも地方ほったらかしの一例と。

銃規制は治安維持の問題なのだからよりそれを必要としている場所
に居る人たちの言う事を聞くべきなのは道理で、これまで中央政府
がそれをしてきたか、と問われれば、おそらく、少なくとも約半数
は否だろうと答える次第で、では現在のそれはどうかの問いならば
まあ以前よりはマシだろうとすると。
コメント
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